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春秋の牡丹 最終話

最終章 春秋の牡丹


   1


 亡き趙無恤に趙襄子の謚が献じられ、生前から後継者に指名されていた趙浣が家宰を引き継いで延陵生の補佐を受けて当主となり、世代交代は一応の終着を見た。しかし、新体制となった趙氏は盤石ではなく、不穏な空気が漂っていた。

「お殿様の喪が明けず、延陵生殿は斉や楚との修好に努めておられる時じゃと言うに、どうしてこうも落ち着かぬのじゃろうか……何ごとも起こらねば良いが」

 喪服を着て旧主・無恤の死を悼んでいた孟談のもとに、その不安を決定付ける知らせが届いた。

亡き無恤が異民族の血を引く人々の協力で導入した政治や文化が破却され始めたのだ。趙鞅、無恤の夢を継いで趙氏が中原に覇を唱えるならば、異民族の呉越や北狄のやり方では華夏の諸侯に蔑まれるとして復古運動が盛んになった。

 そして、無恤一家と違って北狄の血を引かない若き当主・趙浣もそれを良しとしたために起こった事だった。各地に多く置かれた駅舎は数を減らされ、畜産物作りや騎射部隊に割り当てられる予算も大幅に減らされ、そのために冷や飯を喰わされた者達の怒りは日に日に膨れ上がっていった。


 無恤の死から一年が過ぎた紀元前四二四年の晩春、孟談の酒屋を無恤の御曹司一行が訪れた。彼ら武勇を好む四人の若君らは相変わらず胡服姿で馬に跨り、百人ほどの騎乗した随員を率いていた。

「先代家宰、失礼致します。我ら、任地替えで代国へ赴く道中であり、この近くで穀物や酒を購入できる市場や店などがあれば、ご紹介頂けませぬか」

「若様方、お久しゅうございます。それならば当店にお任せ下さり、ゆるりとお休みなさいませ。不足でしたら、近隣の店に儂が話を付けまする」

 御曹司らは町の家屋で休むことを固辞し、随員の兵士や作業者に町外れの野原に馬を繋いで天幕を張らせた。これには蓮英も驚き、

「まあ、皆様をお泊めする宿の支度だってできますわ。食料やまぐさも、公用なのですから徴用されても良いはずでございます。それなのに、野営などとは恐れ多いことです」

「奥方様、これは亡父の教えです。上に立つ者は国の基礎たる民を気遣い、虐げてはならぬとのことでした。もっとも、北狄から学んだ駅舎が残っていればこのような事にはならないのです」

 御曹司らが口惜しげに言うことには各駅舎の縮小化は急速に進んでおり、騎兵を率いた要人が休息できる大規模なものはなくなっており、その為に彼らは野営をしたり集落で食料を買うなど不便を強いられていると言う。

「それだけではありません。長兄は代総督として出立させられ、崇公主様と新稚将軍は北の国境守備に回されました。我々はともかく、これでは病弱な体に鞭打って励んできた兄が余りにも不憫でなりません」


 亡き先代の長男だった趙嘉は後継者にはならなかったが、趙一族で初めて胡服騎射を取り入れて智氏を討ち、邯鄲など要地を治めた功績で無視できない立場だった。弟達も武芸と勇気ならば兄を上回り、彼を助けて外交や政治にも励んでいたことから民の受けも悪くない。

 そうした当主に劣らぬ強力な集団は内部抗争の火種になりかねず、趙嘉の優しさと聡明さを知る延陵生でさえも反趙嘉を唱える趙浣の支持者達を抑え込むることはできなかった。

「こうなると、若様方がお気の毒じゃ。如何に事情があろうとも、ちと厳し過ぎですぞ。じゃが、皆様を慕う者もおりますゆえ、お気を強くお持ちなさいませ」

 孟談の励ましに、御曹司達は少し愁眉を開いて頷いた。長年の忠勤にこのような形で報いられれば、心中穏やかならぬのも無理はない。そこに、蓮英や町の人々が酒と肴を差し入れるために訪れた。傷心した若君達を慰めようと参じたのだ。

「奥方様、それに町の衆も忝い。我々兄弟はもちろん、父母もこの地酒が好物でした。代で勤務する者達もにも振る舞いたく思い、貴公らの町を訪れたのです」

 御曹司一行が野営する野原は人々が集う夜宴の会場と化し、身分も関係なく楽しむ無礼講で楽しい夜を明かしたのだった。


   2


 孟談が代へ赴任する御曹司一行を見送ってから数日後、町には馬を求める人々がせわしなく出入りし、更には武器の素材になる金属を高く買うと触れ回る商人までも現れた。

 戦の必需品を売り買いすることに血眼となる人々―この既視感のある情景は、韓と魏が斉、楚と共に趙を攻めようとした時と酷似したものだ。しかし、韓魏両氏とは和睦しているうえに延陵生が各地を巡っているので他国との戦もない。あるとすれば辺境の開拓地を襲う騎馬民族の活動が活発化しており、撃退のために晋陽や邯鄲から主力の戦車隊を派遣しているくらいだ。

