無敵の人は、犯罪を犯すか?
『無敵の人』は(無敵の人であるがゆえに)、犯罪を犯すか?
『無敵の人』というのは、ひろゆき氏の提唱する概念で『社会的に失うものが何も無いために犯罪を起こすことに何の躊躇もない人』ってことで、あたかも犯罪者予備軍みたいに言われている人達のことです。
果たして、無敵の人は、自分が無敵の人だからといって犯罪を犯すものでしょうか?
みなさんはいかがお考えですか?
例えば、アメリカなんかだと、州ごとによって死刑があったりなかったりするんですけれど、死刑になるような重大な犯罪の発生率って、死刑の有無で変わらないんですよね。
この州で犯罪を犯すと死刑になるから、別の州にいって犯ろう、とはならない。
死刑は、犯罪を犯した『結果』付加されるもので、『原因』には影響を及ぼさないわけです。
そのことを頭の片隅においていただいた上で、次のことを考えてみましょう。
無敵の人は無敵の人であるがゆえに、犯罪を犯すか?
ぼくはそうはならないように思います。
社会的に何かを失うかどうかは、犯罪を犯した『結果』ついてくる事象だからです。
犯罪を犯すか犯さないかは、別の原因によるでしょうね。
例えば、『自分を客観的に見れて論理的に物事を考えているか否か』とかさ。
自分を客観的に見れず論理的に物事を考えない人は、自分がうまくいかないことへの憎しみを『連想と般化』によって、無関係な人達に向けがちです。
結果、排除され続け、負のループに嵌って無敵の人になる。
無敵の人が犯罪を犯す機序は、案外そんなふうかもしれません。
今回はそんなお話。




