第八話「政府は諸士に負うところ絶大であるにも関わらず」その2
村を出発して五日後。カロリーナたちは目的のヴァランの街に到着した。最初の予定よりも遅くなったのは、道中で徒歩の兵士たちが続々と合流してきたからだった。
「いつの間にか随分増えましたわね」
カロリーナは馬車の窓から兵士たちを見やる。最初は三十人ばかりだったのが、いつのまにか三百人ほどに増えている。
「いろんなところに分散してたのが集まって来たんでしょう。村で会ったクラリーとフレースの二人は大隊長。大隊はさらに六つの中隊に分かれます。一つが精鋭の擲弾兵の中隊、一つが射撃名人を集めたヴォルティジュール中隊、残りが普通に戦列を組んで戦う戦列歩兵です。分かりましたか?」
「ヴぉ? フュ? どれがどれでした?」
「はあ……まあとにかく、大きな集団は小さな集団に分かれてるんです。全部が同じ場所に集まると寝るところも食べ物も足りないので、普段はあちこち散らばって、戦う時に集まるんです」
「なるほど……ふぎゃっ」
その時、馬車が急停止してカロリーナは前のめりになって座席に顔を打ちつけた。
「何事ですか」
ジョミニが馬車の御者に確認する。
「人でさぁ。人が馬車の前に急に出て来たもんだから馬がびっくりしちまったようです!」
「人ぉ?」
カロリーナは傷めた鼻をさすりながら馬車から降りた。馬車の前に飛び出してきたという人物に文句の一つも言おうというのだった。
「あなた、馬車の前に飛び出してきたりして危ないでしょう!?」
歩み寄った先にいたのは子供だった。頬の肉がすっかりおちて痩せている。
「お腹が空いて目の前が真っ暗になって……」
「まあ……ご家族は? ご飯はどうしたの?」
「お父さんは病気で、お母さんが買ってきた食べ物は兵隊さんがみんな持って行ってしまって」
「なんてことを!」
カロリーナは全身の血がカッと熱くなるのを感じた。モネトウ村で兵士たちに感じた違和感の正体はこれだ。兵士たちが市民から食料を奪っている!
「ジョミニさん! 何か食べ物を」
カロリーナは自分のパンとチーズを持たせて子供をうちに返した。
「ジョミニさん! 軍隊はこんなことをして許されますの?」
「もちろん許されません。軍が遠征先で民間人から食料を調達するのはよくある話ですが……国に居ながらこんなことになってるのは確かに変ですね。一体どうなってるんでしょう?」
◆
連隊の本部は王国時代から使われている、石造の重厚で豪華な建物だった。貴族の屋敷と言っても通じるだろう。しかし奇妙なことに大隊長たちが待ち受ける部屋には部屋の豪華さとは裏腹に、質素な机と椅子のほかには屋敷にあるべき調度品や家具の類が一切なかった。
「お待ちしておりました連隊長閣下。私が第一大隊長のアレクサンドル・ヴァレフスです」
最初に挨拶したヴァレフスと名乗る男は老人、と言って良い。顔に深い皺が刻まれていて、耳が悪いのか声のボリュームがやたらと大きかった。しかし表情は明るく、櫛の抜けたようにいくつも抜けた歯を見せてにっこりと笑う様は若者のようだった。
「ヴァレフス? ということは東の出身でいらっしゃいますか?」
「はい。ピャスト王国からの亡命者です! どうぞ宜しく!」
ピャスト王国。カロリーナは記憶の引き出しを漁る。このコルスカ共和国の東、バーベンリア帝国のさらに東にある国である。コルスカが革命で大騒ぎしている間にバーベンリア帝国とその同盟国に侵略されて崩壊したと聞いている。
「第二大隊長のシャルル・ドニュエルです。祖国のため尽くします」
次に挨拶したドニュエルは精悍な顔つきで、ヴァレフスとは対照的に若々しい筋肉の塊のような大男だった。そしてなにより浅黒い肌を持っている。そのことにカロリーナは少し驚いた。
「ああ、私の肌が意外ですか。そうです。私の母はコルスカの植民地の出で元奴隷です。しかし革命政府が自由と平等をもたらしてくれました。肌や生まれではなく、実力によって地位を得られるこの素晴らしい国を守るため、粉骨砕身する所存です」
力強く握手されカロリーナは気圧された。
「あ、はい。よろしくお願いしますわ」
