赤ちゃんに完敗
あたたかい、と思った。
ふわふわとした身体が、タオルに包まれていて、自分の腕の中にいるのに、どこか信じられなかった。
「……これ……私が……?」
助産師がやさしく支えながら、真珠の胸元にその子を預けてくれた時——真珠は、思わず、声にならない息を呑んだ。
赤かった。肌はほんのりしわくちゃで、目もまだ開いていない。指は小さく丸まっていて、まるで壊れそうなほどか細いのに——しっかり爪が生えている。
確かに生きていた。
小さな胸が上下している。口を開けて、ふぇ、と微かな声で泣きそうになっている。
「……この子が……私の……」
涙がこぼれそうになった。いや、もうこぼれていた。
喉が痛い。
全身が痛い。
でも、そんなことは、どうでもよかった。
「産んだんだ……私、ほんとに……」
ふわふわしていた。夢の中みたいだった。手も足も力が入らないのに、心だけはとても澄んでいて、まるで神様の衣の裾に触れたみたいな気持ちだった。
——その子は、小さくて、あたたかくて、泣いていた。
「……ちっちゃい……」
真珠は思わず、微笑んだ。自然に、ゆっくりと、胸の奥からほどけてくるような感情だった。
痛かった。苦しかった。終わらないと思った。でも今、ちゃんとこの子はここにいる。自分の腕の中にいる。
「……私、この子を……産んだんだ……」
さっきまで絶叫していた喉が、今は静かで、ただ愛しさだけが体中に染みてくる。柔らかい。壊れそうなくらい小さいのに、確かに、生きている。
その姿に、真珠は自然と目を細めた。
まるで——世界に、この子と自分しか存在していないみたいに、ずっと赤子の顔だけを見ていた。
そして。
その隣で。沈黙する男が一人。
黒髪の王太子。いつものように整った姿勢。いつものように感情を見せない瞳。——ただし、その瞳の奥に潜んでいるある色に、誰も気づいていなかった。
——それは嫉妬。
真珠は一度も、ウルを見なかった。微笑みも、視線も、声も、すべて、その赤子にだけ注がれていた。
(……なぜ俺を見ない)
ウルの指が、ごくわずかに動いた。それは、人差し指を落ち着きなく動かす、珍しく焦燥めいた仕草。
(お前の身体は、俺が護った。腹を支えた。命を繋いだ。俺の声で呼び戻した。なのに……)
——視線が、来ない。
それが、どうしようもなく、胸に引っかかった。
真珠の笑顔。優しい声。潤んだ目。
どれもウルが知る恋人の顔ではなかった。今、目の前にいるのは母だった。
「……」
じっと、黙って見つめていた。だが、表情は静かなのに、気配だけが徐々に変わっていく。
真珠は気づかない。
愛しげに赤子の頭を撫でて、小さく囁いている。
「……あなたは、愛されるために生まれてきたんだよ……泣いていいの。ちゃんと、ここにいるからね……」
その声に、ウルの呼吸が、ふと止まった。
(俺には……その声、かけられていない)
我慢ならなかった。
その愛が、自分だけのものではないと悟ってしまったことが、胸を焼くように苦しかった。
そして——唐突に、ウルが言った。
「——よこせ」
「……え?」
真珠は戸惑った。ウルの瞳は、紺碧の光を宿したまま、静かに赤子を見ていた。
「抱かせろ……俺の子だ。まだ、俺は触れていない」
その言葉に、わずかに周囲の空気が揺れた。だが、真珠はほんの少しだけ、おずおずと問い返す。
「……もしかして……嫉妬してる?」
その瞬間、ウルの眉が僅かに動いた。
「お前は、俺の妻だ。産んだ子を愛するのは当然だ……だが、俺が愛された感覚が、全然足りない」
そう、平然と告げた。
真珠は呆れて、でも、どこかで笑いそうになっていた。この男は本当に、どうしようもなく、どうしようもなく——全方位への嫉妬を抱える独占狂だ、と。
「……よしよし。あとでね。まずはこの子が先」
「先など存在しない。俺と子は並列だ。等価だ」
「赤ちゃんにライバル意識持たないでよ……」
ため息交じりにそう言いながら、真珠は赤子の小さな手を、そっとウルに握らせてやった。
ほんの少しだけ、機嫌が戻った。
それでもウルは、真珠の視線が赤子に戻るたびに、また黙ってにじり寄ってくる。
——赤子が泣くたび、ウルの気配が濃くなる。
愛を奪われた男の圧が、今日も子育ての空気を支配していた。




