第五話「人はその制服どおりの人間になる」その3
ペリゴーヌ伯の屋敷はそれは大きく立派なものだった。六頭立ての馬車が横に二台入るような大きな鉄製の扉と手入れの行き届いた広々とした庭がまず出迎え、玄関には召使たちが揃っていた。
「さあどうぞ。積もる話の続きは中ですることにしましょう」
扉が開けられ、ペリゴーヌの召使が足の悪い彼を支えるようにして外に連れ出し、カロリーナとアントンもそれに続いた。
「久しぶりの御屋敷ですわ」
カロリーナは初めて来た屋敷に懐かしさのようなものを感じていた。貴族の雰囲気を肺一杯に吸い込んで深呼吸する。ボロアパートの屋根裏とは大違い。革命前に住んでいたソワン伯の屋敷を思い出す。これほど立派ではなかったが、雰囲気は近かった。生まれてこの方、貴族の屋敷の空気を吸っていた時間のほうが長い。
ペリゴーヌに先導されて二人は屋敷を部屋から部屋へ移動する。扉の前に立つとカロリーナは咄嗟に前に出て、開けようとした。
「なにしてるんですか?」
「あっ」
カロリーナはソワン伯の召使として生きてきた。しみついた習慣が思わず出てしまう。主人のために扉を開ける癖が。ペリゴーヌのような財力のある貴族なら扉ごとに開ける召使を抱えられるが、ソワン伯はさほど裕福ではなかったので一人の召使があれこれ兼任していた。
「あの、わたくしったら。庶民暮らしが長かったものですから」
カロリーナは笑顔を作ってごまかした。
◆
「軍の連隊長になるにあたって、必要なものはいろいろあります。指揮官の装備は全て自分で用立てるのが決まりですから。サーベルにピストルに、コンパス、望遠鏡……何より軍服です」
ペリゴーヌは歩きながら話をする。杖をついての歩みはゆっくりとしていているが足取りは確かだった。
「軍服は……?」
カロリーナの横を歩くアントンがそっと問いかける。
「持ってるわけありませんわ」
小声で答えると、先を歩いていたペリゴーヌが華麗なダンスを踊るような優雅さで振り返った。
「そう、軍服をお持ちのはずがない。女性は軍隊には行きませんからね、普通は。一から仕立てるとなると、時間がかかります。ナブリオーネ閣下は悠長に軍服を仕立てるのを待ってはくれません。明日には任地に向けて出発するよう求めていらっしゃいます」
「明日!」
準備をする暇などあったものではない。あのナブリオーネ、目つきが悪くて小太りなだけじゃなくてせっかちなのか。カロリーナは頬を膨らませる。
「そこで僭越ながら、こちらで軍服を用意させていただきました」
ペリゴーヌがパンパンと手を鳴らすと召使たちが三着の服と帽子を持ってやってきた。
「綺麗……」
というのがカロリーナの素直な感想だった。どれもこれも一流の職人が仕立てた、贅沢な品ばかりである。
「カロリーナさんの御用の仕立て屋を調べまして、寸法等を教えていただきました。ちょうど幸運なことに似たような寸法の服を何着か買い付けてきたのですが……」
そのうちの一着がカロリーナの目を特に引く。
大きなボタン。丸みを帯びたシルエット。艶のある深いロイヤルブルーに染められた生地はベルベット。金糸で職人の技巧を凝らした刺繍が施されて引き立てる。襟には白絹。帽子は大きな白い羽飾りのついた三角帽でこちらにも金糸の刺繍が施されていた。
「この服は?」
カロリーナがその服を指差すと、ペリゴーヌは口元に浮かべている余裕のある笑みが消えた。
「これは……おい! なぜこの服を出した!」
声を荒げて召使に叱責する。
「シャルル様、どうなさったのですか。わたくし何かお気に触るようなことを……?」
「失礼。いえ、この服はお出しするはずではなかったのです。もしや、これを気に入られたのですか?」
「うわ。なんだこの服、こんなの仕立てさせたら家が建ちますよ…ウッ」
横から余計なことを言うアントンのみぞおちにカロリーナの肘が入る。
「はい。とてもきれいで、優雅で、それに……何か特別な風に感じられました。けど、その、ご都合が悪いのならわたくしは他のでも……」
ペリゴーヌは顎に手を与えて少し思案するようだった。
「……侍女たちに手伝わせますので試着をなさいますか」
◆
肌ざわりは良い。抜群に良い。滑らかな裏地の感触が肌着よりも快適だった。着てみると殆ど体に合っているが流石に肩幅や腰回りに違和感を覚えないわけではなかった。この服を着て走り回ったり、サーベルを振り回すことは想像しづらかった。優雅な貴族の身のこなしこそ、この衣装に相応しいだろう。
「衣装に着られてるような感じですな。服に見合う威厳が無い」
事実だったが余計なことを言ってアントンはもう一度肘打ちを食らった。
「いかがですか、シャルル様」
「……よくお似合いです」
ニコニコと人懐こい笑顔を浮かべていたシャルルの瞳が一瞬、ここではないどこかを見つめ、まばたきする間の一瞬、表情が曇ったのをカロリーナは見逃さなかった。
「どうなさいました?」
「顔に出ましたか。私としたことが。その服の主のことを考えてしまいました」
「この服の主……?」
服は一着一着がオーダーメイドだ。服がある以上、それを職人に依頼した人間がいる。
「ええ。その服の元の持ち主は、ある大貴族の息子でした。王国の始まりから国王に従って戦場を駆け抜けた由緒ある軍人の家系に生まれたのです。その少年は軍人になることを両親に望まれ、彼自身も一族の伝統を守るつもりだったのです……が」
話をするシャルルの瞳をカロリーナはその大きな赤い瞳で見つめた。
「ある時、不幸な事故が起こって少年は足を痛め、軍人になる道を閉ざされてしまったのです。両親はひどく失望し、少年は心に深い傷を負って、軍服は屋敷のクローゼットにしまい込まれたのです」
「……その少年というのは」
「シャルル・デ・ペリゴーヌという少年です」
「ごめんなさい……」
カロリーナはしおれた花のように頭を垂れた。
「お気になさらず。いいえ、私のほうが謝るべきですね。このようないわくつきの軍服を貴女にお出ししてしまうとは」
「シャルル様!」
カロリーナは火花が散ったように飛び上がると、シャルルの手を握った。
「わたくしは、立派にこの軍服を着こなしてみせます。それで、その少年の分も働いて御覧にいれます!ですから、元気を出してくださいませ!」
シャルルは驚いたような顔をして、それからいつもの人懐こい笑みを浮かべた。