「戦もないのに、妙なことがあるものよ。しかしまあ奇怪な……不吉なことにならねば良いが」

 孟談は得意先に酒を納めた帰り道、自分の憂いが取り越し苦労に終わることを願いつつ、騒然としつつある町の様子を見つめながら帰路についたのだった


 それから十数日後、孟談の住まう町に数十名の難民が姿を現した。戦争のあった土地で焼け出された人々が、比較的穏やかな地域で保護を求めるのは珍しくなかったが、その難民を率いる人物の口から発せられたのは、衝撃的な一言だった。

「張長老は御在宅か?城主の趙浣が面会を求めているとお伝え願えませぬか」

 取り次ぎの使用人から報告を受けた孟談が駆け付けると、そこにいるのは衣冠こそみすぼらしいが、間違いなく趙浣だった。

「おおっ、殿。晋陽の宮殿におわすはずじゃのに、一体どうされたのです?」

「情けないことに、晋陽で謀反が起こって宮殿を追われたのだ。国境で起きていた一連の騒動、反乱軍が糸を引いており申した」

趙浣が言うことには、邯鄲や常山などで代国、葷粥系の住民や将兵が蜂起して市街地を制圧下に置き、

「新しい趙卿は、我らの忠誠を顧みておらぬ。亡き先代の御長男である趙嘉様を奉戴すべし」

 各地にはこのような文言が書かれた幟が押し立てられ、それと同時に代国軍の先遣隊が夏屋山から駆け下り、電光石火の速さで晋陽を包囲した。侵攻軍、ましてや獰猛な遊牧民の騎兵が動けば略奪・虐殺の惨劇が降りかかるのが必然だが、不思議なことにこの代国軍はそうしたことをせず、わき目もふらず晋陽に向かった。


 その実、反乱軍が目指すのは趙卿の速やかな交代であるため、各都市を制圧する際にも抵抗する将兵は斬っても、無抵抗な人々には今まで通り暮らすことを喜んで認めた。そうした人々を勝手に処刑する事はもちろん、略奪や棒鋼など危害を加えれば斬首と言う鉄の掟で兵を戒めていた。

 それ故に、晋陽郊外の町や村は軍が通っても蛮族鎮圧の復命くらいにしか思わず、反乱が起きたことなど全く気付くことはなかった。

 しかも、空氏の縁で趙に仕官していた空同氏が武装蜂起して晋陽のあちこちで暴れ、家臣らに促された趙浣は後ろ髪を引かれる思いでわずかな家族や従者を連れて地下通路から逃げるしかなかった。この時は晋陽防衛の軍勢を国境に割いてしまったことが災いし、反乱軍を撃退できなかったのだ。

「それはお辛いことでしたな。むさ苦しい私邸では宜しければ、どうぞお休み下さいませ。そうじゃな、滋養のある食事も支度しましょうぞ」

「忝い。斯様な事態を招いた余はまだしも、ついて来てくれた者達、特に女子供や老人らは充分に食べさせてやって下され」

 そう言うと趙浣は、身の回りの手荷物を持った随員に伴われて力無く歩きながら孟談邸の門をくぐった。立ち居振る舞いや話し方こそ、大勢力の当主たらんと言う気負いと威厳は感じられるが、生真面目過ぎて清濁併せ呑む力量に欠けているのは、誰の目にも明らかであった。孟談は召使いを総動員して屋敷の客間を清掃させ、自らも蓮英と共に食卓を整えて趙浣一行に捧げつつ、無念を噛み締めていた。

(恐れていた事態が起きたか……北狄の協力で一門を富ませておきながら、それに仇で報いるならば、こうなることは自然な流れじゃろうに。しかし、退官した儂が動くわけにはいかんが、何もせぬのは先代を裏切ること……悔しいぞ)


   3


 晋陽を追われた趙浣を匿って一両日が過ぎた。他国へ使いに行っていた延陵生が孟談の邸を訪れた。行く時は士大夫の装束を纏って豪奢な馬車で旅立った彼だったが、この時は胡服姿で早馬に乗って駆け付けてきた。

「張長老、申し訳ございません。殿が御無事とは言え、このような事になってしまい、私は家宰失格ですね」

「何を言われますか。家宰とて絶対の権力者では無いのじゃから、思う様にならんのは当然ではござらんか。ささ、作戦会議を為さって下さいませ」

 孟談の邸に招じ入れられた延陵生は趙浣と再会し、今後の策を講じた。今回の事件を早馬の報告で察知した延陵生は旅先から各地の趙家臣団に指示を出していた旨を言上した。


一、国境の警備隊を最低限にし、呼び戻した軍勢で邯鄲など主要な市街を奪還する作戦に従事させている。

一、防衛拠点を原過の一族が管轄する神殿に移し、歴代当主や重臣の霊廟を拠り所として士気を高める。

一、大多数の臣下が反対した胡服騎射や駅制度の一部復活を条件に、職位を追われた不満分子を帰順させる。


「延家宰よ、そなたの迅速な行動と的確な提案に感謝致す。余はその見事な策に従おうと思うぞ」

「殿、勿体無き仰せ。我が親族の高共を始め、ここにおわす張長老、亡き楚家宰の為さったことを真似ただけで、大した事ではありません」


 この提案を傍らで聞いていた孟談は、硬軟を織り交ぜた策を即座に使いこなす延陵生の切れ者ぶりに感嘆せざるを得なかった。窮地に奮闘する彼は、家宰失格などではないどころか、自分や楚隆、いや高共に勝る名家宰ではないか。

