知能格差が固定化される怖さ
今回はお気持ちの表明というか、すげーどうでもいい話。
そのうちにさ。
知能格差が固定化されていくんじゃないか? みたいなことを考えて、なんとなーく怖さを感じています。
現実の中に、知能格差を固定化する仕組が徐々に植え付けられていってるような、そんな感じ。
昨今始まった『プログラミング的思考教育』や『金融教育』なども、知能格差を固定化する構造のうちで、下位層向けの対処法をあえて教えることによって、格差を固定化させる構造から人々の目を背けさせようとしてるんじゃないか? とかね。
さて。
SNSにしても、Youtubeにしても、興味のあるものって目につく場所に表示される仕組になってますよね?
広告だけならまだいいけれど、SNS上に表示されるホットなニュースすらそうなってます。
この仕組が、エコーチェンバーを加速します。
陰謀論を信じやすい人の周りにはそうした人が集まり、表示される情報もまた、それを強化するものになる。
カルトしかり、情報商材しかり。
twitterはバカッターだ、みたいに言いますけれど、それは単に自己紹介をしているだけかもしれない。
馬鹿なことにしか興味を持たないと、馬鹿なものが表示されるのです。
能動的にものごとを調べるか、受動的に暗記させられるか、は将来構築される知能に大きな格差をもたらします。
当然前者のほうが良いのですが、悪いことに、『自分は能動的に物を調べている』と思っている人が実はSNSだの、Youtubeだのの仕組みによって、受動的に情報を選ばされている可能性がでてきます。
もう10年もすぎれば、この構造に疑問を持つ人もいなくなり、知能格差は固定化されるでしょう。
『頭のいい人がなんとかしてくれるはず』って?
頭のいい人たちは分断を歓迎しているのですよ。
格差が固定化されたほうが、頭がいい人たちにとって都合がいいのです。
すべてを『遺伝子のせい』にさせて、格差をひっくり返せないようにしましょう! ってなもんです。
もちろんその影響がない、とは言いませんが。
『なんでも自己責任』よりは救いがありそうだけれど、そっちのルートもまた、結局ぼくらが頭のいい人たちに手足をもがれる袋小路なのです。
今回はそんなお話。




