正義について掘り下げてみた(正義に用心的なアレ)
日刊一位に書籍化作家様の正義に関するエッセイがあったからちょっと正義について掘り下げてみる。
あんまり難しくしないように頑張る。
『正義』とはなにか――、ぼくに言わせれば、一神教かつ性悪説の価値観において善性の取り決めを守らせるために使われる相互監視システムだ。
約束を守らない人っているじゃない?
約束を守らない国でもいいけどさ。
取り決め(契約でも条約でもなんでも良い)には、善性のものと悪性のものとあってさ。
善性のものは、『お互い仲良くしましょう』とかそういうの。
悪性のものは、『領地を踏み越えてきたら射殺するぞ』とかそういうの。
悪性の取り決めはみんな撃たれるのは嫌だから守られるんだけどね? 善性のものは守られないんだよ。性悪説の価値観においては。だってそうでしょ? みんな悪だよ? 騙したほうが得じゃん。
あの国はなんで約束を守らない国なんだーって、そりゃ守んないよ? 騙したほうが得だもん。そいつらに善性の約束を守らせるためのツールが『正義』なんだよ。
善性の取り決めには、『正義』が必要なんだ。
『社会正義』とか『環境正義』とかさ。
最初に発明した人はすごいと思うよ?
一神教の宗教的なフレームを、契約の場に持ち込んだんだ。
『正義』によって、取り決めの参加者に同調圧力が効くようになる。
ただ取り決めに参加してない人には、『別の価値観』、『別の正義』があるからさ?
参加者の枠外に正義を振りかざすのは、まったくもって『正義じゃない』。
自称リベラルはそこらへんが解ってないから馬鹿にされるんだよ。
ちなみに多神教かつ性善説で動いてる国には『正義』は不要だ。だって、みんな善性の契約守るじゃん? ほっといても同調圧力が効くからね。
日本に『大統領』みたいな強権的な独裁者がいなくても(悪意を込めて『首長が頼りなくても』と言いかえることも出来る)、なんとなく社会が回っちゃうのはそれが理由。
そんなわけで日本には『正義』って考え方はそぐわない。
多神教かつ性善説の価値観で『正義』を見ると、偽神的で胡散臭いことこの上ない。まぁ、一神教の偽神でも、神の一柱として受け入れちゃうんだけどさ。多神教だから。
ネットで炎上してる人らを叩いてる人らも『みんな叩いてる! なんか叩いていい雰囲気だ!』って同調の力を感じて日頃の鬱憤をぶつけてるだけで、ホントのところ『正義』だとまでは、思ってないんじゃないの?
今回はそんなお話。