「改めて挨拶しましょう。第三大隊長のシモン・フレースです。銃口を向けられても怯まなかった閣下の手腕に期待しています」
カロリーナは薄ら笑みを浮かべるこのフレースの顔に「少し嫌い」のラベルを貼っている。態度は丁寧だが、初対面が乗っている馬車の襲撃では好意の抱きようもない。
「……」
「フランソワ。挨拶はしろ」
フレースに促されてそっぽを向いていたクラリーがようやく応じる。図体こそそびえたつ山のようだが、態度はまるで子供のそれだった。
「第四大隊長、フランソワ・クラリーだ。言っておくがお前の指図は受けないからな」
「それは命令不服従の宣言ですかクラリー大隊長。気を付けたほうがいいですよ」
ジョミニが口を挟む。
「なんだてめえ。ゲロ野郎……」
「やめろやめろ」
フレースが今にもジョミニにとびかかろうとするクラリーの腕を掴んだ。
カロリーナの記憶の人名帳にはフレースの名前の横に「嫌な奴」と書いてある。
「連隊の軍医長、ドミニク・コロンビエールです。閣下には私の仕事を減らすようお願いします」
フレースを無視するように、続けるのは軍医のコロンビエールだった。穏やかな紳士という言葉が相応しい。軍医の仕事と言えば、負傷した兵士の治療である。
「主計のベンジャミン・タルマです。部隊の補給状況について後ほどご報告があります」
最後に名乗ったタルマという男は軍人というよりも裕福な商人という風で、小太りで血色が不気味なほどよく、つやつやとしていた。妙に甘く良い匂いがするのは香水を振っているからだろう。
「集まっていただいてありがとうございます。早速ですがわたくしはあなたたちに言うべきことがあります。うちの兵士たちが民間人から食料を奪っている……これは一体どういうことですの? これが誇りあるコルスカの軍人のやることですか。 貴族を倒せ、パンを寄越せと革命をやっておきながら、自分たちはさらに弱い人間からパンを取り上げて平気なのですか! 恥を知りなさい恥を!」
「自由と平等の為に」と自分たち貴族を追いやった者たちがそれを踏みにじるのがカロリーナには許せなかった。その言葉には棘がある。
「平気? 平気なものか! 俺たちが誰のせいでこんなことになったと思ってやがる!」
その言葉に弾けたようにクラリーが反発した。さながら火山の噴火のように。その声色はジョミニに食って掛かった時とは違う切実さがあった。フレースがそれを止める。
「……閣下、お言葉は尤もながら、ぜひその前に御覧いただきたいものがあります。中庭にわが第一大隊が整列していますので、こちらへ……」
ヴァレフスに促され、カロリーナと一行は中庭へ向かった。
◆
「これは」
日差しの差し込む中庭でカロリーナが見たのはボロボロの兵士たちだった。
帽子を被っている者はほとんどおらず、青い制服も破れ、ズタズタで靴を履いている者は一人もいない。全員が土気色の顔をしている。
「御覧ください。わが軍の兵士たちです。皆、祖国のため、自由と平等のために志願した勇気ある若者たちです。それがなぜ、閣下の仰るように盗みに手を染めているのか。理由は一つです。我々も飢えているのです。再三政府に手紙を出しているのに、我々のところに十分な補給が来ていないのです……」
ヴァレフスが言うと重ねるようにクラリーが続けた。
「飢えと貧しさが人間から何を奪うのか、お前のような貴族の女にはわかるまい! 俺たちは英雄だった。民衆に自由と平等をもたらす解放者だった! それをこんな卑劣な盗賊に仕立てたのは政府のお偉方共だ。誰が好き好んで盗みなどやるものかよ!」
飢えと貧しさが何を奪うのかカロリーナには痛いほどわかる。お屋敷を追われてお嬢様と二人逃げ回る日々の辛さは思い返すだけでも震えが走る。盗みを働いて食べ物を得ようと思ったことも一度や二度ではない。
カロリーナには彼らの痛みが分かる。
「クラリー隊長」
カロリーナは頭を下げた。
「わたくしはあなたたちが民間人から盗む不正義を許しませんわ。そして同時に、政府があなたたちに十分な報いを与えない不公平も許しません。わたくしがきっと解決してみせます! 連隊長ソワン伯として!」




