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啓蒙活動はいずれ大衆蔑視に至る

 なろうでそれまで啓蒙活動をしていた作家さんが、ある日突然大衆蔑視に傾くような事例をいくつか見ていて、原因がどこにあるのかを考えていた。


 おそらく損失回避のバイアスがはたらいているんじゃないかな、って。


『今まで啓蒙活動をしていたことが無駄だった』と認めたくないために、大衆の理解度にその代償を求めるんだ。


 ニーチェの曰くところの『畜群』とか。


 自分を正しいと思いたい自己暗示、発言を撤回したくない自己保身、孤立によるプレッシャーなんかも背景にあるかもしれない。


 大概の人は啓蒙活動に興味がないし、お説教されそうで近寄りたくないものだから。


 本当に分が悪い。


 ぼくには、啓蒙活動はできない。


 知性が、遺伝的要因、環境的要因、本人に起因の3つに分かれるのなら、啓蒙が届く確率は初手の段階で3割しか無い。


 そこから確率計算していくと、歩の悪すぎるかけだ。


 政治家になって、環境要因に直接働きかけるほうがまだ可能性がある。


 そうして啓蒙で得るものは、ほぼ無い。


 評価もされず虚しい行いだ。


 ぼくは、ぼくと意見は違えども、啓蒙活動をしてる人を自分にできないことをしている人として尊敬している。


 けれど、現状はポイントを入れるぐらいしかぼくにはできない。


 堕ちていくさまを見守るしかできないのだ。


 悲しいことだ。

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