世の中の半分は、偏差値50以下?(偏差値の権威について)
『世の中の半分は、偏差値50以下』って言う話がある。
字面だけ見ると正しそうに見えるね。
だけど、ちょっと待て……と。
頭の中に人口のグラフを思い浮かべてみてよ。
男女が真ん中で別れていて、縦軸が出生年、横軸が人数の『出来損ないのツボ』みたいなグラフ。
よくありますでしょ?
それの人口がみょいーんと長い(多い)部分を思い浮かべてもらうとして、進学が高倍率なときに頻繁に全国模試を受けさせていたときの『偏差値50』があるとするじゃない?
それとさ。
人口のくびれの部分、つまり、大学の定員割れが当たり前になっていて、進路も多様化していて、そもそも進学しようとする人自体多くはない場合の『偏差値50』があったとして、はたしてこれらって『同じ学力』だと思います?
偏差値50の中身ってさ。
いろいろですやん?
『全年齢層で全国の人が一斉に受けるテストなんて、そもそもない』わけでさ。
皆さんが思い浮かべている偏差値50って、本当に客観性のあるものですか?
まさか、予備校の標榜する、計算式がブラックボックスになってる『偏差値もどき』を根拠にしてないよね?
以前、おんなじ話題で単体のエッセイを書いてるんだけどね。
ぼくは、実のところ偏差値を権威の一種みたいに使うことに違和感を感じてる。
偏差値ってさ。
みんながありがたがるほどの客観性はないと思うんだよ。
同じ数字でも、受けるテストの難易度や、受けた学生の質によって内容がブレるじゃない?
例えば、偏差値85を出したことがある学生が、偏差値75を常時だす学生より頭がいいか? って言われたら、必ずしもそうとは言えないんだ。
だからこそ、知性の尺度に偏差値を使うのは、ぼくは不適当だって思ってる。
『本当に高い知性があるか、答えをパクっただけの偽物か』は、本質のそばにいれば、自ずと分かるんだ。
偏差値の権威に頼るまでもなく。




