番外2.勇者の本音
勇者は考えた。どう考えてもおかしいと考えた。
飲んでも飲んでもミルクティーが減らない。減っていない。ミルクティーは大好物だ。だから沢山飲めるのは良い。だが、限度がある。こんなに延々と並々されたらちょっと飲んでおかないといけない気になる。だから少しだけ飲む。のに、気付くとまた並々としている。
犯人は分かっていた。フツーに頭おかしいんとちゃうか、この王太子。
そして表面張力に感謝している。
「エリシア……、この勇者は些か常識に欠けていやしまいか? 辺境伯の所の令嬢だろう?」
「常識は学ばせてはあるそうなのですが……。道徳と言いますか倫理と言いますか……」
「どういうことだ?」
「わたしの性質だよ」
「性質?」
「基本的にさー、よくわからなんだよね。人間と魔の物の違い? 差? みたいなのが」
「どう言う事だ? 魔の物は人間と程近い種族なのか?」
「いや、そうじゃなくて……んー。例えば、犬。猫。あと牛。そいつらも一緒」
「ん? どう言う事だ?」
アナスタシアが説明を重ねれば重ねるほどラファエルの困惑は深まった。
当代勇者の不可思議な言動の理由か分かるかと思って尋ねてみたが、何も分からない上に新たな疑問ばかりが増えてゆく。
そして何やら嫌な予感がした。
聞くんじゃなかったと未来の自分が嘆いている気配がするのは気のせいだろうか。
「人間は犬や猫を飼うでしょ? 牛、豚、鶏を食べるでしょ? 魔の物を罪悪感も無しに殺すでしょ? でも、わたしからしたら全てに差が無い。魔の物のように人を殺せるし、犬のように人を飼える」
「何を……言っているんだ……」
ちょっと意味が分からない。分かるけれど分かりたくない。
「ラフィー様、お気を確かに。今の言葉の通り、この子は秩序が欠落しています。貴族として、人として、きちんとした教育は受けているのですが、知識として知っているだけで実感が伴っていないのです」
「いや、だが……これでは余りにも」
「ええ。魔の物に近い。いいえ、魔の物よりも余程質が悪い。人から人として生まれ、人に人として育てられましたが、如何せん人としての心が欠落している。そして魔の物すら泣かせる。……それが当代の勇者アナスタシアです」
「人間辞めるつもりないからちゃんと秩序は守ってるよー」
あっけらかんと言い放つアナスタシアに引け目はまるでない。彼女にとってはこれが当たり前で通常なのだろう。
その何とも思っていない様が余計にラファエルの困惑を深めていく。
ああ、やはりあれは未来の自分からの警告だったのだ。――聞くんじゃなかった。
「分かり易い過去の例で言えば、この子が七つの頃の事でしょうか。彼女の美しさは幼い頃から完成されていました。辺境伯家の姫とあって、多くの者が彼女を手篭めにせんと策略を巡らせていたのです。そして起きたのがアナスタシア誘拐未遂事件」
「ん? 待て。王家にはそのような報告は上がって来ていないぞ……?」
「親族一同の話し合いの末、概略のみ報告を上げさせて頂きました。申し訳ございません」
「いや、何か理由があったのだろう? そう言えば見目の良い子供を狙った組織の活動が活発化していると言う報告が来ていたな……」
「はい、それです」
当時、子供を攫い人身売買を行っている集団が問題となっていた。魔の物の活動が活発化しており、人間同士で争っている場合ではないのに……と報告書を読んでラファエルも苦々しく感じた覚えがある。
けれど、確かあの一団はヘマをしたのか仲間割れを起こしたのか、上層部の人間がこぞって亡くなり瓦解した筈だ。もしかしたら数人取り逃がしてしまったかも知れないが、残る中層部や下っ端達を辺境伯と王家が手を組み一網打尽にした。
その切っ掛けとなったのが辺境伯よりもたらされた一団の参謀の首というものだった。たまたま街中で誘拐現場に出くわし、被害者を守る為に生け捕りを諦めたと聞いていたがどうやら違うらしい。
ラファエルの背中を嫌な汗が伝っていった。
