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春秋の牡丹16話

 一六章 張家宰



   1

 

 趙鞅が死去したとの報は晋国中を駆け巡り、彼の知勇を知る人々は悲しみに包まれた。韓虎は段規、魏駒は趙葭と言った重臣を趙に遣わし、智氏からは趙にゆかりがある豫譲が弔問に訪れた。彼らが帰って行った後、趙無恤は家臣一同を呼び集めた。

「亡き先代に替わり、この無恤が当主として趙を束ねて参る。そこで、人事を刷新したく思う」

 実は、趙鞅が亡くなったのを契機に高共が退官を申し出ていたのだ。陽虎も以前から軍を統括する職を楚隆に譲っていたし、神官や外交官と言った各役所も長官が高齢になったため、無恤は臣下の世代交代を考えていたのだった。

「原過は神殿の長老衆に替わり、大神官とする。延陵生は文官の長として外交を主とした政務に当たれ。張孟談、そなたが高共に替わる家宰じゃ」

 孟談は、全身に電撃を受けたような感覚を覚えた。楚隆、原過、延陵生と言った優秀な若手が多い中で、どうして自分のように地味な男が選ばれたのだろうか。まさか、智瑶が言ったことを真に受けたのだろうか。

「孟談、お前は元々酒場を営んでいた。酒場には看板と旗が付き物じゃが、それはどうすれば盤石になるかね?」

「はっ、はい。酒屋の旗や看板と申しますのは、上に取りつける飾りは軽くてもようございますが、土台はしっかりしていないと壊れやすいものです」

 孟談の答えを聞いた無恤は、我が意を得たりとばかりに笑った。

「そうであろう。お前は楚隆達に比べて能力は劣るが、気配りは上手いうえに勤勉じゃ。私は、そのような者を育てて取り立てるのが趙氏だと言う前例を作りたい。お前には、その看板と言う意味でも家宰を務めて貰いたいのだ」

 その言葉には、誰も反対意見を言わなかった。忠義と勤勉の見本である孟談を、家臣それぞれが得意とすることで支える体制は、理想的なものだったからだ。


「そう言うことですよ。この楚隆めも、戦車隊を率いて殿をお守り致します。もちろん、あなたの指示も喜んで受けますとも……新家宰殿!」

 かつては孟談が寵愛されていることを忌み嫌っていた楚隆も、呉から帰還した後に大将の位を賜り、無恤と原過達の志を知った。その大恩ある無恤が、孟談を家宰に就任させることも、成り行きとして受け入れたのであった。

「不肖張孟談、全身全霊で家宰の職を全う致します。何卒、ご鞭撻のほどをお願い申し上げます」

 孟談は深々と頭を垂れ、一同に平伏して厚恩を謝した。続いては新稚狗と天狙の番だ。趙鞅の遺言もあり、この二人をいつまでも前科者と奴隷にしておくのは、無恤も忍びなかったのだ。

「新稚狗は騎兵隊の長だったが、これを機に騎兵を正規の兵科に採用し、騎馬大将の職を授ける。天狙は……」

 無恤は、言葉に詰まった。華夏では貴族階級の婦人はいても、女性が士大夫として仕官することは殆どなかった。だが、彼女だけに位をやらないのは流石に気の毒でもある。考え込んでしまった無恤の前に、趙嘉が進み出た。


「父上、天狙さんを私付きの護衛官にして下さいますか? 異民族には女の兵士もいますし、それと……」

 趙嘉が天狙の扱いに対する献策をしてくれたことで、無恤はホッとした。だが、良く見ると趙嘉は少し顔を赤らめていた。

「どうした? 遠慮せずに申してみよ」

「私の側室も兼ねて、彼女を召し抱えたいのです。お許し頂けますでしょうか?」

 実は、智瑶と無恤が争った時に天狙を連れ出して以来、趙嘉は彼女と逢うようになっていた。傍に置いておきたいと思ったが、彼女は工作を行う奴隷兵だったため、趙嘉は言い出せなかったのだ。

