コストの高低(解体されるガ○ダム)
コストの『高いもの』と『低いもの』ってありますよね。
ガ○ダムとジ○みたいなものを想像してもらってもいいし、川を上る魚と川を下る魚みたいなものを想像してもらってもいい。
目みたいな複雑な器官を想像してもらってもいいし、色や模様みたいなものでもいい。
これらには高コストなものと、低コストなものがあります。
そんでさ。
高コストなものってね?
結果を出せないと、高コストであるがゆえに淘汰されるんですよ。
ほら、カラフルな魚が川の水が汚くなったら地味な色になったとか、そういうのありますやん?
地中で暮らすモグラが視力を失ったりさ。
これらは別に目的を持って進化してるわけじゃなくて、ただただ高コストな方が負けてんの。
取り巻く状況が変わって、高コストを維持できなくなってんの。
粘菌でさえ、餌を取るのにいらん部分のコストはカットする。
面白い事実、それを使って粘菌に迷路を解かせることができたりするんですけどね。
閑話休題。
生存競争をしたらね。普通は低コストな方が勝つよ?
例えば、普段は海で暮らしてるんだけど川を遡上して湖に卵を生む魚がいるとしたとき、『安全な湖で卵を生むために進化したんだ』みたいな考え方をする人がしばしばいるんだけど、そうじゃないの。
そういう『結果』を出せないと淘汰されるんだ。
ピーキー過ぎて100年に1人の天才がいないと動かせない超高価な実験機なんて誰も作らないでしょ?
即解体して売っぱらって、まぁ、結果を出せる低コストな方が量産されますよね。
そうしてみると、孤立したりして、生きづらい高コストなぼくらがこの先生きのこるには、コストを下げるか、結果を出さないとだめなんだろうなぁ、と。
世の中を見ると、結果を出せない者たちが、『結果を出せないものにも生きる場所を! 多様性! 多様性!』と叫んでいるのですが、自然界では結果を出せるものが結果を出した状態を多様性というのです。
つまり、何がいいたいかっていうと、叫んでも無駄。
理がない。
世知辛いよねぇ(;_;)
高コスト=性能が劣ってる、ってわけじゃないけれど。
たとえガ○ダムであっても誰も乗れないものは誰も求めないということなのだ。
早いとこコストを下げるか、結果を出すか、した方がいい。
じゃないと、いつまでたっても苦しいよ。
今回はそんなお話。