「あの日は、サーシャにも婚約者をと選定された候補の一人と外出していたそうです。一瞬の護衛の隙をついて誑かそうとした破落戸は、けれどもすぐにその婚約者候補の方と護衛により捕らえられました」
「生け捕りに成功していたのか?」
「はい。……最初は。付き添っていた侍女が捕物を見せないよう幼い彼女を抱き込み、目隠しをしていたのですが……、サーシャはその腕から抜け出して、護衛の剣を奪い破落戸らの首を刎ねたのです」
「七つの子が……? 待て。つまりその時に手をかけたのが一団の参謀だったと?」
「ええ。恐らく以前よりサーシャを狙っていたのだと思います。ただ、当時あの子への警護はかなり強固でした」
「それが故に上層部までもがわざわざ出てきたのか」
「現在我が国において最強の剣士と呼び声高いリアム卿、当時から剣の腕が優れていると言われていた彼が、その日のお見合い相手だったのですが……彼をもってしても剣筋がまるで見えなかったそうです」
「さ、流石は勇者だな……」
「ええ、そうですね。そうして誘拐されかけ一瞬で破落戸らの首を刎ねたサーシャは一言」
「なるほど」
「と言ったそうです」
本人による当時の台詞の再現が行われたが背筋がぞっとしただけだった。ぶっちゃけいらない。
何これ怖い。
「何がなるほどなんだ、何が」
「人を殺すというのは、首を刎ねるというのは、どういう事なのかについて心境と手応え」
「パスみが強過ぎる!! 止めてくれ! 詳しく語らないでくれ何かを失いそうだ!!」
「こうしてリアム卿とサーシャの婚約は整いました。そして私達は相談の末、この子の情操教育を徹底的に行わねばならないと決めたのです。王家へのご報告に真実を載せなかったのは、今より幼かったこの子を囲い込もうとされたら命が危ういと思ったからです」
「そうですね。王家に無理やり連れて行かれそうになったら、当時のわたしだったら全員スパーンしてましたね」
「凄いなリアム卿! 何故だ、何故目の前でそんな事態を見てこれと婚約を進められる」
「手綱が必要だと思ったんだって。わたしが人としての道から外れない為の手綱が」
「素晴らしい誠心だな、リアム卿。そうしてお前の隣に立つ為に剣の腕を磨いたのか」
「魔王討伐の際も迷うことなくサーシャの伴になったのですよ」
「置いてったけどね」
「酷いっ!!」
アナスタシアの婚約者だとは知らなかったが、ラファエルでも名前は聞いた事がある。
辺境に入り浸ってまるで王都へ近付かない者が故に、もう姿もあまり記憶に無いがその腕前は知っていた。この国の民であれば殆どが知っている。
魔の物の襲撃からも、こんな時代だというのに戦を仕掛けてくる隣国からの驚異からも剣の腕一つで国を守る、そんな守護者として人々の尊敬を集めている人物だ。しかも女性からとても好かれる見目との噂だ。
そんな人物を平然と蔑ろにするのはこの勇者くらいでは無いだろうか。
「あとは顔」
「顔?」
「この顔が好みど真ん中なんだって。あと声も」
「えええ……だからってなあ。そもそも、お前もよく頷いたものだ」
この性格の者をよく選べたものだとラファエルは怪訝に思った。しかもまだ幼い。
あのリアム卿であれば選り取り見取りであろうに、何故この勇者なのか。疑問は増すばかりだ。
「外見が中身を裏切っているのか中身が外見を裏切っているのか分からないけれど、どちらにしろ確実に詐欺だから責任持って婚約しろ。結婚しなくて良いから婚約しろって言われてめちゃめちゃ笑ったんだよね」
「全体的に意味が分からん。それは口説き文句なのか?」
「アナスタシアを相手に普通に口説いても、この子は気持ち悪がるばかりでしたので、もう形振り構わず取れる手段は何でもという状態でした」
「凄まじいな」
破れ蓋に綴じ鍋なのかも知れない。
「ねえ、サーシャ。リアム卿は今どこにいるのかしら?」
「分かりません。そして興味も無いので調べていません。わたし、一度行った場所に一瞬で移動できまして、気が向いたら魔王の所へ向かって飽きたら帰ってごろごろしていたのですが」
