吊り橋効果≒ヤンデレ萌え説
社会心理学の実験で「吊り橋実験」と言われるものがある。
詳細はググってもらうとして、ざっくりというと「不安定な吊り橋で出会った相手が魅力的かどうかを聞くと、安定した石橋の上で出会った相手が魅力的かどうかを聞くよりも魅力的だと答える人が有意に多い」というような実験。
「吊り橋効果」のほうが耳にする機会が多いかもしれないこんなお話、みなさん一度は耳にされたことがあるんじゃないかな?
このエッセイの数話前で出した『艶サラポニーで背筋のS字カーブが美しい女の子のAI画』のタイトルになっているアレだ(ちなみに『』の部分の表出に全技術と全フェチを注ぎ込んだ)。
最近、追加実験によって、この「吊り橋効果」、「ただしイケメンに限る」案件であるということがわかった。
まず、どんな機序で「吊り橋効果」が起こるかを説明しよう。
それは、「不安定な吊り橋からくる恐怖のドキドキを恋愛のドキドキと誤認する」という理屈なんだけど、「人間の脳は、普通には、因果を正しく認識しない」からさもありなん。
ただ、あくまで「誤認」ではあるので、「吊り橋効果」はそもそも相手を「好感を抱く対象」として見ていないと起きないってわけ。
片思いのみんなにはとっても残念なお知らせです。
好きな子を吊り橋に連れて行っても、きみの器量が相手もこっちに好感を持つぐらいじゃないと、吊り橋効果は「無効」どころか「恐怖の分マイナス」になってしまう。
数式化するならこうだ。
好感×恐怖=吊り橋効果
(但し、好感>恐怖,好感>0)
ちなみに、ヤンデレ萌えも同じような前提条件を持っていると推測される。
すなわち、
好感×恐怖=ヤンデレ萌え
(但し、好感>恐怖,好感>0)
ゆえに、「吊り橋効果≒ヤンデレ萌え」といえる。
例えば、自分の子供がサイコなヤンデレ気質だったとする。
この場合、親は普通の子に接するより「恐怖の掛け算」分、余計に愛を注ぎ甘やかす。
子供が小さいうちはいいのだが、子供が反抗期になると、甘やかされたことによって子供は手のつけられないルナティック(狂気的)な子供と化す。
やがて、好感<恐怖になると考えられるから、注がれる愛は「恐怖分マイナス」になって、「かつてベタベタに甘やかしていたにも関わらず、客観的に見るとよそよそしい」ような関係に落ち着くんじゃないのかな。
例えば親を「ドライバーさん」とか「奴隷」と呼んだり、子供を「お嬢さん」と呼んだりするような。
はたから見るととても奇妙な、とある事件の狂った親子の関係性は、あるいはこんな理屈によるかもしれない。
今回はそんなお話。