 それを聞いた無恤は、思わず笑いがこみ上げた。

「ふうむ、良かろう。阿嘉も隅に置けんな。天狙よ、お前に異存はないか?」

「おらが若様の側室にですか? 勿体ねえことでございます!」

 こうして、趙氏に於ける人事の刷新は収着を見た。ただ、今は趙鞅の喪中であるため、趙嘉と天狙の婚礼はしばらくお預けではあった。


   2


 孟談が家宰に就任したと言う情報は、智瑶の耳にも入った。

「やはり、見込んだ通りの男だな。彼は、確かに武勇は無いし政略も凡庸。されど、あの忠誠心と勤勉性、会合を巧みに進める人柄は誰にも真似できぬ。宵がいない今、ますます彼が欲しくなった」

 鄭攻めと晩餐で自分を辱めた無恤と、同じく悪びれない趙鞅のやり口に不信感を持ってしまった智瑶は、改めて智宵の大きさを思い知った。智宵は、人柄の良さで智氏と三卿の潤滑油の役割を果たしていたため、彼が死んでからは以前のように韓や魏、趙との親密さが薄れていたのだ。

「しかし、趙が肥大化すれば計画も頓挫する可能性が出てしまう……智伯国よ、今すぐに婿殿と共に代への使いに出てくれぬか?」 

 智瑶は何かを思いつくと、智伯国に命じて豫譲と共に代国へと旅立たせた。書簡を見つめながら思索にふける智瑶の背後では、商王朝から伝わる饕餮像が異様な光を放っていた。


 家宰に就任した孟談は、晋陽の城で楚隆と兵法、延陵生とは外交について語り合っていた。彼らは孟談よりも専門知識が豊富なので、家宰として学ぶことも多い。そこに、原過が血相を変えて走って来た。

「皆さん、我が神殿に来た巡礼の行者が情報を提供してくれました。代国に、智氏の伯国殿と婿君とが向かったそうです」

 豫譲と智伯国が代に行ったと言えば、使者として行ったのだろう。それだけならば怪しくなかったが、その直後に天狙が持ってきた情報は、一同を総立ちにさせてしまった。

「あたし……が、代の市場に忍び込んで聞いたところ、趙への軍馬輸出が差し止められたと商人が言って……いました。代の王様直々のご命令だそうですッ!」

 趙嘉の側室に迎えられることになった天狙は、越奥地の訛りを直そうと必死になっていた。その様子は微笑ましく、いじらしくもあったが今は笑い事ではない。趙氏の騎兵や戦車を支えていたのが、他でもない代の馬だったのだ。そこに追い討ちをかけたのが、新稚狗の一言だった。

「ちッ、今度は代が敵に回ろうってかい?昔、華夏と俺ら草原の民を喧嘩させてやがったのも、智氏の野郎共じゃねぇのかね。北狄と趙氏が傷だらけなのに、傍にいたのに傷つかねえ奴が怪しいんだ!」

「まあまあ、親分さん。まずは、殿のもとに参りましょう。その時にでも、見解を申し上げれば良いのですからね」

 孟談は楚隆らを連れて無恤のもとに駆け付け、代国を相手に何かしらの争いが起こるであろうと注進した。


「そうか……我が義兄と争わねばならんとはな。じゃが、これは趙が躍進する機会でもある。家宰孟談、策を述べよ」

 趙鞅から引き継いだ巻物を読んでいた無恤は、駆け付けてきた臣下達の上奏を聞かされ、代で戦いが起こる予言が成就されることを確信した。姉婿であるとは言え、智氏と組む危険性がある者は除かねばならぬ。

「それならば、私の得意分野である酒宴で参りましょう。時に、夏屋山には登られましたか?」

 孟談は、趙鞅の遺言を盾にして夏屋山に登ろうとして、高共に叱られてしまった無恤の姿を思い出した。高共は喪中の外遊は良くないと諌めたのだが、無恤は気にしなかった。

「じい、説教は勘弁せよ。夏屋山頂から見ると、代国の民は豊かに暮らしておる。親爺様は、これを奪えと言い残されたのじゃよ」

 その高共は、董安于から譲り受けた彼の別荘で隠居の身だ。あの説教が聞けないのも、また寂しいと無恤は感じていた。だが、感傷に浸る間もなく孟談の質問に答えた。

「おう、まさしく宝の山であった。我らは、先手を打って代国を討つ! 孟談、宴の支度はお前に任せたぞ」

 それから間もなくして、延陵生は武官に護衛されて代の首都へ向かった。崇王彦を招いて夏屋山で宴を張るとの書簡を届けるためだった。


   3


 代への調略を開始してから十数日後、夏屋山の城に趙氏一門と崇王家が集って宴を開いた。喪が明けるにはまだ早いが、賑やかなのが好きだった趙鞅を弔う意味でも会食を開きたいと無恤が申し出たのだ。

