豪華過ぎる部屋
「――お連れの方はこちらで待機していただこうか」
先頭を歩くあの男の声が、落ちてきた。ウル。長衣をまとい、褐色の肌に紺碧の瞳を浮かべる男は、ただ立っているだけで異様な存在感を放っていた。
「え?あの、彼は通訳で…」
真珠が慌てて口を開いたが、それより先にウルの視線が鋭く有瀬に向けられる。
「……無用だ。俺の言葉を理解する者ならば、それで充分だろう」
冷ややかでありながら、どこか苛立ちを含んだ声音。
「……」
有瀬くんは小さく眉を動かしたが、何も言わなかった。彼の顔に浮かんだ、怒りとも悔しさともつかぬ複雑な感情。それを見て、真珠の胸に何かがチクリと刺さった。
「ちょっと待ってください、ウルシュガ殿下。どういうおつもりですか?」
「どうもこうもない。俺の国の流儀に従ってもらうまでだ。君が仕事で来た以上、余計な人員の立ち入りは好ましくない」
「ですが、通訳がいなきゃ仕事にならないでしょう?」
「君が英語を話せるのは知っている。俺の指示は、それで足りるはずだ。問題は?」
言葉の切り口が、やけに冷たい。だが、それ以上に真珠が驚いたのは、ウルがすでに「仕事の詳細」と「自分の語学能力」を把握しているという事実だった。
(……そういえばハワイで英語使ってた―)
思考をかき乱されたまま、有瀬に向き直る。
「…ごめん。ちょっとだけ、行ってくる」
「…はい。お気をつけて」
その一言の背後に、何重にも張り巡らされた感情が込められている気がして、真珠は視線を逸らすしかなかった。そうして通された部屋は――まさに異常だった。
ドアを開けた瞬間、吐き気がするほどの香油の香りと、目を疑うほどの煌びやかさが飛び込んできた。
壁には金箔がふんだんに施され、天井から吊るされたシャンデリアは美術館級の逸品。絨毯は足が沈むほどの厚みで、家具はどれも重厚で高価そうなものばかり。何よりもおかしいのは……広さ。
「ここ、なに部屋…?っていうか、寝室?」
呆然と立ち尽くす真珠に、後ろからウルが肩越しに声をかけてくる。
「不満か?」
「不満っていうか…ここ、王宮ですよね?しかも寝室って、意味わからない……!」
ウルは微笑んだ。その笑みは理屈を言いくるめた上で逃げ道を塞ぐ時の彼の常套手段だ。
「王宮が提供する部屋の基準にすぎない。君は我が国の貴賓として迎え入れた客人。その扱いにふさわしい空間を用意しただけだ。違うか?」
「いえ、違います!私、商社の社員で、今日は視察のはずで……」
「だからこそ、この部屋だ」
言葉を遮り、あくまで理路整然と返される。
「我が国では客人は、主の管理下に置く。それが礼節であり、安全の確保でもある。外部施設に滞在するなど、危険を招く真似はできん」
(完全に…論破された……?)
言葉を探すうちに、いつの間にかウルがぐっと距離を詰めてきていた。
「…安心しろ。寝具は極上のシルクだ。君の肌を傷つけることはない」
「そ、そういうことではないです!」
「――そうか? 俺は君に不自由をさせる気など、微塵もない。何も、望んでいないことを強いているつもりはないんだが」
目を細め、柔らかく語りながらも、ウルの声音には決して退かない確信がある。追いつめられた真珠は、ため息を吐き、腕を組んで天井を仰いだ。
(…なんで、こうなるのよ)
けれど、何を言っても通じない空気があった。この国のルール、この男の常識、この宮殿の空気すべてが、彼に味方しているようだった。仕方なく、真珠は絨毯の上に立ち尽くしたまま、ウルを睨んだ。
「わかりました。泊まります。ですが、ちゃんと視察の案内をしてください。仕事ですから」
「もちろん。俺はそのために君を招いたのだから」
あっさりと頷かれたが、どうにも腑に落ちない。それでも、これ以上反論しても無駄だと悟った真珠は、小さく舌打ちをして荷物を床に置いた。部屋の扉が静かに閉まる。
そしてそれは、この国での日常の始まりを告げる音でもあった――。