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◆後編 「人を傷(やぶ)る者は己を傷る」

※文中の「刑に処せられる」に関して「処される」でも「処せられる」でも良いのですが、好みで「処せられる」を使っています。

 

 あれはまだヘレナが大神殿に居を移したばかりのある日、いつものように祭壇で祈りを捧げていると、不意に守護聖霊では無い声が頭の中で響いた。



其方(そなた)にこれから必要となる知恵を授けよう。』



 その直後、ヘレナは内側から湧き出るような眩しい光に飲み込まれ、身体の感覚が希薄になった。そして、自分の魂に記録されていた前世の記憶がありありと蘇ったのだ。

 ここよりずっと科学が発達し、人々が安全に長生きできた世界。その代わりか、今のような信仰が薄れてしまった時代。そんな前世を生きていた。


 次の瞬間、彼女は元の大神殿の祭壇の前にいた。周りは何事もなかったように静まり返っている。



「思い出したのですね。」



 いつの間にかヘレナの隣で祈りを捧げていた大神官が、祭壇の方を向いたまま話しかけてきた。



「大神官様。」



 普段の白いローブの上に、金糸で雪の結晶のような印が縫い取られた頸垂帯(けいすいたい)をかけた簡易な衣装の大神官は、ヘレナに親しげな笑みを向ける。



「神のおっしゃる通り、その知恵は貴女(あなた)に必要なものになるでしょう。」



「…お分かりになるのですか?」



 “今、私が前世を思い出したことも、その先のことも。”



「…貴女(あなた)の想像通りでしょうね。」



 “大神官様にはお見通しってわけね。(あなど)れないわ。”



 この時まで大神官と言葉を交わしたことはそれほど無かったが、立場の割には誰とでも気さくに話をする人だという印象があった。

 しかしこの大神官は、大陸全土の神殿を束ねるだけあって一度(ひとたび)人前に出るならば、万人に畏怖を抱かせるような威厳も合わせ持つ。


 ヘレナはふと、前世の祖父のことを思い出した。以前から誰かに似ている、と思っていたが、大神官は前世の祖父とどこか雰囲気が似ている気がする。容姿も性格も全く似ていないけれど、年齢は大神官とヘレナは祖父と孫くらい離れているのがそう思わせるのか。



 “でも、それは無いでしょ。”



 前世の祖父はチャキチャキの江戸っ子で()()が良く、少々喧嘩っ早かった。ヘレナも前世の祖父の影響で、今も喧嘩っ早い自覚はある。

 対して大神官は穏やかで口調は丁寧だ。それに怒ったり大声を出すところが想像できない。一緒にしたら失礼というものだ。



 “おじいちゃん、ごめん。”



 図らずも前世の祖父を揶揄(やゆ)してしまい、ヘレナは心の中で謝っておく。

 そうと知ってか知らずか、大神官はヘレナの方を向いて、穏やかに微笑んだ。






 この世界は前世のファンタジー作品によくあったように、聖女がいるだけで周囲が浄化とか、魔物が近寄れないとか正直期待していた割には無い。全く無い。そもそもこの世界に魔物と呼ばれるものはいない。瘴気とやらも無い。ついでに魔王もいない。(畏怖を込めて魔王と呼ばれる人はいたらしい。前世で言う夜の帝王とかそんな感じの。)聖女の力の見せ所、一発広範囲浄化&ヒールとかいうのも無い。


 何というか派手さが全然無くて、拍子抜けしてしまった。なので、この転生した世界はよくあるゲームの世界でもラノベの世界でも無い、と前世記憶が甦ってすぐに分かった。おかげで魔物退治の旅とか、魔王討伐遠征とかも無いのでぐうたらしたいヘレナとしては非常に助かる。



 “ファンタジー世界の女の子達って、女の子の日はみんなどうしていたんだろう。”



 前世から割合気になっていたことだ。快適安心空の旅をしていた時だって、体調も計画の内だったのに。そんなことを思いながら、ごろごろとベッドの上を転がった。



 “まあ、この世界の人達の方が、体力があるのは間違いないけどね。”



 そして『聖女』とはいえ、異世界チートは皆無だった。ファンタジックな魔法設定も無い。

 強いていえば「精霊」の存在くらいだが、「精霊がいる」というとちょっと微妙だ。「自然現象のことを精霊と呼んでいる」というのが近い。ただ、その精霊の力を借りて、他者を治療したり、結界石や浄化石を作ったりができる。


 しかしその時、媒体となる人間が重要になってくる。自分の思う通りに精霊の力を使いたければ、精霊の力を一旦自分に通して、自分の思い描く通りにその力を作用させなければならない。人の役割は精霊の力を目的の場所に作用させる、(くだ)、前世で言ったら水を通す水道管のようなものだ。


