同じを見るか、違いを見るか
なんでも良いのだけれど、例えば、『男性と女性で考え方に性差はあるか?』みたいな話題があったとして、みなさんは『ある』と見ますでしょうか、それとも『ない』と見ますでしょうか?
こういうどっちとも言えるような言えないような問題に直面したとき、そこに『違い』を見るか、『同じ』を見るか、で自分の未来に及ぼす影響が異なってきます。
『違い』を見る場合、まず『違うもの』に対して『不安』が生じます。
不安から、拒絶(差別)が生まれるかもしれませんし、違いに固執し執着した結果、性別違和などで自分の精神を不安定に来すかもしれません。
また、『周囲との間で極力違いを出さないように』同調圧力が生まれ、違いが判明すると『いじめ』などで排斥されます。
問題は『男女の考え方』にかぎらず、別になんでも構いません。
『スピ系や宗教』を信じる人と信じない人、日本人と外国人、Aくんをいじめる人といじめない人、などなど、なんでもいいです。
『同じ』を見た場合は、安堵から、『寛容』が生まれるかもしれませんし、『博愛』が生まれるかもしれません。
多くの人は誤解してますが、実は『同じ』を見たときに多様性は極大化するのです。
LGBTQとかさ。
カテゴリーが細分化すればするほど大衆側に有利になるんだけれど、案外多くの人がそのことについてわかってない。
それはさておき、最初のお題に戻って、『男性と女性で考え方に性差はあるか?』ですけれど、ぼくはないと見ています。
何度か書いてるかもしれないけれど、根拠は、『脳の構造に性差がない』からです。
性差っぽいものって、実のところ、所属するコミュニティや文化による差が析出しているだけだと思うんですよ。
社会が作ってる、とでも言いましょうか。
ただし、例えば痛みへの耐性とかだったら、有意差が出る可能性はあると思う。
なぜなら、一部のホルモンには抗炎症効果や疼痛抑制効果があり、その量やバランスは臓器の構造差に依存しますから。
とはいえ、痛みって定量化できないから、どこまでいっても与太話の域をでないだろうけどね。
今回はそんなお話。




