親ガチャとか才能とかってさ
親ガチャとか才能とかに言及するお話を見るたびに、毎回不思議に思うんだけどさ。
なんか前提として、「スタート地点はみんな一緒!」みたいな思い込みがありません?
『人々には才能の差がある』と発見されましたとかさ。
『親ガチャがある』と発見されましたとかさ。
あるいは逆に、『親ガチャをあるって認めないやつは悪いやつ!』ってさぁ。
なんでもいいけど、スタート地点って元々みんな違いますやん?
お金持ちの家もあれば、そうじゃない家もあるしさ。
早生まれの人もあれば、遅生まれの人もいる。
アレルギー体質の人もいれば、そうじゃない人もいる。
そういう要素の一個一個が、親ガチャだったり才能だったりするだけでさ。
本質的には、『そりゃ、スタート地点はみんな違うよ?』ってだけの同じ話なんだけど、あちこちで頻繁に再発見されるよね。
なんで?
そんで努力は無駄だったんだー、ってなぜか少なくはない人が謎の安心をして、パラシュートもなしで自由落下していくんだ。
むしろね?
スタート位置の差が残酷だからこそ、悪あがきするんじゃないですか?
それを努力というか? はしらんけど、生きるってつらいよね。
今回はそんなお話。




