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社会は論理的正しさより社会的責任やパターンを尊ぶ

 タイトルの通り。


 論理的な正しさって、実は社会では重視されていないよね。

どっちかっていうと、『パターン』や社会的責任のほうが重視されている。


 何を念頭に置いているか、っていうと法律なんだけどね?


 判決って、「法律の条文に対する行為の論理的な正しさ」よりも判例パターンだったり、社会的責任の多寡、話題の注目度なんかに従うでしょう?


 犯人が先生だったりすると量刑が重くなったりする。


 世論が厳罰を望めば厳罰寄りになったりとか、心神喪失で無罪になったりさ。


 社会的責任の多寡によって結末が変わったりするんだ。


 そういう意味でいうと、お金をもらって講釈たれているような人の発言の自由度ってさ、かなり制限されるよね。


 社会的責任が相応に高くなるからね。


 個人的な感情の話と言いたいなら『好き嫌い』のレベルの話に留めるべきで、そうであってさえ、立場によっては不適切だと咎められることもあるでしょう。


 雇い主から怒られたりさ。


 というか、感情を正当化するために後付の理屈をもってきた時点で、言い訳不能レベルのアホな行為なんだよな。

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