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春秋の牡丹7話

  七章 新鄭の勇者


   1


 智宵は砦の見取り図を広げると天狙に説明し始めた。

「私と貴女が潜伏しているのは新鄭への道を守る要衝。ここを突破せねば、晋は鄭を倒す事は叶いません」

 この砦に忍びこんで懸命に記したのであろう。見破られぬよう、細心の注意を払いつつ書き込んだ図であった。

「だども、正門はおらが破ろうとしたらばれちまった。どうするべか?」

 こうした綿密なる作戦に引き換え、自分は思いつきと力押ししか知らないのを恥じるかのように天狙が頭を掻く。だが、智宵の態度は飄々としており、

「それは仕方ない事。大人でも難しい事ですし、単独では実行出来ない事をなさろうとしたから当然です。それを解決するため、この図を持って隣の路地へ行きましょう」

 智宵は立ち上がると、小屋を出て隣の路地裏に天狙を連れて行った。そこは、智宵の隠れ家がある所よりも小ざっぱりとしており、まるで兵士や官吏が手入れをしたかのように整然としていた。

 その内、何世帯かがまとまって住んでいると思しき住居の前で若者が掃除をしているのを見た智宵は声をかけた。

「おうい、君! 私は智宵です。親分さんとお話したいのですが……」

 掃除をしていた青年は腰に護身用と仕事用を兼ねた斧を手挟んでおり、疑うような目つきでこちらに近づいてきた。恐らく、彼も遊侠なのだろう。


だが、相手が智宵と知ると拱手して跪いた。

「若さん、お出迎えもしねえで失礼しやした。後ろの方はどちらさんで?」

 恐れいっている、この若き遊侠に対し、智宵は気さくに笑って助け起こした。

「私の友達です。妹分と言う触れ込みで行動をしていましてね。中では皆さんはお集まりかな?」

「晩飯時なんで中におりますよ。御案内しやす」

 若者の案内で智宵と天狙が屋内に入ると、そこには十数名の老若男女が食事の支度をしていた。天狙と同年代の子達から御酌をされている初老の男性が上座で笑っており、この人物が親分なのであろうか。

「これは若様、ようこそおいでなさった。すぐに夕食の支度を致しまする」

 智宵の姿を見て座席を譲った初老男だったが、

「長殿、御気遣いは無用です。夕食はしたためて参りましたので、お構いなく……見取り図と、晋からのお客人をお連れしたので、お話を致したいのです」

「心得申した。では、酒だけでもお召し上がり下され。お嬢さん、儂はこの遊侠団の長です。以後、お見知りおきを」

 長の慇懃な言葉に、天狙は慌てて礼を返した。

「お、おらは天狙と申しますだ。晋公家にお仕えする、趙氏の下で働いとるもんです」

 彼女の自己紹介が済むか済まぬかのうちに、台所の方角から荒々しい足音が聞こえた。入って来たのは、傷痍軍人らしく片腕に義手をした青年と、片足を義足にしている中年男の二人であった。

「てめえ……趙氏の家来かい。嘘じゃねえだろうな!」

「ああ、そうだべよ。何でそげな事を聞くだか?」

 すると、義手の青年が残っている腕で剣を引き抜くと、天狙に突き付けた。片足の男性も渋い顔だ。


「俺は斉、この(とっ)つぁんは鄭の産だ。お前らのせいでこうなったんだ。さあ、どうしてくれる!」

 さすがの天狙も、相手の剣幕に目を白黒させた。斉や鄭の人が大怪我をした原因が趙氏とはどういう事だろうか。分からないでいると、智宵が仲裁した。

「君達、争いはやめなさい! 中行と范の両氏が、斉とその同盟国である鄭で好き放題なのですよ。そのために、彼らは怒っているんです」

 智宵が言う事には、趙・智両氏に負けた中行寅と范吉射は、亡命した斉で重用されて不平分子の大弾圧に乗り出し、多くの人を殺傷した。

 更に、斉と同盟する鄭の内部闘争にも口を出し、暴威を極めているのだが、彼らの報復を恐れて鄭公の姫勝も諌める事をしないのだと言う。

 傷痍軍人達が手足を失う重傷を負わされた原因を趙氏にあると言ったのは、中行・范両氏を趙鞅と無恤が追い出した一件に由来したのだ。

「不平を言った者の手や足を斬った范も中行も許せんよ。そんな儂達にも情け深いのが、智の若様なのだよ」

 義足の男性が言うと、義手の若者も負けずに叫んだ。

「おうよ。五体満足じゃなくなっちまった俺らの救い主が、偉大な商の末裔たる坊ちゃまだ。日々の生業から義手・義足まで世話して下さる、お優しい人なのだ!」

 二人の傷痍軍人ばかりか、一同が智宵に熱い視線を注いでいるのも驚きだったが、“商の末裔”と言う一言に、天狙は驚愕を禁じえなかった。

「智宵さん。商の末裔って、何の事だか?」

 天狙の震える言葉に、智宵は静かに頷いた。

「然様。私の本名は荀宵……智氏の長である荀瑤の異母弟です。此の度は、兄の指示で作戦を遂行すべく、潜伏していました」


 自分を見つめる智宵の目に、天狙は恐れと焦りで全身が冷や汗にまみれた。見ず知らずの自分を助け、食事を振る舞ってくれた好人物が、あの憎い智瑤の弟だったと言う衝動は、隠しきれるものではなかった。

