囚人のジレンマとパレート最適とSDGs
お酒を飲みながら考えた与太話なんだけどさ。
ツイッタを見てたら『囚人のジレンマ』の戦略が、パレート最適の成否(有限回実行するか無限回実行するかの持続性の差)で変わることを説明してる人がいて、なるほどなーって思った。
ってことは、さ?
パレート最適を目的として、『持続性を標榜する』ようなこともあるんじゃないかなぁ、と。
ゼロサムゲームを成立させる条件が実は『持続性』、ってこともあるように思うんだよね。
つまり、持続性は目的ではなくパレート最適を実現させる支配戦略、みたいなこともあるんじゃね? って。
何の話かっていうと、SDGsなんだけどね。
現状パレート最適化されていない世界で、持続性をことさら強く標榜するとどうなるか?
貧富の格差を固定化することになるんじゃね? と。
みんな薄々感じてると思うけど、SDGsってお金持ちの発想なんだよね。
もともと前身のMDGsは『格差を縮める方向』の目標だったんだけれど、SDGsになるとうってかわって、『格差を縮めない方向』の目標になっちゃった。
慈善事業をやったり投資とかもそう。
あれらはイメージ戦略なんかじゃなくてさ。
すげー穿った目で見れば、お金持ちがずっとお金持ちでいられる『貧富の格差の固定された世界を作ろうとしてるように見える』と。
今回はそんなお話。