 利便性に富んだ異民族伝来の制度を再採用することで自軍を優勢に導き、無傷で敵を帰順させる一挙両得の策は、こうした状況に最適であった。また、当主交替を訴えて旗揚げした反乱軍が、同じ趙氏の祭祀を司る神殿を襲わないのを見越した慧眼に敬服したのだ。

「延家宰、御謙遜をなさいますな。儂など、とても貴男様の足元には及びませんぞ。むしろ、この素晴らしき策をお手伝いできないのが口惜しいです」

「……ならば張長老、頼まれて欲しいことがあるのです。敵将は、長老と親しい人々ばかりなので、帰順するようにと説得して欲しゅうございます」

 延陵生が調べさせたところ、夏屋山に展開している代国軍の総大将は趙嘉と越夫人、右翼は四人の弟御曹司が率いる騎射部隊、左翼は崇公主と新稚穆子に従う騎馬民族の兵団と言う万全の布陣だった。敵になったとは言え先代の血縁やその配偶者を誅殺するのは心情としても忍びなく、その扱いに苦心していた延陵生は孟談に白羽の矢を立てたのだ。


   4


 趙浣と延陵生は、孟談との作戦会議が済むと足早に原氏の神殿へと向かっていった。集まってくる各地の将兵と共に晋陽奪還をしなくてはならないし、一宿一飯の恩がある孟談らを戦渦に巻き込みたくなかったのだ。

孟談はどこかの倉庫の物らしき鍵を取り出して延陵生に手渡し、彼らの見送りを済ませると邸の庭に一族と町の代表者を呼び、これからの事を話した。

「これから儂は、代の本陣に使者として向かうことになった。万一、儂が生きて帰らなかったことも考え、後事をお願いしたく思って皆の衆を呼んだのじゃ。趙氏への御奉公で栄えたからには、御恩に報いねばならぬでな……分かって下され」

 集まった人々は涙をこぼして悲しんだが、孟談の決意が固いことと趙浣、延陵生の願いであることを知ると、気持ち良く孟談を送り出すことにした。

「爺様、御武運を。使者を務めることが、あなたの戦ですからね」

「行ってきますぞ、婆様。儂が帰らなかったら、貴女が皆を守り導いてやって下されや」

 一同を代表して進み出た蓮英に別れを告げると、孟談は自家用の馬車に乗って十数騎の騎射部隊に守られて夏屋山へと向かった。

「これが最後の御奉公になるかも知れん……あの書物が、こんな所で役に立つことになるとはな。世の中は全く分からんものよ」


 その頃、夏屋山にいる代国軍には衝撃が走っていた。趙浣が晋陽を脱出して生きていた事と、延陵生の帰国は趙の領内に知れ渡り、各都市の反乱軍が鎮圧されていると言う知らせだった。これには、戦場では敵無しと恐れられた遊牧民の戦士達も驚きを隠せない。

「そんな莫迦なことがあるかい!国境の趙軍が、そう簡単にゃ帰って来られるはずはないんだ。何せ、うちで雇った部族の傭兵が、開拓地を襲ってるんだからよ」

「その傭兵共、延家宰がうちらの報酬よりもたくさん金品を与えたもんだから、気を良くして引き上げたんだとさ。そう言えば、他の国から軍馬の援助がめっきり減ったのも、趙の仕業と言うことだぜ」

 延陵生の手配していた国境警備の軍勢が戻って来たため、士気は高くとも兵力と武装で劣る反乱軍は壊滅させられ、邯鄲や常山は奪還されていった。

 また、騎馬民族の武器であり足でもある軍馬を供給しているのは北方の燕、西方の秦と言った国々であることに気付いた延陵生は、傭兵を派遣していた部族の長を買収して撤兵させ、更には代への軍馬供給を遮断ないしは減少させたのだった。

 他国による代への応援が弱まる一方、晋国内からは晋公の名前で韓・魏両氏の援軍が派兵されることとなった。この僥倖は延陵生の外交努力によってもたらされたものだが、華夏の誇りにかけて北狄の脅威には屈することが出来ないと言う気風が、晋国内にあったのもまた事実だった。


 また、国内にいる反乱軍残党に対しては、彼らの心身を傷つける事無く味方に取り込むことを趙浣軍は忘れてはいなかった。

「強制的に戦わされていた者達の罪は問わない。我らも善政を敷くので、諸君らも心を入れ替えて趙に忠義を尽くして欲しい」

 延陵生の献策が受け入れられ、趙無恤の頃のようにとはいかずとも騎兵隊や駅制度の復活が約束されたことは異民族出身者ばかりか、華夏人も歓迎した。士大夫のような形式を重んじずとも生きられる庶民には、利便性があれば全く気にしなかったからだ。こうして趙浣軍は充分な体制を整えて晋陽に進軍し、夏屋山の代国軍と対峙する準備を整えたのだった。