 増してや、腹違いとは言え彼の兄である智瑤を悪し様に貶したばかりだったので、恥ずかしさと恐ろしさで身体ががくがくと震えた。

「先程、兄の振る舞いを憤っておいででしたが、真にその通りです。あのような横暴では誰も付いて来ません」

 智宵は悲しげに微笑んだ。だが、一呼吸置くと凛然として言い放った。

「ですが、今回の遠征は晋に豊かな土地をもたらすだけでなく、斉と鄭に悪影響を及ぼす中行と范から、ここにいるような人々を救う目的があります。そればかりは、我ら晋公家の臣下がやらねばならないのです!」

 天衣無縫な天狙には、政治や軍事の世界は難渋過ぎて分からない。だが、この優しき青年は社会を追われた人々を救済すべく戦っており、その敵は趙氏と智氏が責任を持って倒すべき相手である事は理解出来た。

「分かっとる。おらも手ぇ貸すべよ。お兄さんが誰であっても、智宵さんは智宵さんだからな」

「天狙さん、ありがとう。この遊侠達も良き同志。私が集めた味方なのです。必ず成功させましょうぞ」

 髭面に温かな笑みを浮かべた智宵に、天狙も頷き返した。

「ああ。皆のためにも鄭の城を落っことして、中行と范の奴らに思い知らしてやるだ。おらだって趙氏の家来……晋公家に仕える将兵だからな!」

 趙氏と智氏。この水と油の如くに相容れぬ一門同士でありながら、天狙と智宵は鄭に住まう遊侠達を仲間にし、共闘する事と相成った。

 鄭の砦は宵の口を迎えていた。そして、その名を冠する男が指揮する作戦が、始まろうとしていたのであった。


   2


 天狙に破壊されかけた鄭砦の正門では、黄砂と夕暮れで暗くなっているため、兵士達が松明を燃やしていた。

「さっきは、変なガキのせいでとんだ大騒ぎだった。守りを固めんと、晋軍は何をするか分かりませんぜ」

 巡回のために雇われた傭兵が正規兵に訴えていると、街路樹にもたれ掛かる男性を見つけた。

「おっ、どうしたんですかい?」

「相済まない。最近義足にしたもので、歩きづらいのです」

 彼は傷痍軍人らしく、杖にすがりつつ立ち上がろうとした。言葉に鄭の訛りがあるので、兵士らも同胞だと考えて助けに駆け寄った。

「旦那、おいらが肩を貸してあげるよ。さ、遠慮なく掴まりなさいよ」

 傭兵が男性に肩を貸そうとした刹那、ヒュウッと風を斬る音がして、傭兵は倒れ込んだ。

「こいつ、仲間に何をしたんだ!」

 兵士らが罵声を上げて義足の傷痍軍人に襲いかかろうとすると、上から矢が降ってくるではないか。

見ると、家々の屋上から遊侠達が弩や弓で狙撃していた。義足の同志に哀れな男を演じさせて注意をそらし、暴動を引き起こしたのである。

「ふふふ、若様特製の義足は痛いぞ。喰らえッ!」

 鄭の傷痍軍人は青銅と樫の木で補強された特別製の義足で近くにいた兵を蹴り、杖に仕込んでいた刺殺用の剣で刺し殺した。いつの間にか、隣には斉から来た義手の若者もおり、鉤爪のようになった戦闘用の義手と、もう片方の手に持った剣とで鄭兵を斬り始めた。

