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自分の経験を社会に押し付けようとしている時点で、すでに「老害」

 エックセズを眺めてたら、タイムラインにこんな文章がありました。


『53歳の父が「多様性社会が生きづらい、自分は人生のほとんどを理不尽・罵声が当然の昭和で過ごしてしまったから、今の時代で許されないことを本当の意味で理解できていない だけど老害になりたくないので沈黙を選択していて、結果的に社会での自由な発言権を失っているため生きづらい」と言っていた』


 二重鉤括弧部分、えっくせずより引用。


 みなさんはこれを読んで、どう思われますか?


 ぼくは、これを読んで悲しくなりました。


 多様性社会とか昭和とか発言権とかは「お気持ちを理論武装するための後付け」なんで、すげーどうでもいいんですけど、これ、「怒りが抑えられなくって、嫌われることを怖れてる、でももう長く保ちそうもない」という悲鳴なんですよね。


 悲しいな、と。


 ただ、同時にちょっとお子さんに甘え過ぎ、とも思いました。


「自由な発言権」云々の部分。


 ここはお子さんに「もうダメそうだから、お子さんぐらいはおれをかわいそうと思って理不尽な罵声を受け入れろ」って意味なんで、いかがなもんかと思います。


 書いてて思ったんですが、これ、認知症の類型(FTD)かも。


 そうすると、あんまり悪くは言えませんね。


 今回はそんなお話。

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