知識のない分野の勉強法(いびつな森)
みなさんは知識のない分野を勉強するとき、単一の主張や単一の論文などを読んだりして、『その内容だけを理解すること』でいびつな全体像を想像することってありませんか?
ぼくはあります。
で、これをやると『木の部分はあってるんだけど、森の部分が間違っている』みたいな状況を作りかねませんよね?
特に部分と全体で因果があべこべになってたりすると、そのことで大恥をかくことも起こり得る。
恥をかくだけならいいのだけれど、信用にも関わるからできれば避けたいものです。
この現象は、そもそも『知識量が多ければ』防げるのですが、知識のない分野では防ぐことが難しい。
ちゃんとした指導者のいない『独学者の人あるある』といいますか、『変わりものの異端学説大好きで抽象化能力に優れる人あるある』といいますか、なまじ抽象化能力に優れるばっかりに、かえってこの罠に陥りやすかったりします。
まぁ、先に書いたように身も蓋もない言い方をすると『知識量があれば』防げる。
そうではあるけれども、闇雲に膨大な知識を会得しようと励むより、できれば楽して最低限なレベルの知恵が欲しいじゃないですか?
というわけで、考えてみました。
結論は、その主張あるいは論文などの『立ち位置』を一緒に見てやればいい、ってことなんですけどね。
森の端っこにある木から森を類推する場合には、端っこの木だけじゃなく中心付近の木も一緒に見てあげる。
つまり総論と各論なら各論だけでなく、総論も一緒に抑えておくって感じでしょうかね。
効率的なサンプリング方法を考えて、母集団をサクッと推定しましょうみたいな。
あれ? 言語化すると思った以上に薄っぺらいな、これw
天才ではあるが異端な学者の被引用数の少ない論文とかから全体像を類推すると、木を見て脳内に、目も当てられないようないびつな森を創りあげたりするけれど、メジャーな学者のメジャーな学説を同時に抑えているなら、それらから全体像を類推しても、さほどおかしなことにはならないっていう。
今回はそんなお話。




