老人の集団切腹と第3次元のモノサシ
今回はちょっと難しいかも。
「第1次元を『クラスタ』、第2次元を『国家』、第3次元を『世界』としたとき、それぞれの次元で使われるモノサシはそれぞれ異なる」というようなことを前話で書いた。
なぜ、モノサシが異なるといえるのか?
それは、『空間のサイズが異なるから』だ。
世界には、空間サイズごとのコミュニティがあって、それぞれが異なったモノサシをもつ。
長いものには巻かれろという言葉があるが、必ずしも実態を表しているわけではなく、『共通の常識』みたいなものが、範囲によって異なるのだ。
ある国では死刑が合法化され、またある国では、マスクを付けていないと白い目で見られ、ある学校ではポニーテールが禁止され、ある学校では地毛の色を黒く染めさせられ、などなど例をあげればすぐにご理解いただけると思う。
グローバリストは全次元のモノサシを第3次元のモノサシで置き換えようとし、小さい次元に最適化された者たちは異物を排除するために都合よく、より上の次元のモノサシを濫用する。
ツイフェミとか、ポリコレとかね。
とはいえ、『長いものに巻かれる』という傾向はたしかにあって、第三次元で合意された内容というのは、下の次元に徐々に降りてくるものだ。
『ああ、こういうことって今の世の中やっちゃいけないんだな』みたいなことが、世界から国へ国から地域へ、徐々に浸透していく。
モノサシを内包する空間ごとに『第3次元で合意された情報』の受け入れ感受性は異なっていて、基本的に下の次元に行けば行くほどその受け入れの速度は穏やかだ。
吉野家のアレを思い浮かべるまでもなく、クローズドな空間では特に、アップデートされていない古い価値観に出くわしがちである。
新しい情報(より上の次元で合意された情報)に接したとき、人は自身をアップデートし、あるいは新しいものを排除して自分自身を保とうとする。
日本には、もともと特異な言語や島国という排他構造があって、一旦集中した権力が交代されるのに長い年月がかかる。
クラスターの中心はいつまで経っても中心だし、権力者は後期高齢者になっても権力の椅子に座る。
とはいえ、外から人は入ってくるし、ネットの普及により情報もまた入ってくる。
徐々に、ではあるが日本でも、第3次元のモノサシを異物として排除することが儘ならなくなってきてはいるのだ。
そうして、以前は問題にならなかったような古い価値観が、表に引き釣り出され、問題になることも増えてきた。
第1次元で情報の更新を怠ったものは、いずれ老害と呼ばれ、第2次元で更新を怠ったものは、いずれ既得権益と呼ばれる。
日本は、第2次元以下に最適化されているから、第3次元的企業に金が集まる状況下では相対的に衰退していくし、第3次元に『より最適化された』先進世界からは取り残されていく。
『老人(情報のアップデートを怠ったもの)が一斉に集団切腹(勇退)する』というのは、全モノサシを一気に第3次元に近づける一つの解決策ではある。
その場合、グローバル先進国の末席に入れるかもしれないが、モノサシの変動分だけ日本の独自性は失われる。
なにごとにも良し悪しはあるものだ。
今回はそんなお話。




