日常会話は相関で
議論と違ってさ。
日常会話の場合、ロジックは常に『あとづけ』になるんだね。
はじめに『発話の動機ありき』、だから。
ロジックがあとづけだからこそ、ツッコミどころが山程でる。
なろうのエッセイでも、突っ込みどころばっかりの問題作が時々出てきたりしますでしょ?
そんで、嬉々としてみんなが論破! とツッコむ……と。
まぁ、ぼくもワイワイやるのは好きなんだけどさw
ただね。
発話者側は『はじめにモチベーションありき』で話しをしているから、ロジックの完成度には必ずしもプライドを持ってないんだよね。
だから論破! とイキってみても、相手は因果のすり替えとかを平気で行うんだ。
そうすると、不毛な水掛け論になっちゃう。
時間を延々浪費した挙げ句、徒労になって『なんでわかってくれないんだ』と嘆く。
場合によっては喧嘩になって、周囲の人を巻き込んでのブロック合戦になったりもする。
そんなのを、随分見たよ。
それで考えたんだけど、『発話の動機』に着目するなら、日常会話は『因果』でなく『相関』的なアプローチするべきなんだね。
発話者は、日常会話では、因果でなく相関を求めてるんだよ。
似たようなシチュエーションで、「これこれこーんな事があって、ぼくも同じように考えたよ」とか。
別に共感でなくてもいい。
「こういう感じて、ぼくは少ししかそういうふうには思えなかったよ」、とかね。
非共感を表明しても、別にいいんだ。
伝われば、逆に相手が共感してくれるかも知んないw
『相関』だから、共感は逆方向にも働くんだよ。
もちろん、相関だけでなく、もっと安直に『わかるぅー』な等価でもいい。
ロジックは因果で、共感は相関。
そう考えると、時に、『相手の言葉を繰り返す』のが会話で有効な理由も見えてくるね。
等価は、因果と相関を結ぶ『点』だからさ。
今回はそんなお話。




