多様性は結果であるべき説(イノベーションの観点から)
多様性は人権尊重の結果であって、目的とするべきものじゃないっていうのが、今回のお話。
例えば、多様性を目的とした場合、イノベーションを波及させる下地となる需要トレンドの形成が阻害されてイノベーションの妨げになる。
どういうことか。
イノベーションが波及するためにはあらかじめ需要のトレンドが必要だ。
例えば、ある多様性の高い国に住む、その国ではごく少数のある部族の人が、「黒いカラスは宗教的に不吉だ」という理由で、カラスだけを白くする無毒なウイルスを発明したとしよう。
その価値観を共有している人は「その多様性の高い国にはほとんどいない」。
だから、そのイノベーションはその多様性の高い国では埋没して日の目を見なかった。
ところが、もしその少数部族が単一部族国家を作って集まっていたとすれば、もちろんその集団に多様性なんてないわけだけど、そのイノベーションは日の目を見る。
そうして、でてきた成果は、他所の国でも別の理由によって、例えば「黒いカラス気持ち悪いよねー」と思ってる人たちが多かった、などという理由によって、そのウイルスを購入してくれて、発明者を擁する国は経済的に豊かになることができるかもしれない。
現実的にイノベーションに割かれるリソースは有限だし、多様性はエントロピーを増やし、リソースを食いつぶす。
多様性の高い国は多様性の低い国と比べて相対的にイノベーションが波及する確率がかなり下がる。
そんなわけでイノベーションの観点から、多様性なんて目的にするべきじゃない、多様性は人権尊重の結果に留めるべきだって言うのがぼくの意見。
多様性を目的にするように働きかけるのは、近隣諸国でイノベーションを生じにくくして近隣諸国の国力が増えるのを防ぐためのプロパガンダなんじゃないの? っていう。