   5


 翌朝、日の出と共に帰還してきた軍と原氏の神殿で合流した趙浣と延陵生が晋陽に軍を進めると、待っていたかのように代の先遣隊が晋陽城から出撃した。内応していた反乱軍を鎮圧され、趙浣に降伏する気が無いならばと攻撃を始めたのだ。

 晋陽に立て籠もる代軍の武将らが趙浣軍の陣容を見ると、薄汚れた戦車に乗った将兵とわずかな騎兵、あとは長兵器と盾を持った重厚な鎧を着た歩兵がいるだけだった。この風変わりな装備は、神殿の宝物庫で保管されていたものだ。

「主力の戦車は疲れ切り、騎兵も満足にない彼奴らが我々に挑むとは笑止千万。寄せ集めの歩兵隊に何ができようか。踏みにじってしまえ!」

 自分の一族をないがしろにされた怒りをぶつけるかのように、代に味方する空同氏の武将が叫ぶと、騎兵が殺到した。しかし、

「今だ、光!」

 延陵生が檄を飛ばすと、歩兵の盾が太陽光を反射させて馬の目を眩ました。これでは、突撃どころではない。そして、

「突き出せ、林!」

 間髪を置かず、長兵器が繰り出されて馬や乗っていた騎兵が串刺しにされ、次々に討ち取られた。突撃が無理ならば、包囲して得意の騎射戦術を見舞おうと代の騎兵が展開すると、

「軍楽隊、前へ!」

 延陵生の号令と同時に、金属製の打楽器や法螺貝、管楽器を携えた一団が現れ、一斉に楽器を鳴らし始めた。そのような騒音を聞いたことなどない草原育ちの馬達は驚いて制御が効かなくなり、もはや包囲攻撃どころではなくなった。


 すると、今度はこちらの番だとばかりに趙浣軍は矢を射掛けて反撃し、怯んだ騎兵を確実に仕留めていった。更には、晋の軍旗を掲げた韓・魏の増援が到着したのもあって、代軍は徐々に数を減らしていった。

「まさか、斯様な奇策と新兵器を持っておるとはな。皆の者、これ以上命を粗末にしてはならぬ。夏屋山の軍と合流せよ!」

 戦況不利を悟った指揮官の命令で騎兵達は晋陽城を捨て、夏屋山へと退却していった。延陵生は追撃を命じず、晋陽を自軍の支配下に置いて捕まっていた人々の救出を優先した。目的は敵の殲滅ではなく、あくまでも趙氏の本拠地である晋陽城を奪還することだからだ。


「そなたと張長老のおかげで、ようやく晋陽を取り戻すことができた。延家宰、大事そうに持っているその鍵はどうなされたのか?」

 晋陽の宮殿に戻った趙浣は、その日のうちから住民の慰撫と防衛の維持に勤しんでいた。少しゆとりが出来た時、傍で政務の補佐に当たっていた延陵生が腰に古びた鍵を吊るしているのが目に止まったのだ。

「これでございますか。この鍵は、張長老が授けて下さった最終兵器なのです。しかし、驚きましたよ。かつての敵が今は我らを助けるとは、信じられません」

 延陵生が渡された鍵は、かつて孟談が智瑶から与えられた武器や書物を収納した倉庫の物だった。智瑶は処刑される前の望みとして孟談に宴を依頼したが、その褒美として宝物庫や書庫から好きな物を彼に取らせることを遺言していたのだ。

 智瑶の遺品たる兵法書や武器を受け取った孟談は、最も保管に適している神殿の倉庫にそれらの品を納め、有事に備えていたのである。

「私が用いた盾と長兵器の戦術は、智氏が得意とした甲人隊の兵法でございます。馬が嫌う音を演奏して騎兵を防いだのも、張長老が智卿に賜った兵法書に記してあったのです」

 趙氏を長年苦しめ、時には窮地に追い込んだ智氏の発明、戦術が今回の勝利をもたらした事に、“種明かし”をする延陵生はもちろん、趙浣もその奇しき運命に言葉を失ってしばし沈黙したのだった。


   6


 一方、夏屋山に向かっている孟談は晋陽の方角から負傷した代国の騎兵が逃げてくるのを見て、戦況が趙浣に傾きありつつあることを確信した。

それは、趙嘉兄弟や代国の人々が屈辱の敗戦を喫することを意味していたが、優位な状況ならば降伏勧告もしやすいのではないかと一縷の望みを持ちつつ、夏屋山の陣地前に降り立った。

「儂は元家宰・張孟談です。こちらが殿から授かった書簡ですので、どうぞ御大将にお目通りさせて頂きとうございます」

 夏屋山の本陣には趙攻略に失敗した多くの傷病兵が運び込まれ、戦えるのは本隊の将兵ぐらいであった。そうした状況下であるため、孟談一行を出迎えた兵士らは当初こそ殺気立っていたが、趙氏の元家宰が親書を携えているのを見て奥に通してくれた。

 兵に案内された孟談が本営に入ると、正面の玉座には趙嘉が越夫人と四人の弟を従え、崇公主と新稚穆子、そして諸部族の長達に守られて鎮座していた。孟談が拝礼して親書を読み終えると、御曹司達がぴしゃりと遮った。