こうして、各所で戦闘が繰り広げられた正門前は大混乱になった。まさしく、智氏が誇る知略と技術を合作させた妙味と言うべきである。


遊侠軍団が兵士達を相手に立ち回るさ中、数名の護衛を連れた智宵と天狙は正門の閂に取り組んでいた。

「ここを破れば、晋の勝利に一歩近づける。貴女は一人で苦戦しましたが、協力し合えば不可能ではないでしょう」

「そうだべな。ほいじゃ、火を付けるだぞ」

 天狙は松明で閂を炙り、炭化させた。そこに智宵の護衛達が斧で削り、堅牢な材木を細くしていく。そして、智宵自身が銅の鎚を振り上げ、何回も叩きつけたのだ。

コツ、コツと乾いた音が響き渡ること幾度か、ギギッと音を立てて門が開き始めた。

「やったあ。早速、皆を入れてやらねえと!」

 天狙が門を出ようとすると、

「済まないが、少しお待ちなさい。開門は同志らに任せ、城壁に登りましょう」

 智宵は天狙を制止し、城壁に通じる石段を登った。衛兵が遊侠と戦うために出払っているので、(もぬけ)(から)に近かった。

「あれは……軍旗と、狼煙(のろし)台だべか?」

「そうですね。近場の砦に連絡を送りましょう。援軍を要請するのです」


 天狙は言葉を失った。折角、この砦を破れるのだから、味方を雪崩れ込ませ、各個撃破すれば良いではないのか。彼女が目を白黒させていると、

「ただ勝つだけでは面白くありません。敵を少しでも誘き寄せて大打撃を加えてこそ、晋に有利なのです。中行・范両氏を倒す夢に近づきましょう」

 彼の策は、智氏の名に恥じない知略でありながら、単純な天狙にも素直に理解出来る明快さであった。

「分かっただ。なら、あいつらを焦らせた方が面白ぇと思わねえかい?」

 そう言った天狙が狼煙台に投入したのは、大量の狼の糞だった。狼煙は緊急の時になると、読んで字の如く狼の糞を用い、事態が急であればある程、多く投入した。

「ふふふ、貴女も意地悪ですね。さあ、私は旗を振ります。狼煙を頼みましたよ」

 智宵は上着を脱ぎ捨てると、敵軍旗の旗竿に結び付けた。見ると、“晋”と染め抜かれている。

「流石だべ。さあ、援軍共も早く来い」

 天狙は狼の糞を狼煙台に置くと、火を放った。濃い煙が、砦の上空に漂い始めた。


 一方、砦前方に展開された晋軍本陣では智瑤の陣営で軽めの夕食会が開かれ、趙無恤はじめ三卿と崇王彦がそれぞれの家臣団と共に招かれていた。

食事を終えた一同が智瑤に礼を述べ、自陣への帰り支度をしていると、

「もう少しで、何かの変化があるでしょう。戦車の支度をお忘れありませぬように」

 喜色満面の智瑤が腰の剣を撫で擦りながら、一堂に話しかけた。

「そうですな。おや、新稚狗よ。どうしたのだ?」

 智瑤に応える無恤の脇では、新稚狗がどこか欲求不満の態でうろうろしていた。

「どうもこうもねえ。俺様は、飯をたらふく詰め込まんと気が済まねえんでさあ。ああ、腹が減ったな」

 それを聞いた無恤は、呆れ顔で叱り付けた。

「この狼め。満腹で動けなくては、元も子も無かろう! 後でから牛や豚を丸焼きにして喰わせるから我慢致せ」

 夜戦が当たり前の華夏人は戦に備えて軽い食事を摂るが、日が昇れば動き、沈めば休んだ古代の遊牧民はそうした戦いは慣れていないのだ。

 増してや、巨体を維持するためにも相当な大食いである新稚狗は、軽い夕食は食べた内に入らない。空腹を抱える新稚狗を、張孟談や楚隆らが宥めた。

「ははは。戦う前に少し詰め込んでいれば、満腹感は出てくるものです。戦が済んだら、“張家宰”に美味き肉料理でも作って頂くが良かろう」

 智瑤は笑ってこそいるが、やはり孟談に執心のようだ。そのやり取りを見ていた無恤は叱る事を忘れ、新稚狗の荒々しさと、思いの外冗談を解する智瑤に思わず笑い出してしまった。