 その(くだ)の役割をする人間が、もし、悪意に満ちていると、人間を通った時精霊の力がその悪意に汚染され、(けが)れた精霊の力が目的に作用してしまい、下手すると以前より悪い状態にしてしまう。それが悪意で無くても例えば罪悪感であったとしても、精霊の力は汚染される。


 つまり、純粋な精霊の力を使うには、力を借りる人間自身もまた、清廉でなければならない。これが地味にキツイ。この自分に溜まる(おり)のような行いや感情を常にチェックし、常に取り払わなくてはならないからである。






 森の狩猟小屋の庭先で、ヘレナがしゃがみこんで土を掘っていた。



「何をしているんだ?」



「結界石を埋めてるの。」



「結界を張るのか。」



「そうよ。害意のある人がここを認識し辛くなる結界。」



「ここにはそんな人、来ないと思うけどな。」



「まあ、念のためよ。備えあれば患なしってね…と申しますから。」



 ヘレナが結界石を埋め終わって身を起こすと、今話しかけていたのがヘラルドだと気付いて慌てて言葉遣いを直す。フランクに話しかけるので、てっきり城の使用人だと思っていた。



「…普段の話し方で良いのに…」



「いいえ。そうはまいりませんわ。」



 ヘラルドはヘレナが城の人達と話す時には平民同士の砕けた話し方をするのを、相手に心を許しているようで羨ましく思っていた。だから普段の言葉遣いで話すように再三伝えているのだが、ヘレナの方はそうもいかない。身分差を意識しているのもあるが、長年の習慣プラス前世の社会人記憶で、貴族や目上の人に対しては自動的に言葉遣いが丁寧になる。


 ヘラルドは心なしか肩を落としたように見えた。



「…でも、残ってくれただけでもありがたい。」



 彼は小さく呟いた。


 結局ヘレナは、ヘラルドとルビーの説得に負け、フォレスタル城の敷地内にある狩猟小屋に住むことになった。最終的に、自分と似たような境遇のルビーに泣き落としされたのが決め手だった。なお、ヘラルドの偽の婚約者という肩書きも、未だ有効である。


 事情を知らない城の人達には、「婚約者なのにどうして城内に住まないのか。何か問題があるのか。」と心配されたが、自分は平民なのと、薬草を採取し、薬を精製するのに森の近くの方が都合が良い、と理由を付け、この小屋に移ってきた。


 実際小屋とは言うが、さすが貴族の狩猟小屋だけあって、ちょっとした商家の邸宅ほどの広さを持つ。元々貴族が狩猟の際に休んだり、獲物を捌いたりできるようになっているのだ。当然狩猟用の武器庫や、厩舎も広く、なぜこれが小屋と言えるのか、ヘレナの前世感覚でいうと正直謎だった。



 “だって、城の中ではだらだらできないし。”



 1番の理由はそれだ。前世のヘレナもそうだったが、一日中パジャマでぐうたらするのが好きなのだ。城内では自分の部屋であっても人の目があるので、滅多にそんなことは出来ない。それは大神殿にいた頃も同じだった。


 ヘレナは小屋脇の井戸の中に拳大(こぶしだい)の石をぽちゃりと落とした。



「それは?」



「浄化石です。」



「そうか、やっぱり。」



「何がやっぱりなんですか?」



貴女(あなた)に初めて会いに行った時、馬に水をもらっただろう。」



「ああ、はい。」



「その時貴女(あなた)が『聖女』だと確信した。その石は井戸水を聖水に変えるのだろう?」



 “あ〜それでバレたのね。”



 ヘレナ達がつい先日まで住んでいた町外れの家の井戸にも、同じように浄化石を沈めてある。浄化と云っても水質を上げるためではなく、水を聖水レベルに浄化するための精霊の力を宿した石だ。(もっと)も時間が経つと効力を失ってしまうので、毎年定期的に交換する必要があるが。


 ヘラルドはさすが辺境伯だけあって、聖水がどんな物か知っていた。



 “まあ、自然精霊に気に入られているから当然か。”



 実際聖水がどういう代物(しろもの)かは、神殿の神官やそれを必要とする人しか知り得ないほどレアな物だ。

 それを自宅の井戸で作っちゃえば楽じゃん?と思ったヘレナが考えた方法だ。元々は神殿で読んだ本に浄化石の作り方があったので、真似して作ってみたら思っていたより効力があり過ぎて、聖水になってしまっただけなのだけれども。


 この世界の聖水は「神の力を宿す」と言われ、主に邪気を祓うことに用いられる。なので、大体は儀式の際に使用したり、ルビーの呪いを解いた時のような使い方をする。ヘレナは折角井戸で作れるのなら、と、洗濯や料理に利用しているが、邪気が付きにくくなる以外は、特別洗濯物が綺麗になったりとか、お茶や料理が素晴らしく美味しくなったりとかは、残念ながら無かった。ただ、馬が美味しそうに聖水を飲む、ということは最近知った。


