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王宮

エンジンの唸りがゆっくりと弱まる。迎賓車が滑るように止まった先、真珠の視線に飛び込んできたのは、想像を遥かに超えた――まるで王宮のような建築物だった。白大理石の壁面に金の象嵌が施され、空に向かってそびえる尖塔が、午後の太陽を受けてきらきらと光を放つ。建物の輪郭は流線的で優雅なのに、どこか威圧的でもあった。


「…ここ、って…何ですか?」


つい口に出してしまった真珠の言葉に、前席のハイヴはほんの一瞬だけ口角を緩めた。


「ようこそ。アメニア王国の中心へ。――我が主の御座す宮殿です」


その言葉に真珠の背筋がぞくりと震えた。今ハイヴさんは宮殿と言わなかったか?冗談じゃないのか、と遅れて血の気が引いていく。


「ちょ、ちょっと待って? あなたの主って……まさか、王族?」


「はい」


あまりにも自然に肯定され、真珠は一瞬呼吸が止まりかけた。一方、有瀬くんはといえば、隣で飄々と肩をすくめている。


「まぁ……すごいとこに来ちゃったね。先輩」


「笑い事じゃないでしょ!? 私、ただの会社員なんだけど!?」


そう訴えても、扉はもう静かに開かれ、白い制服をまとった兵たちが整列していた。


「……はは……帰りたい……」


小声で漏らす真珠に、ハイヴは手を差し伸べる。その瞳には、まるで何かを誓うような――冷ややかな情熱が宿っていた。


「ご安心を。主のお招きには、礼をもってお応えすればよいのです」


「それがどれほど怖いかわかってないでしょ!」


苦笑しながら、差し出された手を取る真珠。その指を包んだ瞬間、ハイヴの手にほんの僅かな力がこもる。まるで「誰にも渡したくない」とでも言うように。――けれど、それに気づく者はいない。


アメニア王国は、外見と地位を持つ者にとって、時に息苦しいほどに華やかすぎる国だった。ハイヴはそれを嫌というほど知っている。元軍人、現・王族直属の護衛。精悍な面立ちと均整の取れた体躯は、軍服を纏えばより一層人々の視線を集める。実際、王族の宴の護衛に立つたびに、貴族の娘や他国の姫たちから、あからさまな視線を注がれてきた。


「護衛の中でも群を抜いて整っている」


「武骨なところがまた良い」


――そんな噂が王宮の内外で飛び交い、それがまた鬱陶しいほどだった。


だが――。


「あなたって最高の男性よね」


助手席から何気なく放たれたその言葉に、彼は、思わず握る手を強くした。見た目でもなく、地位でもなく。肩書きなど知らないはずの異国の女性が、自分に向けて、そんな言葉を口にするとは――。ふと横目で見ると、女性は軽く笑いながら「冗談だよー」と付け足していたが、ハイヴの胸の奥に灯った微熱は、簡単に消えそうになかった。


彼女――真珠は、少しも媚びない。彼の身分にも、容姿にも、媚びるどころかまるで気にしていないようにすら見えた。


「ハイヴさん、これって聞いてもいいですか?」


そう言ってきた彼女が最初に尋ねたのは、王国の文化やタブーについてだった。笑顔の裏にある真摯さ。異国の土地に来てなお、まずは自分たちがしてはならないことを尋ねる礼儀。


…馬鹿にされることにも慣れているハイヴにとって、それは衝撃的ですらあった。


冗談めかして褒めてくるような言葉の数々――だがその一つひとつに、彼女なりの尊重と好意が滲んでいる。「外見がどうとか、そういうことで判断してない」ことが、彼には痛いほど伝わってきた。


ああ――。


こんな女性がいるとは。神が、今この瞬間、自分に向けていたずらを仕掛けたのではないかと錯覚しそうなほど、彼女の存在は眩しかった。


けれど。


その彼女が、主の命で招聘された特別な客人だという現実。自国を代表する主――あのお方が、自ら外国人女性を呼び寄せるなど、まずあり得ない。それほどに、王位継承者である殿下は、異性に無関心なはずだった。だからこそ、護衛であるハイヴも驚いたのだ。


「主が特別に迎えた客人」


その一言の重さが、胸にのしかかる。


仮に、彼女がこのまま何事もなく仕事を終えて帰国するのであれば。仮に、主人の気まぐれで終わるのであれば。……もしかしたら、自分にも、何かを期待してしまうかもしれない。


だが――。


彼女は、主が呼び寄せた女なのだ。


そしてハイヴは、その主人に忠誠を誓っている。軍人であった過去も、今も。どれだけ自分が心を惹かれようと、それを口に出すことは許されない。ほんの僅かに、彼女の隣にいる時間が、嬉しかった。笑った顔を見られることが、嬉しかった。だがそれらは、彼女が無事に王宮を離れるその時まで、彼の胸の中にそっとしまっておくべきものだ。


窓の外には、王宮の尖塔が見え始めていた。もうすぐ、この車は神々の館と呼ばれる白亜の宮へとたどり着く。ハイヴはそっと、自分の中で芽生えかけた感情に蓋をした。彼の胸の奥には、ひとつの決意があった。


――この気持ちは、誰にも知られてはならない。


たとえこの先、どれだけ彼女のことが気になっても。どれだけ主人が彼女を欲しようとも。ハイヴは忠誠を選ぶ。ただひとつ願うとすれば――せめて、彼女が泣かないようにと。


彼の胸の中に灯った小さな火は、まだ誰にも気づかれていない。


階段を上る足音が反響する中、真珠の鼓動だけがやけに大きく響いていた。


王宮の扉が、ゆっくりと、静かに開かれる――。


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