ざまぁ=勧善懲悪説
最近、『ざまぁ』が好きか嫌いかで盛りあがってたらしいですね。エッセイ界隈。
それはどうでもいいんだけど、なろうユーザーの入れ替わりを感じてしんみりとしちゃうよね。
話題の循環を見るに、ぼくも古株になったなぁって。
それはさておき。
ぼくは『ざまぁ』って『勧善懲悪もの』の亜種だと思うんだよね。
古くから勧善懲悪ものってあるじゃないですか。
例えばさるかに合戦とかさ。
アレのね、『善』の部分が歪んだ『勧善懲悪もの』が『ざまぁ』といいますか。
悪いものが倒されるから読んだ人はスッキリするんだけど、善の部分がおかしいから批判もくる。
独善というか、子供っぽい善というか。
必ずしも相手悪く無いじゃん? なんでイキってんの? みたいな。
物語だと、追放される側がマジで無能とかさ。
リアルだと、マスコミとかツ○フェミがさ。情報を切り取って印象操作したりするじゃない?
ある一部を切り取って、反対の意味にしちゃったりさ。
アレは彼らの邪悪故か?、それとも彼らの無能故か?
なーんて。答えは、どっちでもなくて独善(彼ら目線の正義)ゆえなんだけどね。
まずい『ざまぁもの』には、そういった独善臭さがある。
『善』の部分で読者と作者のコンセンサスが得られてないんだよね。
しかも、まともな勧善懲悪ものは印籠を45分で出すところを、なろうテンプレだと開始5分でやっちゃうw
残り45分どうするか? っていうと、苦しまぎれの『学園編』が始まったりする。
この様式美よ!
素人臭さというか、独特のB級ヌクモリティを感じて、ぼくは結構好きw