 ヘレナは井戸の縁脇に立って手を組んで目を瞑り、小さく祈りの言葉を呟いた。すると、一瞬だけふわりと白い光が井戸とその周囲を包み、スッと消えた。ゆっくり目を開けたヘレナは満足気に微笑んだ。こうやって(あらかじ)め一つ一つ手間をかけて準備しておくのは、ぐうたらライフに欠かせない。


 祈りの間、ヘレナの本来の髪の色、プラチナブロンドがさらりと顔をのぞかせた。

 普段のヘレナは栗色の髪をしている。それは逃亡の際に目立たないように草木で染めていたからだ。それが気に入って隠遁の生活でも染めているのだが、なぜか聖女の行を行うと、本来の色が浮き出てしまう。


 ヘレナの様子をぼうっと見ていたヘラルドが、眩しそうに目を細めた。






 守護聖霊は別名『叡智の精霊』と呼ばれる。彼らにはそれぞれ人格があり、人間をサポートする役割を担っていた。対して自然界における精霊は、自然の法則の体現者であり個の人格は無い。

 人のインスピレーションは、叡智の精霊によってもたらされると言われている。

 実際守護聖霊は、あらゆる人のそばに居ると言われているが、それが本当かどうかは分かっていない。なぜなら彼らと意思疎通できる人間は非常に少なく、大抵の人はそばにいるかどうかを確認できないからだ。


 侯爵家に生まれたヘレナは物心ついた頃から、既に守護聖霊と意思疎通ができていた。ヘレナが見えない誰かと話している様子を見た父パリオット侯爵が、神官とヘレナを引き合わせたところそれが守護聖霊だと判明する。そして精霊についてより深く知識を得るために、神殿に通うことが許された。


 それを知ったダセントラル王家は、ヘレナを200年以上現れなかった聖女の再来だと喜び、ヘレナと歳の近い第二王子パリスの許嫁と決めた。正式に婚約するのは成人してからだが、ヘレナも精霊について学ぶことが多く、そこに聖女の内容も加わったため時間が取れないことを理由に、許嫁の王子と会うのは年に一、二度あるか無いかだった。


 そんな環境だったので、ヘレナはパリスについてよく知らないままだったし、まして、後に従姉妹のマーガレットと男女の意味で仲が良いことにも気付かなかった。まあ実際には王子にも貴族政治にも、精霊ほどの興味を持てなかったからだが。


 加えて大神殿で生活するようになってからは、ほぼ俗世間から切り離され、二人の噂さえも全く聞かなくなった。

 それなのに、パリスとマーガレットの仲に嫉妬したと、マーガレット毒殺未遂の容疑者にされたのだ。もちろんパリスとの婚約は、マーガレットに()げ替えられていた。


 守護聖霊によると、パリス王子とマーガレットは共犯なので、ヘレナが単身で身の潔白を訴えても言うだけ無駄、とのことだった。






「マーガレット様、本日もご機嫌麗しく。」



 ヘレナが逃げ出した国、ダセントラル王国では、王妃主催の茶会が王宮の庭園で行われていた。

 パリス第二王子とその婚約者マーガレット・パリオットにとっては、婚礼前の最後の茶会だった。当然この茶会での話題は、彼らの結婚式に関することだ。



「それで、晩餐会のドレスはどの色になさいましたの?」



「それがどっちにしようかまだ迷っていて〜。いっそのこと両方着ちゃおっかな〜って彼と話をしていたんですぅ。」



「殿下はなんと?」



「「君の好きなようにしたらいいよ。だって、どちらも君に似合うから。」ですって!」



 甘えたような声でマーガレットが恥ずかしそうに話すと、キャー!!と令嬢達の歓声が上がる。



「なにを話しているんだい?」



「パリス様!」



 マーガレットの腰に手を回したパリスが話に加わる。甘いマスクに天使のような金色の髪。海のような青さの瞳に細身の体つき。絵に描いたような王子っぷりに、マーガレットは非常に満足している。

 対して愛玩動物を思わせる(かんばせ)に、ふんわり柔らかそうな桃色がかった金の髪。ぽってりした唇と、蠱惑的な肢体。そんなマーガレットはパリスの自尊心を大いに盛り立てた。


 その様子をニコニコと眺めるのは、主催の王妃とその隣にいるパリオット侯爵夫妻だ。



「パリオット侯爵もうまくやりましたなあ。先代の娘から自分の娘に王子の相手を()り替えるとは。」



「第二王子殿下は、王妃殿下が(こと)(ほか)大事になさっておいでですからねえ。次代の主要ポストはほぼ確定でしょうな。」



殊更(ことさら)第二王子派閥が幅を利かせておりますな。ところで第一王子殿下のお姿が見えないようですが。」



「ああ、殿下は妃殿下の御祖母君の還暦のお祝いに行っておられて、お戻りになるのが来週だとか。」



「なるほど。それで今頃茶会ですか。やることがなかなか…」



 訳知り顔の貴族達が、固まってひそひそと噂をしている。

 ダセントラル王国には直系同腹の王子が二人いるが、王太子はまだ決定していない。王太子になる条件として、結婚しているまたは、結婚する予定があることと定められている。


 第一王子は既にグランデステ王国の王女と結婚し、第一子を儲けていた。その第一王子妃の祖母、グランデステ王太后の還暦の祝いに第一王子一家が招かれている最中、この茶会が開かれ、ダセントラル国内の重立(おもだ)った貴族が集められた。すなわち、第二王子を溺愛する王妃と、第二王子派筆頭パリオット侯爵の策略であった。