「そなたは本当に張長老か?先日は我らに理解を示しておいて、此度は趙卿の使者として来るとは解せない。彼は身共が直々に取り調べるゆえ、余人は退出して待っていなさい」

 御曹司達は人払いをすると孟談を取り囲み、新稚穆子も立ち上がって歩み寄って来た。一連の戦闘で自分は趙浣寄りだと見られ、不信感を抱かれて斬られるのかと孟談は覚悟を決めた。

「お久しぶりですね、張長老。懐かしい顔ぶれが揃ったのだから、腹を割って話そうではありませぬか」

 そう言うと、新稚穆子は孟談を軽々と持ち上げると趙嘉の隣にしつらえられた上座に腰掛けさせた。


「新稚附馬、驚かせんで下さいませ。悪戯好きな性格は変わっていませんなあ」

 孟談は、戦のさなかでも陽気さを忘れない新稚穆子に呆れつつも懐かしさを感じながら一同の説得にかかった。争っているのは同じ趙氏、ないしは北狄同士であり、無益な争いを止めて帰順して欲しい旨を切々と訴えたのだ。

 孟談の説得を聞く面々は昔から孟談の実直さを評価し、不器用さすら魅力だと愛している人々ばかりだったので、皆穏やかに聞き入っていた。これで彼らは降伏してくれると確信した孟談は、畳みかけるように懇願した。その有様は、勝者の側から遣わされた使者とは思えないほどの悲痛さだった。

しかし、

「張長老、行き届いたお気遣いに感謝致します。しかし、我らは誇り高き趙氏の一族にして、空同氏と崇王家の縁者。生き恥を晒すような事は致しません」

 明鏡止水の境地なのだろうか、己の死を客観視した趙嘉の返答に、孟談は絶句した。他の面々も、趙嘉に殉じる覚悟を決めているのか沈黙していた。


 後継者から外されても恨まず、病身を鞭撻して励んだ長兄と、それを支えた弟達の何と健気なことか。乱世の常とは言え、異郷・異文化のもとで生き抜いた崇公主、新稚穆子、越夫人は共に戦った仲間でもある。彼、彼女らには生き延びて欲しいと思いこそすれ、その死を肯定する気にはなれなかった。

(出来ない……儂にはこの方々の惨めな死を認めるなど、到底出来ないことじゃ。もはや、万策尽きたと言うことか……無念!) 

 死を決意した代軍の武将達の決意は、如何な手段を使っても揺らぐ事が無いのだろうか。不退転の覚悟を前にした孟談は、その場で項垂れていた。


   7


(趙襄子様、御一族を救えなかったこと、お許し下さいませ。阿譲、智卿閣下……儂にあなた方のような力と知恵が無いのが悔やまれてなりませぬ)

 孟談の脳裏には、亡君・無恤だけでなく幼馴染の豫譲、そして智瑶の姿が浮かんでいた。自分を才能ありと評価し、刑死するに当たって置き土産である武器や戦術を残してくれた恩人も、自分のありさまを見たら嘆くだろう。

 だが、その智瑶のみならず、無恤や豫譲が認めてくれた孟談の持ち味は、知恵や武力だっただろうか?いや、そうではあるまい。

(おお、そうじゃった。儂の取り柄は、こういう時に活かさねばならぬのではないか!)

 孟談は、心中の霧が晴れたような思いだった。今まで自分の人生を切り開いた策は、“演出”することだったのではないか。孟談は吹っ切れたように顔を挙げ、趙嘉を始めとした皆に言い放った。

「承知致しました。死ぬと仰せであれば致し方ありませぬ。じゃが、その死とは命を捨てない死でございます」

 孟談の言葉に、一同は膝を乗り出した。死ぬのを認めるが命を捨てることを意味しないとはどのようなものだろうか。居ても立っても居られなくなった越夫人が、主君である夫を庇うように進み出た。

「張長老、殿や皆様を救って下さるのですね。教えて下さいますか」

「はい、奥方様。それは名前を変えてこれまでの命を断ち切り、新天地で新たな人生を歩むことでございまする」

 孟談の策は、城に火を放って自害したように偽装し、避難者に紛れて異民族の領土に落ち延びるものだった。それにあたって改名はもちろん、故郷を捨てて別人にならねばならないため、死ぬと言ったのである。


「そいつは面白ぇや。お優しい張の旦那らしい考え、大賛成だぜ。喧嘩の後始末は、是非ともこの俺様にお任せ下さい」

 孟談が振り向くと、新稚穆子が愉快そうに笑っていた。その様子は、共に戦いの日々を過ごしていた新稚狗の頃そのものだった。

「穆子将軍だ、新稚附馬なんて言われているが、あの時と中身は変わっちゃいねえんだ。異国に逃れりゃお殿様の家臣じゃなくなるんだから、昔に戻ってまた暴れてやろうと思います」

「それは、おらも同じだべ。若様に嫁入りしてからも、こっそり鍛錬してたから昔ほどじゃねえけど素早くは動けるだよ。この作戦、手伝させて下せえ」

 越夫人も、天狙だったころのような悪戯っぽい笑みを浮かべて孟談の策に賛同してくれた。それを見ていた趙嘉は深く頷き、皆に問うた。

「公主並びに族長方、そして兄弟達の意見はどうですかな?私は姫や附馬と同様、張長老の有り難い献策をお受けしたく思います。これ以上の犠牲を出すことは許されぬことであり、皆で北狄の地に行きましょうぞ」