すると、食後の散歩と称して物見櫓の方に行っていた韓虎が魏駒と共に戻って来た。

「智卿、趙御曹司! 一大事でござる。鄭の砦で晋の軍旗が振られておりますぞ!」

「恐らく、中で暴動か何かが起こったのでしょう。うまくいけば、門を破れましょう!」

二卿の報告を受けた智瑤は、えたりとほくそ笑んだ。

「ふむ。あ奴め、名前通り宵の口に暴れ出しおったか……参りましょう。趙殿の御家来も活躍中でしょう」

「おう。天狙の工作も成功したようですからな。陽虎軍師、皆を率いて出陣じゃ!」

 傍らに待機していた陽虎は、趙の軍団を率いて主君を迎えに来た。趙の軍人達、特に新稚狗は大喜びだ。

「待ちかねたぜ。張の旦那、俺様が鄭の奴らを叩きのめして帰ってきたら、たらふくの飯だ。楽しみにしてるぜ!」

「分かりました。私は後方支援をしながら、親分のお帰りを見計らって肉を焼かせましょう」

 新稚狗の心強い言葉を聞いた孟談も、にっこりと頷いたのだった。崇王彦は、新稚狗を先鋒として騎馬隊と共に戦線に走り、智・趙の戦車連合が後に続いた。

智氏は智過が率い、韓虎と魏駒も待機させていた戦車隊や歩兵隊を招集し、砦の方角に進軍を開始した。

「宵の奴めが、趙氏の女戦士と出会って予想以上の戦果を上げてくれそうだ」

 趙無恤と共に指揮を執る智瑤の目には、弟が策略を仕掛けて炎上し始めた鄭の砦が、まるで赤く煌めく宝石の如くに映っていたのであった。


   3


 狼煙台を奪った天狙が送った煙は、近隣の砦に援軍要請として伝わった。

「おおっ! あの狼煙の様子からすると、戦線の要塞が危険と言う事だ。すぐに戦車隊を送ろうぞ!」

四方にある砦からは、戦車に乗った兵士らが先陣を切り、後方からは輸送用の馬車に乗った歩兵が支援のために続いたのであった。

「来たな……皆、門を開けて下さい!」

 準備万端の智宵は、晋の旗を振りつつ遊侠に指示した。それに合わせ、砦の門が開けられた。

「楚隆、陽虎軍師と共に戦車隊で城門に突撃せい!」

 無恤は鋭い眼を見開き、戦車部隊に檄を飛ばした。

「心得てござる。これより我が軍は、鄭の要塞に突撃致す。一番乗りを目指すのじゃ!」

 塩辛声を上げる陽虎の隣にいる楚隆の目はぎらぎらと輝き、戟をしっかりと掴んでいる手は闘志に満ちていた。

「学問を積んだからと言って、田舎の庶民などに威張らせてはおけん。代々の武門が戦を見せてやる!」

 宴席、そして偵察で貢献する張孟談に対抗意識を燃やす楚隆は、武人の誇りと共に城門に殺到したのであった。


 砦の外に広がる草原では、崇王彦と新稚狗が敵要塞の方角を見ていた。

「新稚狗君。この戦だが、貴君の見解は如何かな?」

 剛毛のような鬚を撫ぜつつ、自分に下問する代国王の様子に緊張しつつ、荒くれ者なりの礼儀で返答した。

「へい。俺が思いますには、援軍が城門まで来た所で一気に引っ掻き回してやるのが良いと存じやす。敵が来る前に飛び出しちまえば、ちと(まず)いでしょう」

「うむ。私もそう思う。では、我らは賢弟らが砦に入ってから、敵援軍を分断致しましょうぞ」

 破壊力抜群の騎兵でも、しくじればその損害が自分に及びかねない。崇王彦、新稚狗は共にそれを十分に弁え、迂回路を選んで進軍した。

 後続部隊を任せられた韓虎は、弩兵を連れて動こうとしていた。だが、魏駒の様子が変だ。

「魏駒殿、どうされたのでござるか?」

「ああ、これは韓老師……俺は何でもありませぬ」

 どこか気分の悪そうな相方を見て、韓虎は心配そうに問うた。

「儂にだけは話して下され。盟友の誼があるのに、水臭いですぞ!」

 すると魏駒は、本陣裏手にある物置場に韓虎を連れて行った。そこには、襤褸切れで覆われた車のような物が置いてあった。

「戦闘用の船です。鄭の周辺には河も多いので、水上戦に備えて持って来たのですが……お恥ずかしい限りです」

 ばつが悪そうな魏駒は、車を付けて運搬可能にした船を見て苦笑いした。そもそも、魏氏の領地は汾水を始めとした河が多く、水軍を多く整えていた。

 しかし、鄭の軍は陸に陣取っているため水軍の出番は無かった。結果、船底に車を付けて荷車代わりに使用するしかなかったので、魏駒は面目なさそうにしていたのだった。

「いや、貴殿の配慮は素晴らしい。使う機会もあるじゃろうから、きちんと管理して置かれい。では、わしらも手柄を立てましょうぞ」

 このような不安な時に、年長者の助言と励ましほど有り難いものはない。魏駒もまた、そうした思いを心に抱きつつ、韓虎と共に戦車部隊を率い、戦場に赴いたのであった。


 天狙、智宵と遊侠達によって内部から開けられた城門に一番乗りを果たしたのは、陽虎と楚隆が率いる趙氏の戦車隊だった。

「軍師、まずはこの砦の庁舎制圧を目指しましょう。さすれば……」

「言わずもがなじゃ。儂らの大手柄でござる!」

 楚隆は軍略にかけては勿論、劇の使い手としても若手随一の武人だが、老獪なる陽虎の兵法もまた、魯を騒がせただけの腕前だ。迎撃して来た敵の戦車部隊を、自軍の影に潜ませていた歩兵隊に弓で射撃させ、押し包むようにして撃破していった。

 こうなると、砦の中は蜂の巣を突いたような大乱闘になった。間者に城門を開けられ、敵の主力である戦車が城門を突破して内部を蹂躙すれば、守備側の形勢不利は否めない。

 智宵と合流して晋軍を導いていた天狙が、目ざとく何かを見つけた。南の方から砂煙が上がっていた。

「ありゃあ……新鄭の援軍だ。智宵さん、おらは本陣さ行って来るべ。知らせてやらねえと!」


 天狙は風のような俊足で城壁の崩れた所から飛び出すと、趙無恤と智瑤が率いる本隊の陣地まで走った。無学な彼女ではあるが、趙氏の旗印は分かったので、すぐに無恤と合流した。

