恋と嫌悪と第一印象
まず前提。
今回のお話の内容は、このエッセイにある『感情≒記憶』という価値観に基づいている。
まだ、読んでない人は読んでみてね。
『感情』は『記憶』のように積みあげられていくものだ。
例えば、人の良いところを選別して記憶していった場合、その感情は『恋』になり、人の悪いところを選別して記憶していった場合、その感情は『嫌悪』になる。
この2つ、方向性が逆なだけでベクトルはまったく一緒だ。
そして、ベクトルは加減算が可能なのだ。
一人で部屋にいるようなシーンでも、相手のいいところを繰り返し想起して『恋』にブーストが掛かるような現象を体験してる人も多いだろう。
逆に新聞などによって〇〇人種の犯罪に関する記事を繰り返し読んで、『嫌悪』にブーストが掛かって差別心が形成されることもある。
そう。
『嫌悪』が、『人種』や『障害者』といった範囲に拡張されると『差別』が形成される(汎化という認知システムによる)。
マスコミのような報道機関が『情報の選別』を行うと、ときに嫌悪や差別へ扇動するような事態になりかねない。そして、実際に情報の選別は行われている。
ゴリ押し好感番組とかあるでしょ? 徹底ディスリ対象政治家とかさ。
ぼくらは、その事に気づかないといけない。
『嫌悪』が自分自身に向いた場合には、自傷や自殺につながる。
自傷癖や希死念慮をなくしたいなら、自分の良いところだけが見えるように色眼鏡を掛ける必要がある。例えば、ファッション誌を買ってみたり、専門家にコーディネートしてもらったり、これは賛否あると思うけど整形してみたり。容姿にコンプレックスがあるなら思い切って変えてしまうのも一つの方法だ。
『差別』をやめたいなら『人種』や『障害者』などのいいところを繰り返し想起すればいい。
障害者を持つ親が障害者に寛容になるのは、良いところをいっぱい見ているからだろうね。
『愛』は『二人で過ごした記憶』の積み重ねだ。お腹の中の赤ちゃんは、生まれた瞬間から母との間で『愛』が強固に形成されている可能性がある。
『恋』が発展して形成された『愛』は、結婚したあとも、『すれ違う時間』や『嫌悪』などによって『記憶』のように上書きされていくから、積極的に『二人でいる時間』を持ったりして手入れしないと冷めることもあるだろう。
先にも書いたけど、『恋』と『嫌悪』の本質は一緒だ。
そうであるならば、第一印象による色眼鏡は、『恋』に進むか『嫌悪』に進むかの分岐点でもある。
だから、もてたいなら第一印象には力を割くべきだ。『イケメン』でも『誠実そう』でも『清潔感がある』でもなんでもいいが、第一印象で相手が色眼鏡をかけてくれたなら、その後の積み上げは随分容易になるだろう。
そんなわけで、いい第一印象がほしい。