 始めヘレナをパリスの婚約者に推したのは、王妃その人であった。王子の妃が『聖女』であることは、王位継承に優位に働くと考えたからである。しかし、その後ろ楯になる予定であった、先代パリオット侯爵が亡くなる。そしてパリオット侯爵を継いだ野心家のオーガストは、積極的に王妃とパリスに擦り寄った。パリスの婚約者を自分の娘に替えてくれたらパリスの王位継承に尽力すると。


 しかし聖女ヘレナと婚約を解消したとしても、彼女を今度は第一王子に囲われてしまったら有意性が第一王子に移ってしまう。それを阻止するために、聖女と名乗れなくするよう、毒殺未遂の犯人に仕立て上げたのだ。


 こうして両者の目論見は成功した…かに見えた。


 しかしどうやったのか第二王子派の追跡を掻い潜り、ヘレナはまんまと逃亡してしまった。

 この時、聖女と呼ばれた意味を、彼らが少しでも理解していたならば、後にあのような惨劇が起こらなかったかも知れない。






 王妃主催の茶会を終えたマーガレットは、もうすぐ自分の部屋となる王子妃の部屋で一人、読んだばかりの手紙を握りしめ、苛立ちながら部屋の中をうろうろと歩き回っていた。



「あの女は絶対処刑しておきたかったのに、一体どこにいるのよ!」



 マーガレットは元々侯爵令嬢だったヘレナを憎んでいた。両親が、ヘレナの親さえいなければ、自分達が侯爵夫妻であり、マーガレットはパリスの婚約者だったはずだ、と、いつも言っていたからである。

 そしてヘレナの両親が亡くなり、侯爵位がマーガレットの父オーガストに転がり込んでくると、ヘレナを追い出し、ヘレナの代理と称してパリスと会うようになった。


 自分を褒め称えることもせず、俗世に疎く、神殿の教えに忠実なヘレナに辟易していたパリスは、自分に好意を持ち、年頃の女の子らしく愛らしいマーガレットに好感を抱く。やがてヘレナを疎ましく思った二人は、ヘレナを聖女の座から追い落とそうと考えた。その計画はオーガストらの手も借りて順調に行われた。しかし、マーガレット毒殺未遂でヘレナを断罪する前に、彼女に逃げられてしまった。国中にヘレナの罪を触れ回り、しらみ潰しに探したが、行方はようとして知れなかった。


 神殿にも捜索の手を伸ばしたが、そもそも神殿内は治外法権であり、ダセントラルだけでなく、どの国の干渉も受けない。しかも国王直々の命令ならいざ知らず、第二王子の権限では国を(また)いだ巨大な組織には太刀打ちできない。結局痕跡(こんせき)さえも掴めなかった。


 それならと、パリスは王家が秘匿する呪術を使い、彼女の居場所を探ろうとした。しかし、かろうじて判ったのは、「ヘレナが生きているらしい」ということだけだった。

 ならば呪術師を使い呪い殺そうとしたが、それは無理だとキッパリ断られた。呪術師もまた、呪いの怖さを熟知しているからだ。



「もう!何で上手くいかないのよ!」



 既に彼ら以外の人は「本当に聖女が犯人かどうか分からない上に、マーガレットが生きているんだからもう良いじゃないか」という雰囲気になりつつある。「本当に毒をもられたのか」と疑う人まで出る始末。そのためマーガレットは、何が何でもヘレナに罪を着せたかった。今、彼女が頼りにしているのは、実家の侯爵家とパリスのみ。先程の手紙は侯爵家のつてで依頼した呪術師からの断りの返事だった。



「メグ!良いものが手に入ったんだ!」



 夕刻、王子パリスがマーガレットの元を訪れた。マーガレットはパリスに愛称のメグで呼ばれている。彼が差し出したのは、小さな人型の人形だった。



「ここに相手の持ち物を入れ、この太いピンで刺すと、相手が何処にいても苦痛を与えることができるらしい。路地裏の呪術師のところで手に入れた。」



「ええ〜本当に効くんですか〜?」



「まあ、ものは試しだ。やってみようじゃないか。」



 この呪いは真夜中にやると特に効き目があるというので、真夜中を待って二人は実行した。

 マーガレットはヘレナが昔使っていた小さな髪飾りを人形に仕込んだ。数本の蝋燭(ろうそく)(もと)、二人は怨念を込めるように人形の全身余すところなくピンを突き立てた。

