世間ではそれを要領と呼ぶ
ツイッターで『頭のいい人の考え方はどんなものか?』、みたいな話題があってね。
『ぼくより頭のいい人たち』と、『ぼく』の違いを考えてみた。
なにが違うかって言うと、頭のいい人はみんな、『問題の本質に近づくのがめちゃくちゃ早い』んだよね。
『本質の付近にいるかいないか』は非常に重要で、時間が経過するにつれて頭の良さに大きな違いができていくのだ。
本質へのアプローチ方法は、『積み重ねた教養によって』とか、『抽象化によって』とか様々あるのだけれどね。
抽象化が得意でも、本質にたどり着かないことには頭の良さには活かせない。
逆に言うと、本質にたどり着けさえすれば、別に抽象化でなくてもいい。
本を読むとか、学校で教わるとかでもいいのだ。
抽象化ができると『独学でいける』というだけで。
最近、AST(抽象構文木)を見ていて、抽象化から本質にたどり着く方法を思いついた。
ちょっとその応用を考えてみる。
例えば、法律を勉強したことのない人が、法律を覚えるときのことを考えてみる。
そんなとき、条文を丸暗記しようとすると、意味不明ですぐに挫折するでしょう。
相当に根性が必要だし、そうやって例えば『見返してやる』みたいなモチベーションで法律の条文を覚えた人は、おそらく根性論大好きっ子のハイパーマウンテンパワハラ野郎になるでしょう。
普通の人は、とりあえず最初は本を買ってみると思う。あるいは学校に行く。
本を買っても理解できないって人は、おそらく『本の買い方』を間違えているのだ。
いきなり問題集を買ったとしたら、遠回りになるよ。
頑張って問題集とにらめっこした挙げ句、『努力してもできない。自分はアタマが悪いんだ』と嘆くことになる。
そうじゃあないのだ。
単に要領が悪いだけでね。
本を買うなら、まずは、各論じゃなくて総論の本を買うべきだ。
本質にアプローチするには、遠回りのようだけどそっちが早い。
『まず、はじめに全体像を掴む』ってよく言うでしょう?
その効果に言及できる人は少ないと思うけどさ。
どういう背景でその法律が作られたのか、何を目的にその法律が作られたのか。
それらが、実際のところ『本質付近の情報』なんだけど、そうしたことを本やら教育やらで学ぶわけだ。
そうやって本質付近の情報に触れると、例えば『表現の自由』とか、そういった憲法上の問題は、個人対国家において、個人を守るためのものだから、個人間での問題に当てはめるのは『不適切』だというような事実が見えてくる。
本質付近にアプローチできてさえいれば、『表現の自由』と『宇○ちゃんのポスターを見たくない権利』、どっちが優先されるんだろう? と必死に調べ物をするような、無駄な行為を行わなくても済むわけだ。
ところで、本を読まずして、本質付近にアプローチできるような方法がある。
それが『抽象化』なんだけどね。
具体的にどうやるかっていうと、例えば、物事を重要な2つの要素に分ける。
徹底的に分けていって、最下層にくるのが本質(あるいは本質にいと近きもの)ってわけ。
当たり前だよね。それ以上不可能な部分まで抽象化してるんだもの。
例えば、『改善』について考えてみる。
改善は、『なんか問題があって、現状、解決策がないときに今までなかったルールを作ることによって、そのルールを正しく運用することでなされるものだ』、としよう。
これを重要な2つの要素に分けていく。
改善=ルール+運用
こんな感じ。さらに続けると、
ルール=問題+解決手法
問題=利害+衝突
別に3つ以上に分けてもいい。
この段階で、こんな感じに抽象化されている。
『改善は、利害の衝突を解決する手法を作って運用すること。』
本当は運用側も分解していくんだけどね。
法律の話に戻ろう。
法律ってルールだよね。
つまり、法律の本質は、『利害の衝突を解決する手法』だ。
条文を丸暗記する必要なんかなくて、誰と誰の利害が衝突したときどう解決されるかを見ていけばいい。
『第三者』とか『悪意』とかの法律特有の用語も、本質がわかっていればすっと理解できるでしょう。




