15 剥がれた、悪評
挙式からひと月。私の身に、おかしなことが起きている。
悪評が、剥がれはじめたのだ。
朝の食卓に、招待状の山が届く。以前の私に届く封書といえば、果たし状のような苦情か、遠回しな絶縁状と決まっていた。それが今では、お茶会に、音楽会に、庭園の披露にと引っ張りだこである。先日など、すれ違った伯爵夫人がにっこり会釈をくださった。あまりのことに、私は背後に旦那様が立っているのかと振り返って確認した。誰もいなかった。会釈は、私宛てだった。
「聖堂での誓いの一件が、それはもう美談として広まっておりまして」
マルタが嬉しそうに封を切っていく。曰く、毒婦と呼ばれた令嬢は、実は夫に命を捧げられるほど愛された無実の姫だった。あの花冠は自ら育てた青い花で編まれていた。話に尾ひれどころか背びれまでついて、吟遊詩人が歌にしかけているらしい。やめてほしい。私はただ、殺されないために生きていたのに。
「『公爵夫人の安眠のお茶を、ぜひ分けていただきたく』ですって。お嬢様、あの薬草茶が、とうとう毒扱いされなくなりましたよ」
「……そうね」
喜ぶべきなのだ。十年越しの汚名返上である。おばあさまのお茶の名誉も戻った。それなのに夜になると、ふと怖くなる。
この結婚は、王命だった。残虐公爵と毒婦令嬢。化け物同士だから釣り合うと、誰もが言った。つまり私がこの家にいる理由は、最初から「毒婦だから」なのだ。
その看板が剥がれたら、あとに何が残るのだろう。
旦那様は変わらない。毎朝お茶を飲んで「明日も、頼む」と言ってくれる。人前で命だって誓ってくれた。……命はくれるのに、心からの愛の言葉はまだ一度もない。私だって言えていないのだから、おあいこなのだけれど。
心の隅で、いつもの暗い声がする。
<悪評が消えれば、この結婚の理由も消える>
私は首を振って、声を棚の奥へ押し込んだ。せっかくの春に、霜を呼んでどうするの。
* * *
その招待状は、山のいちばん上で光っていた。
金の縁取り、香を焚きしめた紙。王都で春に開かれる、名花の集いと呼ばれる大茶会。社交界に返り咲いた「無実の姫」へのお披露目の場、ということらしい。
マルタが招待客の名簿に目を走らせ、眉を寄せた。
「お嬢様。ローデンの名がございます。伯爵令嬢アデーレ様……あの家の、妹君ですよ」
ローデン……二人目の元婚約者の名だった。妹君には何度か会ったことがある。カールした金の髪が美しく、華やかな子。それから名簿には、宮廷医局のリンドベルク侯爵子息、その他きらびやかな名前がずらり。正直、嫌な予感しかしない。三度の破談を生き延びた女の勘が、行くなと言っている。
でも。
逃げて守られるだけの女は、もう終わりにすると決めたのだ。誰かに筋書きを書かれる前に、今度は私がその手を読む。それに、堂々と出ていって堂々と幸せそうにしていることが、悪評を流した誰かさんへの一番の反撃になる。
夕食の席で旦那様に招待状を見せると、旦那様は名簿を一瞥して、それはそれは深い皺を眉間に刻んだ。
「……俺も、行く」
「まあ。旦那様、お茶会はお嫌いでは」
「行く。絶対、行く」
相変わらず気持ちの表現が子供のようなお方だ。
* * *
同じ夜、ローデン伯爵家の温室。
天井の下、宰相クナイプは鉢植えの前に立っていた。青い釣鐘型の花を俯かせる、可憐な毒草。名を青鈴草。この温室でしか育たない、ローデン家の秘蔵だ。
「伯爵。娘さんには、どこまで?」
宰相が花を眺めたまま問うと、温室の主のローデン伯爵が揉み手で答えた。
「何も知らせておりません。アデーレはただ、兄の仇を睨みに行くだけでございます」
「結構。役者は素人ほどよく泣いてくれる」
毒婦の悪評は剥がれかけている。ならば剥がれる前に、本物にしてやればいい。毒婦が毒を使う。誰もが一度信じた筋書きだ。宰相は青い花に指先を伸ばし、触れる寸前で、止めた。
「花は咲かせてから散らすに限る。……今度は、根ごとだ」
温室の青鈴草が、灯りに揺れた。あの庭の青によく似た、けれど毒の青だった。