 その人形を見下ろしたマーガレットとパリスの顔には、薄気味悪い笑みが浮かんでいた。






「あれ?」



 真夜中、ヘレナは何かが弾けたような小さな違和感にふっと目が覚めた。



『返ったな。』



 “やはりそうですか。”



 何者かがヘレナに対して呪術を使い攻撃してきたようだ。しかし、日頃からそういったものに害されないように、精霊の加護を受けている。



『それほど効力は無かったが、随分と怨念がこもっていたな。心の弱い者ならそれだけで潰される。』



 “まあ、彼らの恨みならそうかもしれませんね。”



 ヘレナにも守護聖霊のウィズダムにも、その相手が誰なのかすぐにわかった。これが初めてでは無いからでもある。



『…そろそろかもしれない。可哀想だが。』



 “そうですね。手前でやめておけば良かったのに。”






「パリス様、もしかしてお疲れですか?」



「ああ。少し忙しくてな。体の疲れがあまり取れないんだ。」



 そう言いながらマーガレットにキスをする。ヘレナを模した人形は、誰にも見られないように布で包み、ドレッサーの奥に仕舞い込んだ。そして、二人はベッドへもつれ込んだ。



「ひっ!」



「メグ?!うわ!何だこれは!」



「いやあああああ!!!!」



 燭台の灯りに浮かび上がるパリスの身体には、至る所に黒々と紫斑が浮き出ていた。それはマーガレットにも同じであった。陶器のように白く滑らかな肌は、何度も打ち据えられたように変色していた。



「なんで?!今朝はなんとも無かったのに!」



 パリスに呼ばれ駆けつけた宮廷医は、伝染病の(たぐ)いだと直様(すぐさま)二人を隔離した。しかし紫斑は消えず増え続け、数日後には元の綺麗な肌がほとんど見えなくなってしまった。


 王家の要請で治療に訪れた大神官は彼らを見るなり、「神に祈り、行いを改め、(ゆる)しを乞いなさい。そうすれば良くなることもあるでしょう。」と二人に告げ、自らも神に祈りを捧げた。


 ヘレナに掛けた呪いや恨みの数々が、一度に彼らに跳ね返った結果であった。


 このことが故意か偶然か王宮の外に漏れ、「第二王子とその婚約者は奇病を患った」とあっという間に世間に広まった。ダセントラル王国内では「聖女の呪い」だと(まこと)しやかに噂が流れる。聖女を陥れたことで、神の天罰が(くだ)ったのだと。ヘレナを探すために大々的に触れ回ったことが仇となり、急速に噂は蔓延し、周辺国にまで(とどろ)いた。


 そのためダセントラル国王は、聖女を陥れたパリスとマーガレットを生涯王宮の外れの塔に幽閉すると決定。また、パリオット侯爵家は聖女を虐げ陥れた共犯と見做(みな)し、爵位返還、領地も没収という厳しい処分が下され、オーガストは貴族位と財産を失った。

 そうすることで王家は「この件に関わりが無かった」と対外的にアピールしたのだ。要するにトカゲの尻尾切りである。


 パリスの肩を持った王妃は明確な罪には問われなかったが、体調不良を理由に王宮の自室に引きこもる。実際は無期限の謹慎処置である。更には急速に求心力を失い、これまで王妃に群がっていた貴族達の足は遠のいた。



「「人を呪わば穴二つ」とは言ったものね。でも天罰は()(かく)、聖女の呪いは無いわ。聖女と呪いは背反するじゃない。」



 事の顛末を知り、ヘレナが憮然と溜め息を漏らした。どこの世界も信仰と迷信は境が曖昧である。更に、前世のようには科学的根拠が物を言わない世界だ。ただ、おかげでヘレナ達がダセントラル王国から命を狙われることは、今後無いだろう。






 ヘレナがいつものように身支度を整え、朝の祈りを終えてから階下に降りると、サリタは朝食の準備をしているところだった。準備を手伝いながら、二人は他愛も無い話をしつつ、食堂へ向かった。そしてロベルトを加え、三人で食事を取る。元貴族令嬢のヘレナだが、前世の記憶の影響もあって、皆で食卓を囲むのに全く抵抗がなかった。



「…で、どうして貴方がここにいらっしゃるのですか?」



「敬語に戻ってる。他人行儀だな。婚約者なんだから、一緒に食事をするのが普通じゃないか。」



「そんな普通ありましたかね。」



 今日の午前中は、ルビーと森で薬草採取をする予定にしていた。彼女もさすが辺境伯爵の娘だけあって、みるみる回復し、今は外に出ることもできるようになった。ルビーにはだいぶ懐かれ、自分も人の役に立ちたいとヘレナを手伝うようになった。


