創作物に必要な『引き算』(画像あり)
『音楽』でも『小説』でも『絵画』でも、ぼくは『創作物には受け手が想像する余地があることが必要』だと思ってます。
「自分のためだけの作品、自分の中だけで完結する作品」なんて、いったい誰がみたいと思うのか? と、そう思うからです。
ぼくが心底作品へのご感想をいただきたいのも、そういう理由によります。
感想を含めて一つの作品となる、と思っているということです。
感想は作品の意訳だ、ということをぼくは以前に書いてますけれど、それは『人間の認知の仕組み』の話であって、心情的に『ぼくがそう思っている』というわけではない。
ぼくは、もっとシンプルに、(※著作権の話ではなく作品を論じる上でのスタンスとして)、作品はいろんな人のものだ、と思ってます。
そうしてみると、「画像生成AIの絵」を見たくないという方は、「その作品が自分に向けられたものじゃない」ということを暗に感じとられているのかもしれません。
そうだとすると、大変納得のいく話です。
『自分に宛てられたものじゃないからこそ、興味もわかない』と。
みてみんで、「ぼくが組んだ画像生成AIの出力した画」と「他の作者様が組んだ画像生成AIが出力した画」を比較してみて、『大きな違い』があることに気づきました。
それは『引き算』の有無です。
ぼくの出力した画は引き算で作っているけれど、ほかはそうではない。
ああ、生成ガチャってこういうことか、とその時に理解できました。
みてみんのAI画像タグをみてみると、想像の余地のない画ばっかりなんですよ。
運否天賦、偶然組み合わせたら出てきた画だろうなぁ、みたいな。
画に特異性があれば、あるいは一点もの感があれば、珍しいシーンとして感動を呼ぶこともできるかもしれませんけど、そうじゃない。
あるのはありふれたアニメ絵です。
画像生成AIがお嫌いな方にむけて、言いたい。
『引き算して作った画』をどうぞ見ていってください。
この画のテーマは吊り橋効果です。
よく見ると手が破綻しているなど、問題はありますが、どっちの子が誘って連れてきたのか、とか、このあとどうなったのか、とか。
色々と、想像の余地のある画になっているんじゃないかなと思います。
今回はそんなお話。