「何と、首府から援軍が来ると申すか。智卿、そろそろ崇軍に連絡を致しましょう。騎兵の素早さと破壊力こそ、敵に打撃を与えられましょう」

 無恤の提案に、智瑤も大きく頷いて快諾した。

「良いでしょう。城門を愚弟めが開けているでしょうし、そこに近づいた所を貴殿の義兄上と部下に叩き潰して頂けば良いのです」

 無恤と智瑤は顔を見合わせた。そして、

「天狙、御苦労だが崇王家の軍に行ってくれ。主の相棒である新稚狗とも合流し、新鄭の戦車隊を破れとな!」

 主君からの命を承った天狙は、またしても疾風の如く走り出し、新稚狗の騎兵隊が崇王彦と共に駐屯する草原へと駆けて行った。

 

   4


 天狙は足の速さも俊敏だが、目の良さも優れていた。

彼女は、城外の草原で突撃の支度を整えていた崇王彦と新稚狗の騎兵隊を発見すると、無恤の書簡を掲げて接近した。そうする事で、自軍から敵兵だと疑われずに近づく事が出来るからだ。

「天狙君、御苦労でした。賢弟、もとい趙御曹司からはどのような御言葉だったかね?」

 天狙は崇王彦に書簡を奉り、新鄭からの援軍を断ち切る任務が代国・趙氏の騎兵隊に下された事を伝えた。

「おうっ、そりゃ楽しみだぜ。王様、確かに砂煙が向こうに見えるんです。突撃と行きやせんかい?」

 新稚狗は獣性を剥き出しにし、手にした殳を振り回して鼻息を荒くした。

それを見た崇王彦も機会は今だと感じていたし、新稚狗の暴れぶりを聞き及んでいたので、静かに頷いたのだった。

「良かろう。確かにあの砂煙は戦車隊によるもの。我が崇家の兵よ、勇猛さを中原に轟かすは今ぞ!」

 彼もまた、商と周の易姓革命で活躍した英雄・崇侯虎の末裔と称するに相応しい将器を持つ好漢だ。その言葉を聞いた兵士達も、大いに士気を鼓舞した。

「いざ、出撃せよ!」

 先鋒は新稚狗と彼の賊時代からの仲間で構成される趙氏の騎兵、本体は崇王彦自らが騎乗して率いた。天狙は隙あらば飛び掛かろうと、崇家に従う戦車の屋根の上に飛び乗って身構えていた。


 南にある新鄭から来た援軍は戦車を主体とし、後方からは歩兵と物資の輸送を兼ねた馬車隊が続いていた。

「晋め、好き勝手も今日までだ。我が軍が、貴様達の貪欲なる性根を叩きのめしてくれるッ!」

士気横溢した将兵の勢いは、まさに奔馬と言える。だが、その奔馬の喉笛を噛み切らんとする狼が駆け寄って来たのであった。

「野郎っ、援軍なんか行かせねえぞ。お前ら、残らず畳んでしまえ!」

 まるで、雷が百も落ちたかのような凄まじい咆哮が聞こえた。それに肝を潰した鄭の兵士らが見ると、刺を両端に植え込んだ棍棒、つまり殳を振り回した巨漢が飛び出して来た。 

 その巨漢こそが、他でもない新稚狗であった。彼は、血に餓えた猛獣の如く吠えると馬を叱咤し、騎兵を率いて戦車隊を横から掻き回し始めた。

 更に本隊と思しき騎兵隊が突進してきた。その部隊を率いていたのは、剛毛のような鬚が生えた鬚面に毛深い身体をしており、さながら熊のような風貌であった。

「余は代国の王・崇彦なり。義により、趙氏ならびに晋軍に加勢仕る!」

 崇王彦も戟を振り上げると、刃の部分で戦車に乗った将を叩き斬った。本来ならば突き刺し、薙ぎ払う武器で敵を斬殺したのだから、凄まじい腕力と技である。

新鄭の戦車部隊とて、盾による守備や弓での射撃、そして馬の脚を攻撃する刃を戦車の車輪に仕込んでいた。そのため、幾許かの騎兵が落馬していったが、それでも北狄の騎兵は止められない。

華夏の戦車は、同じ徒歩や車で戦う異民族を蹴散らす性能はあった。だが、三人で一台の車を操縦して戦うため、遊牧民の騎兵に比べると鈍重なのは否めなかった。

こうなっては、素早い上に突破力が古代社会において最強であった騎兵の面目躍如である。


 趙の切り札とも言える騎兵攻撃に、新鄭の戦車隊は援軍どころではなくなった。新稚狗、崇王彦の苛烈な攻撃に加え、追い付いた歩兵隊の天狙が弓矢や(いし)飛礫(つぶて)で援護射撃をしたために、大潰走が始まった。