 だから、この場にルビーがいるのはわかる。しかし、ヘラルドは関係ない。更に、彼はヘレナとサリタが用意した焼きたてのパンとコーヒー、少しのハムやソーセージと葉野菜のシンプルな朝食を食べている。城の食事はどうしたと言いたい。



「叔父様はお姉さまのお顔を拝見すれば一日機嫌が良いので、皆も止めないのですわ。」



 薬草を探して森の中を歩く道中、ルビーがそんなことを言う。



「…私もその方が寂しくないですし…」



 早くに両親を亡くしたルビーの気持ちはヘレナにも痛いほどわかる。だから幼いながらも貴族の子女として気丈に振る舞うルビーに対して、少しでも助けになりたかった。



「私は神殿で教わったことしかお教えできませんけれど、よろしいですか?」



 ヘレナの薬で治ったことになっていたため、ルビーは薬草に興味を持ち始めた。

 辺境では、度々他国との小競り合いや、人や家畜を襲う野獣の討伐に騎士が駆り出される。その際に怪我を負うことが少なくないため、怪我などに効く薬草の知識を得ることは、ルビーにとって辺境伯爵家の一員としての意識を高めることとなった。



「あ、オオバコがありましたわ!これですよね!」



 前世の日本で見たオオバコとは見た目がやや違うが、この世界でもオオバコは民間薬として需要がある。主に消炎、咳止め、利尿、止血に利用される、便利薬だ。



 “でもコレの花粉症持ってる子いたな〜。”



 そんなことを思い出しながら、ヘレナは黙々と根っこごと採取していった。






 ヘラルドはヘレナには内緒でメイド長らを集め、何やら報告会議をしていた。



「わかった。皆、ご苦労だった。引き続き頼む。戻っていいぞ。」



 ヘラルドの終了合図に彼女らはそれぞれ執務室を辞する。



「ああ、サリタ。もう一つ聞きたいことがある。」



「はい、何でしょう。」



 会議が終わり部屋を出る際、サリタはヘラルドに呼び止められた。他は皆退出し護衛騎士が扉を閉める。

 それと同時にヘラルドは素早く腰の剣を抜いた。



其方(そなた)らは何者だ。」



 剣の切先(きっさき)が、サリタの喉をとらえた。咄嗟にヘラルドの剣が届かないギリギリまで飛び退いたサリタの動きは、どう考えても普通の侍女やメイドの動きでは無い。



「元神殿の下働きをしていた従者ですわ。」



「その話を俺が素直に信じると?」



「嘘は言ってません。聞いてませんか?あの人から。」



 大神殿にいた頃からロベルトとサリタは親子と名乗っているが、血の繋がりは無い。

 彼らは元々斥候や諜報活動に特化した傭兵、平たくいうとエージェントであった。


 ある日、調査対象に追われて怪我をしたところ大神官に拾われ、そのまま神殿に匿われた。諜報活動中に相手に露見した場合、雇主や仲間が芋蔓式にバレないように一切連絡を断ち身を隠すので、神殿に保護されるのは好都合だった。そしてそのまま神殿での仕事を得ることになった。


 大神官の計らいで、ヘレナが彼らの治療や世話を担当した。王家に囲われているため、神官ほど表に出ることが多くないが故に、極力人に会わないようにしている彼らには適当だったからだ。その際ヘレナは彼らに「ロベルト」と「サリタ」と名付ける。前世で好きだったアニメのキャラクターから拝借しているのは、ヘレナしか知らない。



「つうかあの人とんだ狸なんで。」



 ヘラルドもそれには同意する。実はヘレナの居所を教えたのは、大神官だったからだ。


 領内にある神殿の神官にルビーの治療を依頼したが、彼らには治せなかった。しかしその神官が、大神官なら治せるかもしれないと教えてくれた。折下シュロエステ王国王城下に大神官が行幸するとの情報を得て、ヘラルドは藁にもすがる思いで、大神官に謁見する機会を得た。

 しかし、王城に病の幼いルビーを連れて来ることが難しく、是が非でも自分の領地に足を運んで貰おうと懇願するつもりだった。



「フォレスタル殿、僥倖ですぞ。貴殿の領地に聖女様がおられます。あのお方ならきっとお救いくださるでしょう。」



 こそっと耳打ちした大神官から、聖女を保護しろとの意図も垣間見えた。


 今にして思えば、自分が大神官に会いに行くことも、更にはヘレナに惹かれることも織り込み済みだったような気がする。



「…とりあえず、其方(そなた)らがヘレナにとって害が無いのなら良い。」



「貴方にとってはどうかわかりませんよ?」



「ふん。自分達の心配をしろ。」



 そう言って、ヘラルドはやっと剣を下ろした。






「引越し祝いをやっていないじゃないか!」



 誰かのその一言で、ヘレナの住む狩猟小屋の前庭で、パーティーが行われることとなった。



「何これ…」



 城の者達がなぜか一丸となって、屋外パーティーの準備をしてくれた。城のほぼ全員が参加している。



「お城を(から)にしても大丈夫なの?」



「交代で参加していますから大丈夫ですよ。」



 確かに全員で来てもこの庭には入りきらないかも知れない。

 城からケータリングで本職の料理人達が料理を作り、給仕が酒を振舞い、食材や酒が無くなると厨房やセラーへ取りに行くのを繰り返している。どうやら皆、今日の食事はここで済ませるつもりらしい。