「賢弟、御父上を亡くされておいたわしい限りです。あの御方は、余にとっても父同然。困ったことがあらば、愚兄に協力させて頂きたい」

 厳つい風貌に似合わず、勇敢で心優しい英雄王と評判の崇王彦を討つのを、無恤は何度もためらった。しかし、軍馬の輸出を止められた上に智氏と挟撃されでもしたら、趙氏興隆の夢は散るのだ。

「義兄上、ありがとうございます。大姉様……いえ、趙貴妃様はお出ましではないのですか?」

 無恤は子供の頃、趙貴妃を大姉様と呼んで伯魯と並んでよく甘えていた。それがつい口をついて出たのを見て、崇王彦も笑った。

「公主と共に宮殿を守っております。普段は気丈なのですが、義父上が亡くなった時には、さめざめと泣いておりました。いつか、お逢いになって話されよ」

 二人が談笑していると、大きな銅製の柄杓を担いだ新稚狗と肉切り刀を持った孟談が会場に入って来た。

「義兄上、本日は華夏と北狄の料理を組み合わせた献立です。家宰の張孟談、騎兵大将の新稚狗が指揮を執りました。」

 孟談は酒場時代の経験を生かして肉を切り分け、新稚狗は遊牧民風の羹を銅の柄杓で配膳した。華夏の繊細さと北狄の豪快さを取り合わせた妙味に、多くの来賓が釘付けになった。


「新稚狗君、貴殿はまだ独身と聞いています。喪が明けたら、我が王家とゆかりの姫達と見合いをさせて頂きたいが、どうですかな?」

「俺にまでお声をかけて下り、忝いことです。先日、大将になった祝いにと新稚穆子と言う名前も頂いていますので、名実ともに姫様を妻に出来る男子になりたく思います」

 新稚狗改め、新稚穆子は華夏人と同等の武将として登用された際、無恤と高共から名前を与えられていた。穆子もまた、同じ遊牧民の血を引く崇王彦を抹殺する事に迷いを持ちつつも、趙の家臣としてその時を待っていたのだった。

 宴もたけなわになった頃、美しい舞姫が会場に入って来た。服装は、南国の鳥や植物を模しており、華やかな雰囲気を醸し出していた。それと共に、胡服姿の趙嘉が進み出て弓矢を手にして舞った。

「あの者は、我が長男・趙嘉の側室に入れた天狙です。喪が明けてから婚儀をすることになっておりまして、今はその報告を兼ねて舞わせております」

 乱暴者の新稚狗が冷静な武人の風格を兼ね始めたのもさることながら、華夏の姫とはまた違った天狙の純朴な可憐さも、会場の人々を感嘆させた。無恤は、その酒豪ぶりをいかんなく発揮し、何度も酌をした。崇王彦はかなり酔っていたが、義弟の勧めを断れずに盃を受けて飲み乾した。すると、無恤がふらついて陶器の酒壺を割ってしまった。

「いかん! 賢弟、飲み過ぎですぞ。どなたか、趙卿閣下に水を……」

 崇王彦が隣で泥酔している無恤を見かね、給仕を呼んだ。すると、背後から銅の柄杓が振り下ろされ、崇王彦はその場に倒れ込んだのだった。


「陛下っ! おのれ、趙氏め。卑劣千万だぞッ!」

 王が倒れ込んだのを見た崇家の家臣達は、憤って腰の剣を抜いた。しかし、銅の柄杓を手にした新稚穆子の相手ではなく、次々と撲殺された。天狙は造花に仕込んでおいた錘を取り出すと、持ち前の素早さで代国の客人達に襲い掛かり、逃げようとする者達は趙嘉が射殺した。