「まさかの魔王討伐記」
「次やる気になった時は前回の続きから出来るのです。だから、いつもそこで待機できるように頑張ってたらしいですね。何度か見掛けました。遅いから置いてってたけど」
「凄い可哀相になってきた」
「なんだかんだで魔王討伐から半月も経っていませんからね。最北の地からここまで何ヶ月もかかりますから……。ご無事だと良いのですけれど」
「婚約者くらい連れてってやれよ」
「おい廃太子。わたしが誘拐されかかったのはな、王国歴五百六年の十月二十日なんだ」
「え? あ、ああ。そうか」
「エリシアと王都の薔薇園へ行った。薔薇より余程美しい彼女しか目に」
「待て待て待て待て待て待て待て待て!! 突然の日記の朗読止めろ!」
脈絡無く始まった日記の朗読に思わずラファエルは大声で静止に入った。膝にエリシアがいるので立ち上がれないが下ろす気は更々無い。
とりあえず勇者の目の前に茶菓子を並べていく。
マカロン、スコーン、タルト、フィナンシェ、ワッフル……マカロンだけ除けられた。どうやらアナスタシアはマカロンが嫌いらしい。
「ラフィー様、本当に私の事ばかりですのね……。少し気恥ずかしいですがとても嬉しい」
「シシィ……当然の事では無いか。君と出逢った日から私の全ては君のものだ」
「ラフィー様、私の全てもラフィー様のものです。やっとこうして言葉に出来てどんなに嬉しいか……」
「ありがとう、シシィ。長い間、君には本当に苦労ばかりしてきてしまって、王族としても一人の男としても不甲斐ないよ」
「いいえ。いいえ。貴方様のお力になれると思えばどんなにつらい事でも頑張れましたわ」
「なんて謙虚で健気なんだ、シシィ……」
「あまーーーい!! 甘いよ、甘過ぎるよこの空気! もう嫌だよー! 勇者ホントに帰りたいっ」
「いや、本当にすまない。度々存在を忘れて本当に申し訳無いと思っている」
全く謝罪になっていない謝罪に対して勇者は遂にキレた。
「二択だ。山に沈むか海に埋まるか選べ」
「どちらもダメよ、サーシャ。何度もごめんなさい」
「わたしは既に許しています」
が、その怒りも瞬時に霧散した。
「シシィに甘いな」
「お前もだろ」
「確かに」
「王太子はめちゃめちゃ嫌いだけど、エリーお姉様が最優先ってとこに関してだけは尊敬してるし同意だし協力するよ。してるよ。だから幽閉塔から出すよう正規の手順で働きかけたし、こうしてお姉様といられるようにしたのにまるで感謝が無いよね。感謝が。勇者の頑張りに対して感謝が、王太子から無いよね」
「よくやったよくやった。お前は本当によくやっているよ、勇者」
にこにこ笑顔を浮かべてラファエルはアナスタシアのカップにミルクティーを注いだ。
「だから! さっきから飲み終えてないのになんで注ぐ。飲んでも飲んでも並々してる!」
「ずっと飲み続けて喋らなければ良いなと。そうしたら私だけがシシィと話せる」
「じゃあなんで脅してまで勇者をここに呼んだの!?」
「シシィ不足で後処理速度が落ちても困るから、少しシシィを補給させてやろうという優しさだ」
「疚しさしかねぇな、この王太子」
何度目になるか分からない舌打ちをアナスタシアがした所で、王族護衛専門の騎士が茶会の場にやって来た。
一応はまだ王太子という立場にあるラファエルが、急用でない限り近寄るなと厳命されているので急ぎなのだろう。
目礼をする騎士にラファエルが軽く手を挙げて許可を出す。
「ご歓談中、失礼致します。王太子殿下、勇者様にお客人です」
「誰だ?」
「リュシエル・リアム様、勇者様のご婚約者であらせられるリアム卿です。如何致しましょう」
「何だと!? 今すぐに連れて来い! 今すぐにだ、すぐ! おい、もう一人分の席も用意してくれ」
ラファエルの許可を得た騎士は客人の出迎えに行き、命じられた侍女達は急遽テーブルに席を一つ追加した。
「え……、なんでそんな嬉々としてんの、王太子さん」
「邪悪勇者の婚約者とか絶対に見たい」
今日一番大きなアナスタシアの舌打ちが響いた。