 援軍が足止めされたのを知った晋軍は、弥が上にも士気が高まり、智宵の工作で開門された砦に殺到した。韓虎と魏駒の戦車隊も混乱する砦内に踏み込み、武器庫や兵糧庫を制圧していった。

 張孟談も、原過や延陵生と共に歩兵を率いて砦に入った。騎兵や戦車で敵を蹴散らしても、拠点や要塞を制圧するのは歩兵の役目なのだ。

「これより我が部隊は制圧戦を行います。皆、韓や魏の兵士らに遅れないように!」

 孟談は庶民の出であるため、軍事はほぼ無知である。そのため、楚隆のように的確な指令も出せなければ、新稚狗のように先頭を切る大暴れなど不可能なのだ。

 だが兵士らはそんな彼を莫迦にした様子も見せず、笑って励ましたのだった。

「心得ております。庶民だがお役人になりなさったお前様は、わし達の希望なんじゃ」

「民の気持ちが分かるあんたが趙氏の幹部になれば、さぞかし面白いだろう。指示には従うから、貫禄を持っておいでなさいまし」

 

 趙氏に限らず、四卿に仕える幹部は貴族出身者が大半だったため、民の情勢に疎い者も多かった。そのため、普段ならば成り上がり者と蔑まれるはずの孟談に、兵士達は期待していたのだ。

「……ありがとう。それでは、進軍を再開する。その上で、各拠点の制圧を行うッ!」

 剣を手に、戦車の上で歩兵を指揮する孟談だったが、乱闘に紛れて後方へと回り込んだ敵兵には気づかなかった。

「若造め、粋がるなよ……死ね!」

 長柄の斧を手にした将校が物陰から飛び出し、斬り付けようとしたのだ。

「伏兵か? しまった!」

ハッと気付いた孟談が避けようとした時には、斧は頭上に迫っていた。覚悟を決めた孟談だったが、どこか敵の様子がおかしい。

よく見ると、相手の背中には矢が刺さっており、そのために口から血を吐いて倒れ伏したのだった。

「この莫迦者が。呑気にお喋りなぞしておるからじゃ。兵士らの意見を聞くのは戦の後にせい。そんな事で家宰が務まると思うでないわ!」

 声の主は、智瑤と共に本体を率いて来た主君・趙無恤だった。彼は孟談の背後に敵が回ったのを見ていたため、すぐさま追い付いて敵兵を射殺したのだ。

 未熟ながらも生真面目な“家宰候補”の真摯なる姿を見つめる御曹司・趙無恤の目は鋭くもあったが、仄かな喜びに満ちていたのであった。


   5


 智氏と趙氏の計略を韓と魏が後押しする形で、鄭軍の戦線にある砦は陥落寸前に陥った。城外で援軍の分断を行っていた崇王彦と新稚狗、天狙もそれを見て一息ついていた。

「王様。あの砦、もう少しで落ちるんじゃねえかと思いやすが、俺らも入城しますかい?」

 新稚狗の進言を聞いていた崇王彦も頷き、

「それが良かろう。しかし、妙ですな。敵後方の部隊が、随分落ち着きを取り戻している気がするのだ」

 三人の将と兵士らの目に飛び込んできたのは、敵兵馬の遺骸を飛び越えて迫って来る軍勢だった。

「ありゃあ……首府から指揮官が援軍に来たんでねえか?」

 戦車の上に飛び乗って偵察していた天狙が呟くのと同時に、軍勢の先頭から一喝が飛んだ。

「待てい! この一帯の人々を苦しめる野蛮人とは、汝らのことか?」

 軍を率いる壮年の武人は、歳こそ無恤と大差は無さそうだが、背丈は新稚狗に匹敵する巨漢だ。その巨体に纏った革の甲冑には銀細工や山鳥の羽を付けて飾り、智氏が使ったような矛を携えている。

「はあ? 何言ってやがんだ。痛い目を見ねえ内にさっさとおうちに帰りな」

 悪口雑言をぶちまけようとした新稚狗を崇王彦が宥め、静かに笑って対応した。

「野蛮とは手厳しい。我らは偉大なる晋公家にお味方する、誇り高き崇王家である。どのような御用かな?」

「私は、鄭軍の将・駟弘(しこう)と申す者。鄭公殿下の御下命により、汝らを討つ……勝負を所望する!」


 駟弘は矛を手にすると戦車の操縦係に目配せしつつ、本来ならば長兵器を持つ武官に弩を預けた。

そして自らの乗った戦車を先頭とし、連携の取れた陣形を瞬く間に展開した。先程とは打って変わって精強な軍と化した鄭の戦車隊に、崇軍も手古摺った。

「お前ら、弱い者いじめもいい加減にしな。駟弘さんと言ったな……あんたは腕が立ちそうだ。一騎打ちと行こうか!」

 殳を手にした新稚狗が馬を進め、駟弘に大喝を浴びせた。対する駟弘も、

「貴殿の怪力、斥候から聞いていたが本当のようだ。では、一騎討ちをお受け致す!」

「おう。この新稚狗、戦と喧嘩じゃ遠慮はしねえ。俺様がぶっ飛ばしてやるッ!」

 新稚狗の殳は棍棒、駟弘の矛は戈に近いがどれも長大な兵器である。身体が大きく、それでいて新稚狗の腕力か駟弘の技が無ければ使いこなせない。まさに豪傑と達人、気迫の勝負であると言えた。