 楽団が陽気な音楽を奏で、それに合わせて踊る人達もいる。

 ちょっとリッチなガーデンパーティーの様相だ。



「…で、どうして貴方もここにいるの?」



 ヘレナの隣にはずっとヘラルドが陣取っている。ワインを片手に、随分楽しそうだ。



「騎士団の打ち上げを思い出すなあ…」



「ちょっと!酔ってるの?!」



 ヘラルドとの会話が微妙に繋がっていない。何かがおかしい。

 そうしていると、向こうから、執事長とメイド長が揃ってやって来た。



「この度はおめでとうございます。(わたくし)もこれでやっと安堵いたしました。」



「本当にありがとうございます。これで心置きなく引退できます。」



「え?あの?引退?」



 戸惑うヘレナに二人は喜びの余り、目を潤ませて話を続ける。



「坊っちゃまは堅物な上、大きくなっても剣術や格闘ばかりで全く異性に興味を示さず、もう、孫の顔は見られないのかと覚悟しておりました。」



「孫じゃ無いでしょ。」



「私にとっては孫のようなものだよ。」



「…あの、なんの話を…?」



「ヘレナ様とヘラルド様のご結婚のことです。」



「はあああああ?!?!」



 咄嗟にヘラルドを振り向くと、そろりと目を逸らされた。



「ヘ・ラ・ル・ド・様?」



「…昨日、王家からこれが届いた。」



 そう言って懐から一通の手紙を取り出し、ヘレナに差し出す。

 引ったくるように受け取り中を見ると、それは、王家からの辺境伯爵とヘレナの結婚許可証だった。



「はああああ?!!!ちょっとこれ!どういうこと?!」



「大丈夫。貴女(あなた)のことは、大神官様が後見を申し出てくださった。」



 そう言いながら取り出したもう一通の手紙には、大神官の署名の入った身元証明書が入っていた。



「ちょ!聞いてない!」



「もしかして坊っちゃま、まだヘレナ様には何もお伝えしていないのですか?」



「…今日、これから言おうと思っていたんだ…」



「なんで先に言わないんですか!」



「これがあれば確実に安心して私のところに嫁いできて良いって…」



「全然女心をわかってません!!これだから坊っちゃまは!!」



 メイド長と執事長の剣幕に、ヘレナは呆気に取られていた。正式な婚約を勝手に進められたことに怒りを感じるよりも、ヘラルドが一人先走ってみんなが置いてかれているのに驚いてしまったのだ。



「皆そのつもりでお祝いしているんですよ!」



「まだプロポーズもしていないとは…」



 それでヘレナも合点が入った。引越し祝いにしては豪華だし、城の全員が参加するし、てっきり皆んな暇でお祭り騒ぎがしたかったのかと思っていた。自分たちの主人の婚約祝いがメインだったのだ。



「とにかく!今!すぐ!ちゃんとヘレナ様とお話しして来てください!!」



 そう言って二人を押し出す。



「わかった。」



 ヘラルドはあっという間にヘレナを横抱きに抱え、大股に歩き出した。



「え!ちょ!うそ!サリタ!」



 サリタの名を呼ぶが、サリタはロベルトと一緒ににこやかに手を振った。

 彼らの後ろから、ヒューヒュー!と二人を囃し立てる声が届いた。

 ヘレナは顔を真っ赤にして、ヘラルドに抗議する。



「ちょっと!恥ずかしいから降ろして!!」



「もう少し待ってくれ。すぐに着くから。」



 横抱き、つまりお姫様抱っこだが、落ちそうで結構怖い。ヘレナは思わずヘラルドの首にしがみついた。ヘラルドは一度ピクッと反応して、ジワジワと首から上を赤く染めていった。



「坊っちゃまがもし、振られたらどうしますかねえ。」



「そうしたら、残念会ということにして慰めたら良いんじゃ無いですかね。」



「それもそうですね。」



 呑気な面々は二人の背中をニコニコと見送った。






 二人は誰もいない聖堂にたどり着いた。ヘレナはそこでやっと降ろしてもらう。祭壇の前でヘラルドはヘレナに向かって跪いた。



「神の御前で貴女(あなた)に誓う。私は一生涯貴女(あなた)を、ヘレナを愛すると。どうか私と結婚してください。」



「ちょっちょっと待って。頭がついてかない。」



「私のことが嫌なのか?それとも誰か心に決めた男が?!」



 切羽詰まったような勢いでヘラルドに詰め寄られる。



「違う!そういうんじゃない!ちょっと落ち着いて!!」



 “何度ちょっとって言わせるのよ!”