 宴会場は、一瞬にして修羅場と化したが、流石に崇王彦は剛の者だけあり、痛みを堪えて立ち上がった。が、酔っていたはずの無恤が孟談から受け取った肉切り刀を持って立っていた。

「義兄上、もとい崇王彦陛下。軍馬の輸出を止めただけならまだしも、智氏と組むとは悲しいことです。お覚悟を!」

「智氏? 知らんな。賢弟よ、そなたが勢力を拡大すると同族である我らも他国に睨まれるのを恐れた故よ……だが、先手を打つとは流石だ。好きにするが良い」

 最早、勝ち目もない上に致命傷を負っているのを自覚していた崇王彦は、諦観の表情を浮かべた。無恤は、頷くとその胸に刀を突きたてて崇王彦を討ち取った。ここに、代国攻略の第一歩が歩み出されたのだ。


   4


 崇王彦を倒したことで代国の統制が乱れたのを確信した無恤は、土地勘のある穆子を主将にして代に騎兵隊を派兵した。騎兵の副将に趙嘉、後続の戦車部隊には楚隆と趙周と言う布陣で臨んだ代国征伐は、呆気なく片が付いた。

 統制が取れないので、各地の将兵や民は降伏を余儀なくされ、無傷で趙氏に制圧された邑や城も少なくなかった。また、戦いともなれば穆子の奮戦は凄まじく、一日で左人城・中人城の二大要塞を攻め落とした。それを聞かされた無恤は、食事を中断して嘆息した。

「不徳の行いをしておると言うのに、福徳が来るのを恐れるのみ。ふふっ、我ながら臆病なことじゃ」

 陪席して食事を共にしていた孟談は、無恤の顔にためらいがあるのを見て諌めた。

「しかし、殿は覚悟の上で代国を討たれたのでありましょう。その分の徳政を、我々が行うべきと存じます」

 一時的に非難される手段をとっても、その埋め合わせをすれば良い。当初はそれを嫌っていた孟談だったが、政治をするにつれて、それもまた世の条理だと考え始めていた。


 だが、そうした条理を受け付けぬ者もいた。無恤の姉で崇王彦の妃でもある趙貴妃だった。彼女は、王都の宮殿を訪れた甥の趙周と趙嘉から、無恤が迎えに来るので降参するように呼び掛けられたが、

「名前の通りに非情な男となった趙卿に、わらわは降る気はありませぬ。そなた達も、昔の可愛らしさは失せて残虐な悪鬼となり果てておる……情けない!」

 投降を拒んだ趙貴妃は、前もって研いでおいた笄で我が身を突き刺して自害してしまった。それを知った趙氏の者達は、慌てて他の王族を探し回った。全員に自害されたら、それを恨んで反抗する者が出るからだ。

 穆子が宮殿の中を探すと、崇公主がいた。彼女は、短刀で喉を突こうとしていたのだ。

「姫様、公主! お願いですから、降参して下さい!」 

「敵に尻尾を振るような者など、見るも汚らわしい。下がりなさい!」

 公主の剣幕に穆子も恐れをなしたが、気を取り直すと彼女を取り押さえて刀を奪い取った。

「貴女は死ねば良いかも知れない。だが、残された王族や民はどうなるんですか! 生きて皆を守るのが、貴女の務めではないのですか?」


 崇公主は、その言葉で心を引き裂かれた。確かに、死ねば自分は名誉を全うできるが、生き延びた者達は誰にも守られない。そう、王族ならば生き恥を晒してでも守るべきものがあるのではないか。

「承知しました。あなたに全てを任せます……父上は、王の最期は如何なるものでしたか? それを教えて下さい」

「それは、壮絶なものでした。俺も、国王陛下を弑するのに加担した一人です。公主、お許しを!」

 首を垂れて詫びる穆子の胸に顔を埋め、公主は泣きじゃくった。父と母が死んだだけではなく、いつまでも守り続けたかった趙氏と代国の同盟が終わってしまったのが、悲しかったのだ。