 新稚狗は、賊時代から狩りと乗馬で培った怪力で駟弘の脳天へ殳を打ち込もうとした。

それを見た駟弘の従者は弩で新稚狗を狙った。一度に二本の矢を連続で放ったので、流石に戦い慣れた彼でもかわせないと思われた。

しかし、飛んできた石が矢を跳ね飛ばした。

「何をするだ。ずるいぞ、この野郎っ!」

 天狙が、罵声と共に素早く石を投げて相方の危機を見事に救ったのだ。

それと時を同じくして、

「一騎討ちは武人同士の晴れ舞台。それを部下が矢で狙うとは、卑怯千万ぞ!」

 崇王彦が戟でもう一本の矢を払い除け、目を怒らせて駟弘らを叱責したのであった。

「お前達、よさぬか! 一騎討ちに加勢なぞ無用だ。主人を卑劣漢にしたいのかっ!」

 駟弘も部下二人の不心得を叱り、武器をしまわせた。一騎討ちも仕切り直しである。


 どのような時代や国にあっても、勝負に美しさと清廉さを求める武人は必ずいるものだ。駟弘もまた然りであった。彼にとっての戦とは、堂々と戦えば負けて死のうとも本望であり、仮に勝っても卑怯の汚名が残るだけなのだ。

孔丘をして、淫らな音楽を好む腐敗した国のように言わしめた鄭だったが、豊かな土地だけでなく駟弘のような人材を擁していたため、国家の体を為していたと言えた。

「良いぜ。あんたみたいに気持ちの良い男は、そこいらにゃいねえ。さぁ、勝負のやり直しだぞ」

「いや、貴殿こそ名を馳せた遊牧民の勇者と申しても過言ではない。お仲間も、流石は代の王様に南国の戦士殿と言ったところだ」

 矛を構え直す駟弘と、殳を振りかざす新稚狗の戦いが再び始まろうとしていた、その矢先であった。

「あれ……晋軍の旗でねえか?」

 目ざとい天狙が大声を上げた。一同が見ると、砦の城壁と中央部にある官公庁の屋根に翻っている旗印に書かれた文字が、“鄭”から“晋”にかわっているではないか。

 遊侠を味方にし、天狙を引き入れて内部工作を行っていた智宵の作戦が功を奏し、趙・智・韓・魏の四卿連合軍が守備隊を駆逐し、砦の殆どを制圧したのだ。


「このような惨敗では、新鄭に戻れぬ。行き恥を晒す気はない……さあ、殺せっ!」

 任務失敗を痛感した駟弘は、矛を下ろすと新稚狗に告げた。だが、新稚狗は殳を収めて笑った。

「いや、砦が一つ落ちただけだ。負けじゃねえぜ。それに、あんたは殺すに惜しい。敗残兵をまとめて来いよ!」

 久々の強敵に出会い、かつその男気を愛すべきものと感じたこの豪傑は、爽やかに微笑んだ。

 一方の駟弘も、汗と埃に塗れた顔に微笑を浮かべた。

「見逃すと申すか……良かろう。君が言うように、十分に兵をまとめてから、気持ち良く再戦といこう。さらばっ!」

 そう言うと駟弘は弩を持っていた武官に自分の矛を預け、御者に命じて砦の裏手へ戦車を進めさせた。追われて来た敗残の兵士らを、まだ無傷の砦に逃がすためだ。


 戦時に於ける遊牧民の苛烈さは、その後の歴史が示す通りである。だが、彼らには勇気に満ちた者は敵でも重んじる精神があり、その魂は征服王として名高い成吉思汗(チンギス・カン)にも受け継がれていった。

