『相手を思いやる』の『相手』とは?
思考のフレームを発達段階で分けてみると、
幼年期…帰属思考
少年期…帰属思考+共感思考
青年期…帰属思考+共感思考+論理思考
みたいに分けることができる。
今、ぼくが適当に分けたんだけどね。
帰属思考というのは行動の原因を外部にもつ、つまり、誰かに付き従ってなにかをするという無責任な思考のこと。
幼年期(帰属思考)は、雛鳥が親鳥についていく状態とか、赤ちゃんが親の発声を真似る状態とか、パニックになった人が逃げる人の流れに追随するとかそういう原始的段階を想定してほしい。
これが、発達の初期の段階の考え方だってことは、おそらく同意していただけるんじゃないかなぁ? と思います。
何でも人のせい、社会のせいとかにしている人らはここ。
自分の意志がなく周りの人に追随して同じことをやっている状態ですね。
だいたい、人口の1割ぐらいを想定してる。
少年期は、少し脳が発達して目的が見えることで行動しようとする自分の意志が生じてくる。
個体差によって先にたどり着いたり遅れたりするようになり、そこに優劣がでてきて比較し喜んでいる状態。
マウントとかは、この段階。
共感がないとマウントってそもそも起こんないよね?
まわりに認めてもらえないと、競っても嬉しくないもんね?
ただし、この段階では、まだ『個が確立していない』
だからこそ、比較で自分を測ろうとするんだ。
人口の3割ぐらいが該当するかもしれない。
青年期は、他者と自分の存在を認めた上で、彼我の思考の差を足し引きをすることによって、相手方の考えを慮れる状態だ。
いわゆる大人の考え方だね。
人口の6割ぐらいかなぁ?
相手のことを思いやるとか、相手の立場を慮るとかは、青年期の段階。
この場合、相手というのは、ディベートの相手方を想定してもらえればよろしいかと。
要は、自分対相手で相手を慮れる状態。
つまり、何がいいたいか? って言うと、『相手を思いやる』ってことは、そもそも二項対立的な考え方が前提というか、二項対立の『フレームの中』で考えるべき話だったんだよね。
最近、そのことに気がついてだいぶ気が楽になった。
確率的に、ぼくみたいな熟年期の人(多元的な考え方をする人たち)って、無視できるものなんだ。
基本的に、相手を青年期(二項対立・二元思考)と想定して、うまく行かないときにだけ熟年期(多元思考)を想定すればいい。
問題は、ぼくのエッセイは熟年期の人(多元思考)向けに書かれているところが多いから、伝わりにくいってことだ(;_;)




