空気を読むのは、高度な自動計算の結果かもしれない説
最近えくせずで見たんだけど、群れの動物って早送りにすると液体みたいな動きをしているんですって。
障害物を避ける川の流れみたいに、うまいこと障害物を避けて、群れの数を損なわないような動きをしている。
もちろん当てはまらないこともあるよ? 餌が目の前にあるときとかさ。
『目的がないときの動きは』といったらいいかな?
人にも同じことが言える。
人が流れにのるとき、一般に、思考停止扱いされるじゃない?
流れに乗っかってるだけの人は、何も考えていない。思考停止である。
こういう批判、なろうでもよくみますよね。
よくよく考えるとぼくはこれ、間違ってると思うんだよね。
思考停止なんじゃなくて自動的に処理されてるだけで、実はコストを最小化するような計算がなされてるんじゃないの? って。
つまり『空気を読む』ってことは、衝突のリスクを下げるためのコスト最小化の計算結果なんじゃないかな? って思うのだ。
それが動物に生得的に備わってる機能だから、流れに乗ることがあたかもつまらないことのように見えるんじゃないかな?
誰もありがたがらないけれど、命には実はとってもありがたい自動計算機能が備わっている。
今回はそんなお話。