 だが、今を生きる新稚狗はそのような未来など悟る筈も無く、強き武人に出会えた喜びを噛み締めていたのだった。


   6


 新稚狗が駟弘率いる援軍を追い返した事で、ひとまず落ち着いた代国騎兵隊は、陥落させたばかりの砦に入城した。

流石に名将と言うだけあって、駟弘の指揮は見事であり、砦内の将兵らは各方面の基地へと撤退していった。

「義兄上、お疲れ様でございます。新稚狗も天狙も大儀であった。しかし、あの駟弘を取り逃がすとは惜しかったのう」

 趙無恤が智瑤に伴なわれて三人を出迎えた。すると新稚狗は、戦の経緯を語り始めた。

「俺はこの砦が落ちた時、隙を見せた駟弘を殺せたんでさ。だが、勇気も挫けた相手を殺すのは良くねえと思い、つい見逃しちまいやした。若さん、面目ねえ」

 流石の豪傑も、自分が敵将を見逃したのを主君が見ていたと話されると気まずそうだ。跪いて叩頭し、謝罪した。

「賢弟、確かに間違いを彼は犯した。だが、それは武人同士の礼ある振る舞いではありませぬか。彼が有罪ならば、私にも監督不行届きの責があるのですぞ!」

 今度は無恤が慌てた。義兄がここまで怒ったのを彼は見た事が無い。すると、智瑤が助け船を出した。

「戦に情けは無用。されど、人は追い込まれると死に物狂いになります。それを絶つ意味では、新稚狗殿が敵将を逃がしたのは兵法に適っております」

 無恤に語りかける智瑤の説く戦い方は、孫武、後世で言うところの孫子兵法に、

「死地には即ち戦え」

と記されているものと同じである。

追い込まれた者は死地を切り抜けるべく奮戦する。それによる災難を避けたければ、逃げ場を残すのも必要である。そうした状況下で徹底抗戦されたら、腕自慢の新稚狗でも苦戦は必須であったと言えるのだ。


「おう、流石は智卿。人の心理と戦いの駆け引き、両方の妙味を弁えておいでじゃ。私とて新稚狗を罰する気はなく、留意せよと諭したまでです」

 無恤の返答に、智瑤も笑った。

「然様です。心得を諭しさえすれば良いのであって、勇将を罰するのは愚策。人材の趙氏と讃えられる貴殿が濫りに臣下を斬るのは惜しいと思ったのですよ」

 そう言うと、智瑤は高笑いして自陣へと帰って行った。総帥として、新しい陣を監督しに行ったのだ。

 智瑤は、心底から趙氏の人材への温情を掛けているのではない。鄭を始めとした外敵を討つには、無恤が集めた人材を利用する事こそ肝要であれ、使える手駒を捨てる愚かさは持ち合わせていないのだ。

 助け船を出してくれた智瑤がいなくなると、無恤は諄々と新稚狗に説き聞かせた。

「新稚狗、智卿閣下のお言葉じゃ。敵を見逃した罪は不問に附すゆえ、次の戦で励めよ。良いか?」

「へい、心得やした」

新稚狗は無恤と崇王彦に拝礼すると退出した。そのしょんぼりとした様子を見ていた孟談は進み出て、

「御曹司。新稚狗殿は敵を逃がしましたが、崇陛下と共に戦車隊を蹴散らした功績はあります。せめて、それを労う料理を用意する事をお許し下さいませ!」

 情けある振る舞いをした戦友が御咎めを受けかけて失意の中にいるであろう事は、孟談が朴訥とは言え、むしろ朴訥ゆえ痛いほどに感じられたのだ。

「ふふ……優しい奴じゃな。私は罰さぬと言っているであろう? あ奴は良くやってくれたが、戦の不文律を守らせねばならん。それは主も分かるはずじゃ」

 無恤は、鋭い目をいつもにまして鋭くし、平伏する孟談を見下ろした。

「申し訳……ございません!」

「ひれ伏す暇があれば、あの大きな銀狼めに肉料理でも拵えてやらぬか。配下の狼共も空腹じゃろうから、しっかりと腹を満たしてやれ。良いな!」

 本当ならば笑顔で出迎えてやりたかったが、敵を逃がした以上は何らかの叱責を加えねば示しが付かない。こうした君主、指導者としての葛藤はいつの世も付き物である。

「おお。晋陽・邯鄲で評判の料理を味わえるとは滅多にない事。済まぬが、我が方の騎兵にも同じ料理を頂きたい。材料を我が軍の料理人に持たせ、派遣しますゆえ」

 義弟と智瑤、そして孟談のおかげで先刻の一件が解決し、明るい見通しが立ったのを見た崇王彦は、立ち上がると嬉しそうに手を叩いたのだった。


 崇王彦が手を叩く音に合わせてやって来たのは、生きた羊を従えた崇家の料理人達であった。遊牧民の文化を吸収している崇家では、軍隊が羊飼いをするのは常識なのだ。商王朝の時代から質実剛健を守り、平時は農業など日常生活に役立つ豚や食用犬を飼育し、戦時は放牧に適した羊を従軍させる尚武の王家ならではの食文化と言えた。

「陛下、御好意忝い事でございます。それでは、早速調理して参ります。天狙さん、手伝ってくれますか?」

 主君とその義兄の恩情を深く感じた孟談は、慌てて駈け出す天狙を従え、料理人と共に騎兵達への御馳走作りに勤しむ事となった。

 遂に陥落せしめた戦線の砦の上に、晋の軍旗が翩翻と翻っていた。その颯爽たる様子は、勇敢なる晋の重臣・趙父子に仕える意義を孟談に再認識させるに足るものであった。

その軍旗を照らす灼熱の夕日は、これから流れるであろう血の色を思わせる、どことなく不気味さを感じさせる赤さでもあったのだ。


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