 成り行きとは言え謀反人の総大将となってしまったが、誰に対しても優しさを欠かさない趙嘉の聡明さも健在だった。その様子には貴人として教育を受けた崇公主や御曹司らはもちろん、族長達も反対する者はいなかった。


「心得ましたわ。崇家は周に敗れて以来、遊牧で生き延びた家でございますので、元の鞘に収まっただけでございますね」

「公主の仰せのままに。張長老、皆様のことは任せて頂きたい。公主と新稚附馬だけでなく、趙襄子様の御子息方をお迎えできるとは却って喜ばしい事なのです」

 本来は北方の草原や山国に住む部族、ないしはそれと同化した商王朝の残党だけあって崇公主と族長衆の顔には晋国を追われると言う悲壮感はなく、新天地に旅立てる希望すらあった。孟談は、遊牧民のたくましさに舌を巻きつつも、献策が容れられた事を謝した。

「皆様、老いぼれの愚策をお認め下さったこと、有り難き幸せにございます。では、手筈を整え次第、策を決行致しましょうぞ」

 作戦会議を終えた孟談が夏屋山の城を出ると、山の麓には趙浣と延陵生が本陣を構えていた。代軍が孟談の説得を聞かず、意地でも継戦するならばこちらから攻撃を仕掛けようと、身構えていたのだ。

「殿、申し訳ございませぬ。趙嘉様以下、代の方々に降伏の意思はなく、敗れたからには自害致したいとの言伝でござった。これを殿にお渡し願いたいと、お預かりして参りました」

 孟談が差し出したのは二つの竹簡だった。一つは敗軍の将にかける情けあるならば自害を賜り、代に味方した敗残兵を北狄に落ち延びさせて欲しいと趙嘉からの嘆願書だった。だが、もう一つの竹簡を開くと趙浣は顔を曇らせた。

「むう……余は亡き先代と先々代の思いを裏切ってしまったと言うのか?張長老、せめてもの手向けとして、死にゆく敵将らを貴殿の得意な宴で楽しく見送ってやって貰えませぬか。お願い申し上げる!」

 趙浣の頼みを拝命した孟談は、作戦が成功したのを喜びつつ支度に取り掛かった。輸送隊の手を借りて酒を始めとした食材を運び込む際に、煙が多く出る可燃物を燃料に紛れ込ませることも、抜かりなかった。


   8


 孟談は夏屋山に戻ると、趙浣からの慈悲で最期を飾る宴を開くことを趙嘉らに伝えると、新稚穆子は笑顔で孟談を城内の牧場に案内した。

「旦那とのお別れは寂しいが、一世一代の楽しい酒盛りにしてえな。野郎共、家畜の中でも美味そうなのを俺様が潰すから、旦那の料理を手伝ってあげるんだ」

 新稚穆子の張り切りぶりに皆も笑みがこぼれ、崇公主と族長らも家畜の選別や調理に参加した。普段は乳製品や野山の幸を主とした素朴な食事だが、時には潰したての家畜を肉ばかりか臓器までも余すことなく味わう北狄の料理は、華夏の食文化にはない豪快さが持ち味だ。

 この野趣溢れる料理は孟談も気に入っており、俄然やる気が湧いて老いを感じさせぬ、きびきびした動作で支度を進めた。主催者である趙嘉は、越夫人や弟達を指揮して自ら花を飾り付けて広間を掃き清め、城内の将兵らを呼び集めて宴の開催を告げた。

「我らはこれまでの生を終え、新たな世界を目指して旅立つことと相成りました。それに際して趙浣殿は宴を賜って、張長老が支度をして下された。さあ、新たな人生の門出を祝いましょうぞ」

 趙嘉の言葉に皆は快哉を叫び、喜びの酒を酌み交わした。ここまで爽やかな敗北と落城は無く、それもかつての名家宰・張孟談のおかげだと将兵らは笑いあったのだった

「日が傾いて来たら宴を終え、山の各所に仕掛けた罠に火矢を射掛けましょう。山育ちの貴女が監督してあげなさい。姫、いえ天狙さん」

 宴を楽しみつつも脱出に余念がない趙嘉は、昔の名前で妻を呼んだ。それは、もう趙氏の主とその夫人では無くなり、普通の男女になって旅立つことを意味していた。

「へ、へいっ。天狙って呼ばれたの、久しぶりだから落ち着かねえだよ。それなら新稚狗、若様の護衛をしてくれっかい?」

 照れ臭そうに赤面する越夫人を見た新稚穆子も、

「おめえ、水臭いぞ。また、俺と一緒に殿軍をしようぜ。済まねえが姫、若様達と先に逃げて貰えませんかね」

 崇公主は快諾し、四人の御曹司と共に趙嘉を補佐して草原へ退避することを引き受けた。草原に伝令の早馬を飛ばしていた族長達からは、露払いを兼ねた迎えの騎兵隊が向かっていると報告が来ており、約束の時間が近づいていた。


