マウント考(改)
以前書いたけど、第3者に選択権がある限り、望むと望まないに関わらず競争は起こる。
集団の中に、『ぼく』と『あなた』と『へぼピーな人たち』がいて、第3者が誰か一人だけを選ぶというようなシチュエーションを想像してみてください。
競争してるつもりなんかなくたって、絶対誰か一人だけが選ばれる(得をする)状態が起こるでしょ?
僕らの意思は全無視で、勝手に競争状態が作られる。
多様性がー!、みんな仲良くがー!、 同時にテープがー!、なんて不可能でさ。
それらは実のところ箱庭の中だけでしか成立しないお花畑だ。
人生が箱庭で完結するならお花畑も大いにありなんだけど、そうはいかないじゃん?
自分がくそでか箱庭の主催になれば話は別ですけれど、それは世界征服をするような話。
クラスみんなで同時にテープがー!とか綺麗事を言っているとき、皮肉なことに先生はだれよりも独裁者に近い。
独裁者になれないのなら、現実、ぼくらが意識しないといけないのはマウント相手でなく選択者である第3者だよね。
小説でも一緒。
『作者』相手にマウントをとっても意味がなく、意識しないといけないのは『読者』という当たり前の話なんですけどね。
エッセイなんか見てると競争相手が云々カンヌンみたいな一体どこを見て作品を書かれてらっしゃるんだかさっぱりわからんようなのを目にしたりする。不思議。
みなさん過去問って買いますよね?
選択者の方を見て特化型の対策をしてる人に勝つのは難しいですよ?
漫然と競争相手を見てやった場合とでは費用対効果が違いすぎるからさ。
今回はそんなお話。




