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ノクスはカオルの前で身体を伏せると、その大きな背中を顕にして指示をする。
「ここからルサーリアの家までは少し距離がありますからね、貴女の足に合わせていたら日が変わってしまいます。人を乗せるのは不本意ですが私の背に乗りなさい」
「あ、ありがとうございます……!」
礼を述べるとモフモフの背中へとよじ登るカオル。
その毛並みは先程の荒々しさからは想像できないほど上質な絨毯のように柔らかい。
あ、すごい……これ、寝ちゃう……。
身体的にも精神的にも疲労のピークに達しているカオルはノクスの背中にぐったり沈みこむと、秒で寝息を立て始めた。
「あ、こ、こら! 寝るんじゃありません! しっかり掴まってないと振り落とされますよ!」
「はうっ……ご、ごめんなさい!」
ノクスの叱声を聞き、眠気に負けそうな身体を慌てて無理矢理起こすカオル。
するとヘルバが大きな身体を動かしその側へと寄って来た。
「カオルや、これを持っていきなさい」
そう言うと彼は自身の本体でもある背中の木から長い蔓を触手のように器用に動かし、何かをカオルへと手渡す。
それは小さな木の葉のような飾りがついたネックレスと、木の枝のような一メートル程の長さの杖。
どうやら植物に覆われた巨体のどこかに隠し持っていた物らしい。
両手でそれを受け取ったカオルが尋ねる。
「これは……」
「かつてワシの友人であった魔女が身につけておった形見、どちらもウゥルカ様が拵えた逸品じゃ。世界樹の若葉の化石を使った首飾りと、その枝から造り出した魔法杖じゃ。呪毒湿原は人間には厳しい土地じゃからのう、これを肌身離さず持っておきなさい。きっと護ってくれるはずじゃ」
世界樹とはこの星のマナの循環を司る巨大な樹である。
樹齢はおよそ星の年齢に等しいと言われ、その高さは成層圏にまで達するそうだ。
世界を巡るマナ、生物は死ねば皆その魂と魔力はマナに還るらしい。
ゆえに世界樹の立つその地は、幽世の入り口とも言われている。
「甘やかしすぎですよ、ヘルバ殿」
「やかましいわい、いずれ朽ちるワシが持っておっても勿体ない物じゃ。さあカオル、落とさぬよう出発する前に身に付けておきなさい」
「いずれ朽ちるって……。貴方の姿、私が小さな頃から全く変わってませんがね……」
呆れるノクスを他所に、言われるままカオルは直ぐ様ネックレスを首に掛ける。
途端に感じるのは全身を包むような暖かい感覚。
決して気のせいではない、そう確信できるくらいには霊験あらたかな代物なのだろう。
「ありがとうございます……ヘルバ様……。あの……また、会えますか……?」
「ああ、何かあったらまた呼べばよい、できる限り力になるからのう」
「ぐっ……ほ、ほんとうに……ぐすっ、ありがとう……ございます……」
カオルは他者から親切にされることに慣れていない。そもそもヘルバが何故こんなに親切にしてくれるのかもよく解ってはいない。
それでも自然と涙が溢れてくる。
嬉しくて泣いたのは生まれて初めてだ。
ヘルバはそんなカオルの頭を、大き過ぎる手の代わりに木から伸ばした蔓で優しく撫でる。
「それに、色々と落ち着いたらノクスと一緒にうちを訪ねるとよい」
「は、はい……! 絶対行ぎまず……! ぐすっ」
「それ、乗せて行くのは私ですよね……」
嘆息するノクスに「まあそう言うでない」と一言残したヘルバは再び現れた空間の亀裂へとその巨体を埋め、住処へと帰って行った。
見届けた二人。
カオルは涙を拭い、ノクスは立ち上がると踵を返して目的地へと視点を合わせる。
「わっ、高い……!」
カオルはノクスの背から周囲を見下ろして驚く。
動物の背に乗ると、高所に登った時とはまた違った目線の高さを感じる事ができる。馬より遥かに大きなノクスだから尚更だ。
それは慣れてない者には時に恐怖心を抱かせるが、平気なものにはある種の高揚感を覚えさせる。
カオルは後者のようだ。
「では今から走りますが、馬のような上品な乗り心地ではありませんよ。それに、落ちたら怪我じゃ済みませんから気を抜いて寝ないように」
「はい……、よろしくお願いします……きゃっ!」
カオルの言葉を号砲にしてノクスは駆け出し、森の中へと飛び込んだ。
※
速い、凄い──!
ノクスの背に乗るカオルの頭に浮かんだ感想だ。
この辺りの道を知り尽くしているのだろう、レールを轢かれたジェットコースターのように、迷うことなく森を駆け巡るノクス。
早送りのように過ぎ去る景色。
巨大な木々達がまるで自分から避けてくれているように錯覚する程の目まぐるしい光景は正にスリル満点であり、先程まで彼女の意識を支配しようとしていた強烈な眠気はとうに吹き飛んだようだ。
その速さに次第に慣れてきたカオルは、しがみついていた身体を少し起こしてノクスに尋ねる。
「ノクス様、一つ聞いてもいいですか?」
「何です?」
人間には驚きの速度だが、ノクスにとっては喋りながらでも涼しい顔をしていられる程度らしく、足を緩めないままカオルの声に応える。
「ヘルバ様はどのような方なんですか? いつも誰にでもあんなに優しいんですか?」
「二つ聞いてますね……。あの方はこの森の最古参の神獣、聞いた話では千年前から人間や魔族を相手にこの森を護ってきたそうですよ。温厚な方ではありますが必要があれば人間くらい平気で殺しますからね、貴女がた人間の言う『優しい』が当てはまるかどうかは答えかねますね」
「そうですか……、じゃあやっぱり優しい方なんですね。あんなに強そうなのに誰かを護ることに力を使ってるんだから」
「まあ、そういう解釈ならそうなりますかね……」
「まだ聞いてもいいですか? ノクス様はどのような──」
カオルは真っ当な会話に飢えていたのか、敬いつつも恐れる事なく神獣に語り掛ける。
ノクスは「こちらが承諾する前にもう尋ねてますよ」そう言いかけたが黙って彼女の質問を聞き、答えていた。
酷く弱々しいくせに、物怖じしない不思議な少女。
ルサーリアの家に着くまでの暇潰しにはちょうどよいと、面白がりつつも誠実に質疑応答をするノクスであった。