「殿、家宰様!ご覧下さい。山のお城が……」

 孟談が宴を開くために夏屋山に向かったその日の夕暮れ時のこと。物見の兵士が本陣に駆け込んで急を知らせた。趙浣が延陵生達と共に外に出ると、夏屋山の城から黒煙と共に火の手が上がり、夜空を焦がした。

「趙嘉殿と一党の人々、天晴れな御最期……されど、何と痛ましく、哀れな事か。斯様な事になり、余は己の無力が口惜しい」

 この乱世に宋襄の仁は無用の長物。されど、同じ一門で助け合ってきた者達であり、争いの原因も些細なことなのだから、辱めることはもちろん、命も奪うつもりはなかった。

 それは趙氏を束ねる趙浣だけでなく、自軍の強さに酔い痴れて中原進出を声高に唱え、今までの体制を蔑ろにした進言をした臣下一同も同じで、このような事態を招いた己の浅はかさを今更ながらも悔やんで立ち尽くしていた。

「殿、お辛いでしょうが前を向きましょう。皆様もですぞ。張長老も無事で戻ってこられたのですから」

 延陵生の視線の先には、輸送隊に護衛されて山を下りてくる孟談の姿があった。この度も彼の策に救われた趙氏一門の歓声に笑顔で答えながらも、仲が良かった人々と永の別れとなった孟談の心は寒々としていた。

(さようなら、天狙さん、新稚狗親分。若様方を宜しくお頼み申します)

 斯くして当主・趙浣を一度は放逐した代の反乱軍は鎮圧され、趙は再び一つとなった。後世の史書では趙嘉はこの年に死に、残された彼の子供や弟達はそれを良しとしない人々に討たれ、趙浣を返り咲かせたと記している。

 だが、彼らは旧主の子が非業の死を遂げるのを見かねた老臣によって母の国でもある北狄の領域に落ち延び、ひっそりと命脈を繋いだ。その事を知る者は極僅かであり、歴史の闇に消えていったのである。



   9


 趙の再統一が果たされた後、晋陽では趙浣が文武の家臣を集めて会議を開催していた。議題は先日に鎮圧された反乱の戦後処理であり、本来ならば謀反に加担した輩への極刑を望む声が強いはずだが、この会議では寛大な処遇を求める穏健派が多数を占めた。

 延陵生が反乱軍を帰順させる際に提言した、かつて導入されていた北狄式の制度復活や赦免の約束を守らねば、臣民の支持を失いかねない。また、夏屋山から落ち延びた者達は元いた草原や山へと追放したので罰は受けており、これ以上の処罰と報復を行えば国力を損なうのは火を見るより明らかだったからだ。

「殿、斯様な甘い御処分では謀反人共を調子付かせ、蛮人が晋国を蹂躙する事態を招くのではありませぬか」

「皆の言葉、尤もである。だが、これを見なされや。それでも、過ちで反逆に加わった者らに、惨く当たれと言うのか」

 趙浣が落ち着き払って強硬派の臣下に見せたのは、孟談が趙嘉から託された二つの竹簡だ。一つは自らの死と引き換えに配下を見逃して欲しいと嘆願する趙嘉の手紙だったが、もう一つは姑布子卿が趙鞅と無恤を占った記録と、それに従って趙浣に仕えることを子供達に伝えた遺言書だった。

「本来ならば公にしてはいけない物であろうが、余は己の愚行を戒めるためにこれを公表致す。先代、先々代の御教えに従わなかったことで天がお怒りになり、今回の事態を招いたのではなかろうか」

 祖父と父の教えを守って北狄の騎兵を統率し、趙浣に忠義を誓った趙嘉の心は誰もが知るところだ。だが、驕った家臣らとその誘いに乗った趙浣の命令で苦しんだ者達の不満と怒りは大きく、それが趙嘉らの反乱に繋がった。それを目の当たりにした趙浣は深く反省し、厳罰に疑問を抱く心境を吐露した。


 趙浣の言葉で亡君の温情を思い出した強硬派の家臣らは、自らの進言が災難を招いたの薄々自覚していたこともあり、、彼らも語気を荒げることが出来なくなっていった。当の帰順者達は自宅での謹慎を言い渡され、或いは捕虜として役所の獄中にいたが、反乱が収束すると晋陽に呼び戻されて趙浣から沙汰を受けた。

「主らの起こしたこと、善とは言えぬ。だが、我らにも過失があったことは事実であり、政治を改めるのが道理である。よって、延家宰が申していた通りに改心して趙復興のために働くこと、それを以て主らの為すべき償いと致す」

 謀反を起こし、なおかつ負けたのだから斬罪に処されることを覚悟していた帰順者一同は、君恩を謝して趙への忠誠を誓った。この裁きを甘過ぎると不満を漏らす者もいたが、北狄由来の文化や技術は趙の領内に根付いていた上に血筋でも同化している者が多かったため、彼らも趙から北狄を排斥するのは現実的ではないと折り合いを付けていくこととなった。


