chatgptのお話
chatgptってありますよね。
今回はゆるーくアレについて語ってみようと思います。
今のチャットボットブームの先駆けみたいなやつなんですけれど、みなさんはもうお試しですか?
チャットを打ち込むと小気味よく返してくれますね。
まるで機械とおしゃべりしてるみたいで楽しくなります。おしゃべり相手のいなかったぼくにとっては『子供の頃の夢』が実現した気分です。
閑話休題。
世間のアレに対する評価は様々で、両極端の意見が多いように思います。
曰く、質問すると、嘘八百のことをそれっぽく返してきて使えない、ネットの情報が信頼できなくなる悪の破壊者とかさ。
曰く、あれは神。いずれ全ての仕事がなくなる、ベーシックインカムで遊んで暮らせるんガーとかさ。
どっちも大げさですよね。
このエッセイを読んでくれたあなたに、アレの本質をお伝えしましょう。
1.chatgptは、どんな言葉でも翻訳できる万能翻訳機の雛である。
chatgptは、学習データの量と質そしてハードの性能が十分にあれば、原理上は世界中のどんな言語でも翻訳できる万能翻訳機です。
多言語に対応してるんじゃなくってね。
学習さえ十分なら、どんな言語も翻訳できるんです。
言語学の叡智の結晶。それこそがchatgptの真価です。
資料が十分にあれば古代語でも、いずれは暗号でさえも翻訳できるっていう万能の翻訳機の雛なんですよ。
今はまだ無理ですよ?
世界一簡単なrot13すら満足に解けないし、5桁の掛け算を間違えたりする。
計算が苦手と言われたりしますけど、そもそも、あれは、『質問された四則演算をしてるわけではない』んです。
『何でも答えてくれる人工知能と喋ってる』という認識は間違いです。
機械が質問に答えてるように見えるじゃないですか?
そうじゃないんです。
考えてるように見えるじゃないですか?
そうじゃないんです。
もちろん人格なんて持ってないし、意識も思考もありません。
めちゃくちゃ難しいけど本当のことを言いますよ?
アレは、質問を回答へと翻訳してるの。
だからアホな質問からはアホな答えが帰ってきます。
そりゃ答えもアホになりますよ? 質問がアホならば。
使えないというやつはお前が使えないんだよ、みたいな話です。
嘆かわしいのは、日本の最高学府の『AI研究者を教え育てるような人たち』が堂々と間違った使い方してドヤってるところですね。
本気にしてもそうでないにしても絶望しかない。
2.アレは、分類機である。
このエッセイの前の方でちょろっと書いた気がするけど、アレは分類器の一種と考えることができます。
すなわち、過去や現在の確定していることには分類を行い、未来のことは予測を行う器械です。
だからそういうのをわかったうえで質問をすると有意義な答えが帰ってきます。
アレは究極的に正しい答えを出す努力を行っていますが、並の聞き方をしたら正しい答えは帰ってきません。確率100%がないのと同じような話です。
まぁ、wikiだって論文だって定説ですらも将来的には覆されるかもしれないので、そこを求めてもしょうがないだろと、ぼくは思います。
ただ、みんなアレをコンピューターだと思ってるから、回答の正しさ『だけ』を評価するんですよね。
そういう使い方をするなら、wikiのほうがましです。
もう少しだけいうと、AIには汎化性能があるので、抽象度の高い質問をすると正解からは遠ざかります。
試験問題の難問みたいに一意に定まらないような聞き方をすると、原理的に解から遠ざかった答えが返ってくるんです。
東○ボくんの失敗とか、あたりまえの予定調和すぎて、ぼくにいわせれば『研究予算集めるの大変ですね』って話です。
今回はそんなお話。




