変化
薄暗い室内に似合わない電子音が鳴り響く。
少し開いた窓から忍び込む冷気に男は震え、きっちりと窓を閉め鍵をかけた。そばにあった光を点滅させている携帯を掴み画面を確認するとふっと零す。
「……なるほどね」
パタン、と携帯を閉じる音が虚しく落ちる。途端に明かりの消えた室内の中、窓の外を見つめる男の表情は真剣なものになる。自身の移ったガラスにぽたりぽたりと白い粒が重力に逆らい沈んでいく。
「やはり彼女が……思ったより順調、かな」
男が息を吐いた時、バタンと壊れそうなほど勢いよく扉が開かれ、途端に部屋が明るく騒がしくなる。
「ちょっと宗谷! いるんなら明かりぐらいつけなさいよね! いないのかと思って待ちぼうけくらったわ」
「悪かったよ」
そう言いながら悪びれた様子もなく男――退治屋はいつもの笑顔を浮かべ、夕香に叩かれる。
「大体、君には合い鍵渡したはずだけど」
「失くした」
「……だろうね」
答えを予想していたのか、退治屋はたいして気にした風もなく椅子に座り癖のように煙草を取り出した。片手で机の上をまさぐり、いつもの場所にあるはずのものがないことに気付き机の上を見、そして目の前の人物を見上げた。
「夕香」
退治屋の声音が変わる。先程までの軽い調子ではなく、何か意思を含んだ色で名を呼ばれた夕香は、びくと反応する。目の高さまで持ち上げたライターをいつものように見せびらかすでも文句を言うでもなく、逆にどうすべきか迷ったかのように視線が彷徨っていた。
退治屋が咥えた煙草を箱の中に戻し隔てていた机を避けるように出ると、ライターを持つ夕香の手を握った。
「何を隠してる?」
「な、なによ。いきなり」
明らかに挙動不審に後ずさるも、なぜか退治屋はついてきて壁際に追い込まれる。
「追い詰めるとか、趣味じゃないんだけど」
「だ、だったら離してくれればいいじゃない……」
いつもより覇気のない声だが、諦めたのかしっかりと退治屋の目を見て対峙する。しばらく睨み合うようにお互い見合っていると、突然退治屋が「おっ」と声を上げた。
空いていた夕香と退治屋の片手同士が繋がれている。正確には退治屋によって夕香の手が動きを制御されていた。
彼女の羽織る茶色のコートのポケットにその指先は向かっていたようで、そこは少し膨らんでいる。
「それはお見通しだよ。何年一緒にいると思ってるんだい。全く、本当にどこでこんなの手に入れるんだか……」
両手を高く上げ壁に押し付けると、退治屋の片手ががっと夕香の手首を押さえつける。力の入らなくなった夕香の手からライターが落下していく。退治屋はそれを見届けて、彼女が取り出そうとしたものをポケットから抜くと机に放り投げた。
「女性に乱暴するなんて落ちぶれたものね、宗谷」
「いや、こっちは殺されそうになったんだぞ。正当防衛ってやつじゃないのか」
それを聞くとぷいっと夕香は顔を逸らしむくれた。その様子に諦めたのか、盛大な溜息をつき退治屋は彼女を解放した。
肩をすくめ落ちたライターを拾うとさっさと煙草に火を点け吸い始める。白い煙が立ち上っても、夕香は手首を擦りその様子を眺めているだけ。
「……なにか用かい」
暗に「もう帰れ」と言っていると感じた夕香は言いづらそうに口を開閉させ、それでも意を決したように紡ぎ出す。
「確信はないのよ? ただ……何かおかしな感じがするのよ」
「何が……いや、誰がかい?」
言い直したことに夕香は一瞬驚いた顔を見せるものの、すぐに真剣な表情に戻り続きを始める。
「……朝ちゃんよ。私はただ単に乙女心の複雑な心境かと思ってたのだけど」
「……どういう心境なんだ、それは?」
「宗谷はわからなくてもいいのよ。それより、何か……感じるのよねぇ」
「妖?」
「……似てる、気がする。宗谷か綾ちゃんならわかると思ったのよ」
「いつから気付いた?」
「でも最近よ。ほんの数日前くらい。宗谷は何も感じなかった?」
その言葉に押し黙り考え込み始めた退治屋を見て、夕香はソファに座り髪を整え始めた。
しとしとと外では雪が降り積もっていく。ただ静かな夜だった。
朝、いつものようにノックしてから扉を開けると驚く声が聞こえた。
「え?今日から……ですか?」
その声の主は朝子のようで、退治屋と夕香を前にあたふたとしている。
「で、ですがそんな……ご迷惑でしょうし何より宗谷さんの眠りを妨げてしまう可能性も……」
「気にすることないよ。むしろ朝子ちゃんなら……」
「まぁまぁ!宗谷も言ってるし、大丈夫よ。襲われないように私もついてるから」
「夕香さんも……ですか?それなら尚更」
「大丈夫よ、ぜーんぜん問題ないから」
妙に大袈裟な手振りで朝子を説得している二人に訝しみながらとりあえず挨拶をする。
「おはようございます」
三人が同時に振り返る。同じ表情で同じように次第に笑顔に変わっていく。
「おはよう、綾乃ちゃん」
「綾ちゃん、おはようー!」
「おはようございます、綾乃さん」
ここに来るようになってから数日は経つが、未だにこの空気に慣れず少しむずがゆい思いになりながら空いている席に座った。
その途端、夕香が大きな声を上げ寄ってくる。
「ねぇ、綾ちゃんも一緒にどう?冬の合宿」
「合宿、ですか」
「学生じゃあるまいし合宿っていうのは……」
「だめだっていうの? それに、人数は多い方がいいでしょ」
「……そうだね」
溜息を吐く退治屋。対して少し浮足立っている様子の夕香。それをあたふたしながら見守る朝子。
なぜかふとその光景が胸に染みた。
友達といえる人もいなかったから、こうして家族以外の人と過ごすことの意味と楽しさがなんとなくわかったような気がした。
再び訪ねてくる夕香に、今度ははっきりと答えた。