 この裁きを見て肩の荷を下ろしたのが、解決の立役者となった張孟談だった。趙を救った功労者として宮殿に招かれた孟談は、自分と一族を重臣に取り立てたいと趙浣らに持ちかけられたが、退官を理由に辞退した。趙浣に味方したが、心境としては反乱軍に同情的だった彼としては、寛大な処遇を求める嘆願が受け入れられただけで十分なのだ。

「そう謙遜なさいますな。忠義な者、功績ある者に報いないなど、君主のすることではありませぬ。どうか、余の顔を立てて恩賞を受け取っては下さらぬか」

 趙浣の熱意に折れた孟談は、名誉職として貴族の位と晋陽城内の邸宅を拝受することを決めた。家業である酒蔵や料理屋はその技術で趙氏の儀式に奉仕する、言わば御用達となったのである。

「参ったなあ。儂は民として生きていければそれでよかったのだが……趙襄子様は何と思われるであろうかの」

 叙任を終えた孟談が、苦笑いしながら帰宅しようとした時のこと。

(莫迦者めが、相変わらずお人好しだな。お前は私の息子らばかりか、姪や嫁達までも助けた功労者なのだぞ。もっとしっかり自信を持て!)

 どこかから、忘れもしない無恤の懐かしい声が聞こえた気がしたのだ。あたりを見回したが、孟談に話しかける者はいない。空耳か、そうでなければ自分が力及ばなかった事に対し、それを正当化しようとする行為を無意識のうちにしてしまったのであろうか。

「そうじゃ。儂は襄子様だけではなく、亡くなられた人々の分までも歩みを進めねばならんのだ。堂々と、胸を張ってな……」

 孟談は頷くと、恩賞の目録と任命状を握りしめて晋陽の宮殿を後にした。城壁には、“趙”の旗が爽やかな春風に翻っていた。


   10


「これで儂の話はおしまいじゃ。旬愛、お主が見た石碑と言うのは智卿閣下や豫将軍のみならず、趙氏の内紛で消えていった人々の物でもあるのだよ」

「はい。確かに趙のお殿様は商の天子様に仕えた重臣のご子孫ですし、その慰霊碑も兼ねているならば、晋国内にあってもおかしくないですね」

 昔語りを終えた孟談が一息つくと、旬愛は彼の盃に燗をした酒を注ぎ足した。敵対者や謀反人を慰霊、顕彰するなど裏切りと解釈されかねない行動も、彼らの恩恵を受けて、なおかつ趙への忠勤を認められた孟談が趙氏に乞うて許された。言わば、恩返しの石碑だったのだ。

「すべて話したからには、これをお主に進呈せねばなるまい。頭をお出し」

 旬愛が頭を出すと、孟談は草で編んだ冠を彼女の頭に乗せた。

「旬に草冠が付けば、どうなるかね……荀になるじゃろ?荀愛、それがお主の本当の名前なのだ。そう、お主はあの智卿閣下の曾孫、すなわち豫譲将軍の孫娘にあたるのだよ」

 孟談は、彼女の一家についても打ち明けた。豫譲が死んだ後、荀玲姫は智過がしたように姓を旬と変えて本姓を捨て、生涯を終えていった。その遺族の保護を買って出たのが孟談で、張家に旬愛が召し抱えられたのもその縁だった。

「私が荀一族、智氏の子孫で豫家の生き残りだったなんて、初めて知りました。家族は、誰も教えてくれないんですもの」

 困惑する旬愛、あらため荀愛に蓮英が助け舟を出した。

「それはそうよ。誰だって暗い過去は思い出したくないですからねえ。でも、いつかは言わなくてはいけないことなのよ。貴女には、誇り高い智卿閣下と荀玲姫様、豫譲将軍の血が流れているのですから」

「そうですね。御隠居様、大奥様、ありがとうございます。曾祖父、祖父母の名に恥じないよう、頑張ります」

 草冠を被って無邪気に笑う荀愛と、それを見つめる孟談と蓮英の明るい笑顔と笑い声で夜は更けていった。


 翌日、張孟談・高蓮英夫妻は荀愛と彼女の家族を招待して原氏の神殿に参拝していた。本殿に張家自慢の地酒を奉納し、原過の子や孫達から心づくしの歓待を受けた一行は、帰り道に豫譲の墓と例の石碑の前で祈りを捧げた。

(阿譲、君の孫娘は立派に成長したよ。儂も、遠からぬ内に君の所へ行くだろうね。その時に、また語り明かそうよ)

 荀愛とその母や弟を横目で見やり、孟談は亡き友に心の中で告げた。彼がいつ頃亡くなったかは不明だが、紀元前四〇三年に孟談が仕えた趙氏は韓、魏両氏と共に周王朝から諸侯として認められ、大陸は戦国時代に入った。

北狄由来の文化や制度、特に趙無恤の子供達が採用した胡服騎射を正式に採用した趙は、戦国七雄の中でも強国として長く栄えることとなり、趙鞅の夢は現実のものとなったのである。

 そうした趙の栄華も永久のものではなく、紀元前二二二年に大陸統一を目論む秦の攻撃によって滅ぼされ、呆気なく散り果てた。その後、華北は長きに渡って戦乱の巷となるが、牡丹の花だけは変わらずに大地に根を張り、人の世の移り変わりを見つめていくのだった。

                                終わり


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