正義の反対は別の正義?
「正義の反対は、別の正義」というよくあるフレーズに疑問を持ったので、ちょろっと考えてみた。
「正義の反対に別の正義があること」って、実のところそんなに多くないのでは? って。
今回は、そんな小話。
まず、世界の善悪を象徴する球を想像してみよう。
コアの部分が『悪』で、表面が『正義』だ。
中心点からそれぞれ等距離に正義が存在していて、正義が球面をなしている。
正義同士は中心から等しく遠く、当価値だ。
中心には、正真正銘の『真の悪』があるはずだけれども、世界のみんなが悪と思うような悪は、実在がおぼつかない。
代わりに、中心付近の芯の部分に多くの人が思い描く悪が、細長く存在している。
悪の種を携えた、芯の悪だ。
芯の悪は表層の正義に隠れ、中ですくすくと育つ。
ちなみに光の当たる側からみた『芯の悪』と光の当たらない側からみた『芯の悪』は、違った姿を見せる。
そして、芯の悪は悪として複数の姿を持つだけでなく、上と下とでは正義の球面に接していて、正義としての側面も持っているのだ。
日が傾いてきた。
ぼくは、ぽいっと果物の芯を三角コーナーに投げ捨てた。




