短期記憶の大きさが『ものごとの考え方』に影響を及ぼす
最近、短期記憶の大きさが『ものごとの考え方』に影響を及ぼすなぁ、ってことを実感しています。
今回はそんなお話。
まず、二元論の二元に棒の生えたような価値観の人たちを想定します。
つまり、2チャンク以上3チャンク以下の短期記憶がある人たちを想定すると、例えば、場面をこんなふうにきりわけるんですよ。
1.私、あなた、学校の人(職場の人、同じグループの人たち)。
2.私の属する場所、あなたの属する場所、それ以外。
3.一部の善良な人。悪の権力者側の人。無関心な大衆。
対立概念にプラスして、棒の部分に、『考慮に入れられたり入れられなかったりする抽象的なもの』を含みます。
本質的に比較可能な構造を持ちますので、マウントが日常的に起こります。
二元の棒の部分を外に出した場合は、性悪説です。
1.家族か。使用人(友達)か。敵か。
2.真実に気づいてる人か。真実に気づいてない人か。真実を知ることを妨害する巨大な組織か。
このパターンだと陰謀論に走りそうですね。
2チャンクでも似たような感じ。
1.身内(同じ宗教)、それ以外は敵。
2.褒めてくれる人、それ以外は敵。
3.ハッピーな出来事、それ以外は宇宙。
短期記憶が2チャンク以下の人ならば、ケーキを3等分するのは無理かもしれない。
年をとると短期記憶は衰えてくるそうですから、ぼくらも気をつけないとそうなるかもしれません。
年を取ると、左右の極論や陰謀論にハマる人が出るのは、案外、短期記憶の衰えが原因かもな。って。
逆に、短期記憶がばかでかい人はこれを使って相手の思考を先読みすることが出来ますが、それをやるとお相手は『監視されている』と邪推しますので、そーいうのはわかっても黙ってるのが善しです。
たとえば、ホームズが探偵じゃなかったら、畏れられて孤立するでしょう?
ワトソン君は、『氷河期マンが何も成し遂げていないと、どこかでディスられたね? だから、君は「平成ゆとりは何も成し遂げていない(キリッ」などと、平成ポップ云々のエセーを書いたのだろう?』とかさ。
そんなお話。