 穆子もまた、公主の背中を何度も撫でて、彼女が泣き止むまで傍に居続けたのだった。こうして、代国平定と言う予言は成就されたのだった。


 数日後、新稚穆子と崇公主は国境に設けられた趙氏の陣営にいた。出向いてきた無恤の顔には、姉を死なせてしまった後悔の念がありありと浮かんでいた。

「公主よ、父上と母上のことは私も心が痛んでおる。じゃが、そうでもしなくては乱世に生き残ることはできぬ……分かって下され」

 無恤の言葉を聞いた公主は、これも乱世の条理だと受け入れる決意を決めた。彼女が恥を忍んで降ったことで代の民も降伏を決意し、趙氏からは今まで通りに暮らして良いとの達しが来たからだ。

「では、代国統治についての沙汰を申し渡す。王族、部族の代表として崇公主、軍を統括する総督は新稚穆子。周殿は、その者達を束ねる代の君として統治を行なって貰う」

 華夏からは趙周、北狄から穆子、双方の血を引く崇公主による代政権がここに誕生した。その生産力と軍事力を得た趙氏は、北方に花を咲かせんとする牡丹となったのだった。


   5


 趙氏が崇王彦を倒して代国を手にした報は、またしても晋国中を震撼させた。これには、智瑶も驚愕した。

「崇王彦め、挟撃には失敗したか。趙氏を勢い付かせては、我らの脅威になりかねぬ。何か、良いきっかけはないものか……」

 肥大化する趙氏の勢いに、智氏ばかりか韓と魏も恐怖を感じていたが、付け入る隙もなかった。

それから五年が過ぎた紀元前四五八年、ついに智氏に転機が訪れた。晋公・姫鑿が四卿を除こうとしていると情報が入ったのだ。智氏の専横、趙氏の増長に業を煮やした姫鑿は、斉など他国の力を借りて、遂に決起した。

「非力なる我もまた、周宗室の血族なり。親愛なる臣民達よ、我が国を正しき姿に戻すべく力を貸して欲しい」

 姫鑿は有能な君主では無かったが、姫午への孝行や配下を丁重にねぎらうなど、心優しい性格ではあった。気弱で暗愚な己を知っていたからこそ、支えてくれる臣民への思いは人一倍だったのだ。

 戦争や反乱は、悪人の所業と見做されることがあるが、姫鑿の場合は善人だからこそ乱を起こしたのである。彼が直轄地で税や労役を減免するなどの善性を敷いていたのを慕う民も蜂起し、反乱は晋国に広がった。


 だが、力無き正義は圧倒的な力の前に屈せざるを得ない。姫鑿の乱を察知した智瑶が、それを四卿に知らせたので、彼らは一様に憤慨した。そして、利害が一致したこともあって、一時的に手を組んで団結したのだ。

 他国の援軍、民衆蜂起に助けられて立ち上がった姫鑿だったが、百戦錬磨の四卿軍にはじりじりと押され、ついには戦線が崩壊して亡命を余儀なくされた。

「何故に正義が、官軍が負けるのだ? 天よ、我は晋の臣民を救える器では無かったと言うのか……」

 敗軍の総大将・姫鑿―この、全てを失った優しき晋公は、生き残った臣下に導かれて斉に逃れる途中で、無惨にも憤死したと言う。この事件の後、姫鑿から三代前に晋を治めていた昭公の曾孫である姫驕を、智瑶は新たな晋公の座に据えた。邪魔者の姫鑿が国を出て薨去したと知った彼は、自分に反抗したかつての主君を徹底的に貶めた。

「臆病者でも晋公だったのだから、謚でも差し上げねばなるまい。国を出た、いや追い出された者に相応しく、出公とでもしておこうか?」

 新しく即位した晋公・姫驕は、かつての姫午と姫鑿を上回る傀儡の君主で、全て智瑶に任せきりだった。反乱軍と姫鑿に抑えられた領土を再分配する時も、智瑶の為すがままである。

「鄭との国境にある食邑は、我が祖先でもある商王朝ゆかりの土地・朝歌に近い所です。殿下、防衛の意味も兼ねて私にお任せ下さいませぬか?」

 功労者にして国一番の権力者の前では、君主であるはずの姫驕も無力である。豊かな土地を多く手に入れたばかりか、祖先の故地に近づいた智瑶の驕りは、日に日に強まっていった。

そして、その矛先は晋を治める三卿にも向けられていたのだった。



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