第九話 よわお。またの名をじゃくだん
失敗に終わったとはいえ。
とりあえず『手の甲にキス』という行為は正解に近づいてはいるみたいだ。
そのことについてもう少し考えたいのだが……なぜか凛々子が不機嫌なので、この場にいるのが気まずい。
こういう時は……お風呂だな!
と、いうことで。
早速着替えを取り出して、お風呂へと向かう。ただ、ここは彼女と共有しているスペースなわけで……何も言わずに設備を利用するのは、なんとなく二人とも避けていた。
「凛々子。ちょっとお風呂に入るから」
こうやって一言声をかけるのが習慣になっている。こうすることで、お互いに事故を減らせるのだ。
「ぐぬぬ……はぁ。オタクくんだし、もういいや」
凛々子はまだ俺に何か言いたかったらしい。だが、これ以上は無駄だとも理解しているようだ。
彼女も俺と長年過ごしているので、対応に慣れているのだろう。スパッと思考を切り替えてくれるのは、俺としても接しやすくてありがたかった。
「ねぇ、仲直りのためにも一緒に入ろっか?」
事故を減らせると先程言ったが、訂正。
むしろ凛々子は事故を起こしにきている。
「なんで?」
「え? むしろこっちが『なんで?』なんですけど」
「俺に裸を見られてもいいのか?」
「何がダメなの? 好きぴなんだから別にいいに決まってるじゃん?」
あ、まずい。凛々子が真顔になっている。
普段は明るいが、こうして表情がなくなる時は用心だ。
「てか、わたしの胸とか見たくないわけ? は?」
ほら、キレそうになっている。
自分の容姿にプライドがあるのか、凛々子は俺が興味ない素振りを見せると不機嫌になるんだよなぁ。
こういう性格に最初は慣れなかった。
意地を張って発言を訂正せずに、数日間何も会話しないことだってあった。
しかし今はもう、そんなエネルギーがない。無視することもされることも大変なので、俺はすぐに折れて対応を変えた。
先ほども怒らせてしまったし、そろそろ機嫌をとっておかないと。
「は、初めてだから、見ると緊張しそうで」
「やだ♡ どーてーかわいいっ」
「どどどどーてーって言うな!! 違うかもしれないだろ!?」
「はいはい。恥ずかしがってるなら素直にそう言ってよもうっ。わたしが巨乳だから照れちゃうんだよね? しょうがないにゃあ」
……不本意だが、機嫌は直っているみたいなのでいいや。
たしかに巨乳だが、俺は別に大きいから動揺するわけじゃないぞ。単純に童貞だから動揺する――というのはさておき。
「絶対に入ってくんなよ! 絶対だからな!?」
「おけ~。大丈夫、よわお君をからかう趣味はないから、ゆっくりしてね~」
「よわおって言うな」
最後に捨てセリフを残してから、ようやく浴室へと向かった。
凛々子はちゃんと口が悪い。下品なことも平気で言うタイプなので、童貞やら弱男やらオタクくんやら好き放題言われている。まぁ、全部事実なので別にいいんだけどな。
(ふぅ……照れている感じを出すと折れてくれるから助かるな)
同じ部屋で過ごすようになって三年目。
凛々子のことはちゃんと理解している。彼女は意外と誉め言葉に弱く、自尊心をくすぐるとすぐに言うことを聞いてくれるのだ。いわゆる、チョロいタイプである。
(ナンパされたらすぐついていきそうだ)
明るいし、ノリもいいので、チャラ男とは相性が良さそうだ。
俺のような根暗の陰キャとは真逆に近い存在である。
本来であれば、かかわることすらない遠い世界の存在だろう。
地雷系女子と呼ばれるタイプの彼女は、俺のようなタイプの人間は毛嫌いする印象がある。
最初はもちろん、俺のことも嫌っていそうだったのに……今ではあんなにも好意的になってしまった。
三年という月日で、こんなに関係性が変わるなんて。
あらゆる問題を時間が解決する、とはよく言われることだが。
人の感情でさえ変化させるとは……時間というものは、本当に恐ろしいものである――。
【あとがき】
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