利己主義の人が増えたように思われる本当の理由
利他行動とか、手助けとかって素晴らしいよね。
一人でできることなんて、実際たかが知れてるし、このエッセイも感想という皆さんのあたたかい手助けのおかげで、なんとか更新を続けられている。
手助けのような利他行動は、前の話で言うところの『帰属思考+共感思考』が芽生える『少年期』以降に発生するんだ。
前のお話で、発達段階というふうに書いたけれど、あれは別に成熟期のほうが他の段階より優れているとかそういう話ではないよ?
ぼくは、基本的に『優劣』とか『善悪』みたいな二元論的な考え方をしない。
『このケースではどれが適切か、どれが採択されるか』みたいな多元論的な考え方をしているんだ。
マウントとかは、あえて意図的に効果を狙ってやるぐらいしかぼくはやらない。
閑話休題。
人間の場合、『利他行動』は発達の早い段階から生じ、ある程度高度な知能を持つ動物も、実は手助けっていう行為を行ったりする。
それぐらいに、『本質的な』行為なんですよね。
ちなみにここでいう帰属思考とは、『行動の原因を自分の外に求める考え方』を指します。
軍隊とか、宗教とか、スピリチュアルとか占いとか、反社集団とか、同調圧力が効くような有力作家の取り巻きグループとか、相互評価クラスタとか、いろいろありますでしょ?
そういうのを想像してもらえればいいかな。
行動を自分で意思決定していない状態って意外と多いんです。
でも、悪いばっかりじゃないんですよ?
意外と、これが『手助けに有効』になってくる。
行動の原因を、論理で考えるようになると『手助け』って減ってくるんです。
『共感』に『共感以外の理屈を後付けると手助けが減る』という海外の論文があります。
『事故に遭い怪我をして血を流す人』を見てあわてて助けようとした人に、『ちょっとまて。君は赤い色を見たから興奮しているんだ』とか入れ知恵をする。
流石に論文の例はこんなひどいもんじゃなかったけれど、そういうふうに理屈付けをすると助ける人は減るんだ。
個が確立して大人になってくると、手助けする人って減るような気がしませんか?
いわゆる高知能な人に薄情な人が多いような気がしませんか?
彼らが、『感情に理屈を後付ける』せいです。
逆もまた然り。
いわゆる愚かな人のほうが情に厚い人が多いような気がしませんか?
例えば、初めて合った男女を橋の上に乗せたとして『今どきどきしてるのはぼくは高所恐怖症だからだ』みたいに考える人は、そもそも吊り橋効果にかからない。
二人で吊橋に来るような、ある程度親しい友達同士といった『すでに帰属を同じくしている関係』という下地があって、『このお互いのドキドキはお互いに好きだからなんだ』と思うから、効果にかかる。
感情に後付の理屈をもってくるのは、論理的にも心理学的にも良くないんです。
『好きだから好き』は大事なことなんですよ。
昨今、他人との関係が希薄になってきたとか、人が薄情になってきたみたいな言われ方をすることがありませんか?
共感性が欠如した人が増えているとかさ。
アスペルガーの人が増えているとかね。
ぼくは、昨今の人の『共感性』が減ったんじゃなく、『感情に理屈を後付ける人が増えたこと』が、周りを手助けする人が減った原因なんじゃないか? って思ってます。
今回はそんなお話。