 ヘレナも急な展開に、色々混乱していた。



「状況を整理するわよ。私は元ダセントラル王国の侯爵家の娘、今は平民。貴方はこの国の辺境伯爵。だから、身分差があって、普通は正式な結婚はできない。そうよね。」



「ああ。そこで、神殿の大神官に貴女(あなた)が聖女である証明と、貴女(あなた)の後見を願い入れた。」



「それがあの身元証明書ね。でもそんなにあっさり…」



 大神殿の大神官は、神を信じる人々にとって大きな影響力を持つ。時には一国の国王よりもその力は強大だ。



「大神官様は何もかもご存じだったぞ。」



 “あの人は!もう!”



 大神官とはヘレナも逐一連絡を取っていたので、当然ではあるが、しかし、ヘラルドのことは詳しく話したことはないはず。


 種を明かすと大神官には、ロベルトから大体のことは伝わっていたのだが、この時ヘレナは知る(よし)もなかった。



「そうして昨日、王家から結婚願いが受理されたと連絡があった。」



 貴族の結婚には王家の許可がいる。実質国内の貴族同士ならば大して問題も無く許可されるが、特に国境沿いの領主は、外国との関係に警戒するため、結婚には王家の承認が必要だった。承認をもらった後、結婚式を挙げ結婚届を提出すると、正式な夫婦と認められる。



 “いくら没落したとはいえ、私も他国の貴族だったしね。”



 そう。ヘレナの実家、侯爵家はヘレナの叔父が失脚後、爵位を返還、領地は王家に没収され、名実共に没落した。ヘレナは故郷に何の感慨も無いし、そもそも自分を陥れるのに加担したあの国に居たいとも思わない。今更爵位を継いで、一から苦労をするのも嫌だった。自分の故郷はむしろ神殿だと言っても良いかも知れない。


 そんなヘレナの状況をヘラルドは王家に報告し、また大神官のお墨付きももらったため、多少の波風は立ったが、最終的には自国に害はないと判断された。



「ああ、でも、ヘレナの『聖女』の称号は、(おおやけ)にはしないことになった。」



「…そう。それなら良かったわ。」



 実際ダセントラル王国の惨状を聞き及んでいたシュロエステ王家は、『聖女』に関して不干渉を貫く方が安全だという結論に至った。つまりこの『聖女』の称号は、ヘレナの身分を証明する切り札として、利用するためのものだ。



「そもそも、貴方がなぜ私と結婚したいかわからない。『聖女』だから利用価値があるっていうこと?」



 ヘラルドの目が大きく開かれた。



「誰がそんな!そんな理由で求婚するわけないじゃないか!」



「あらそう?でも貴族なら自領の利益になる結婚をするのが普通じゃない?私の前の婚約もそうだったし。」



 “まあお父様は嫌だったみたいだけどね。”



 ヘレナの実父はヘレナの母亡き後、後添えも娶らず、ヘレナに爵位を継がせるつもりだったらしい。



「それだとしても!私は!ヘレナに()()()()してから!…って、あ!」



「…は?」



 思わず口を滑らせたヘラルドは、片手で口を押さえ、茹で蛸の見本のように赤くなった。

 ヘレナも想定外に頭が真っ白になり、どう取り繕って良いのか全く見当もつかない。



「…あ、いや、その、なんだ。そういうわけ…デス。」



「…あ、、はい。」



 途端にもじもじとしだす二人。そして彷徨(さまよ)っていた視線がかち合った途端、お互い勢いよく逸らしてしまった。



「ちょ!そこは好きだってぎゅ!っと抱き締めるとこでしょ!」



「いやだめだ、まだ早い!やっと好意が伝わったところだから焦っちゃだめだ。」



「男ならそこはグッといかなきゃ!」



「そういう男ばかりじゃないんですよ!」



 扉の隙間から使用人達が覗き込んでいた。彼らから距離はあるが、聖堂では音が反響するので離れていてもよく聞こえた。

 主役二人がくるりと向きを変え、聖堂を出ようと扉に向かった。オーディエンスは慌ててそこから逃げようとする。



「お前ら!」



 バン!!と大きな音を立てて、あっという間に距離を詰めたヘラルドが扉が開き、使用人達はその場にうずくまったり隠れたりする。

 ヘラルドとヘレナの声が聞こえたということは、彼ら使用人達の声も二人に聞こえていたのだ。


 ヘレナは聖女騒ぎの上に婚約騒動はもうたくさんだ、と、天を仰いだ。






『「聖女」とは言っても、それぞれの都合によって、「魔女」だと判断されることもある。』



 ダセントラル王国の王家に「聖女」の再来と言われ神殿に上がった頃、マスター・ウィズダムにそう説明される。なので「聖女」の肩書きに惑わされてはいけないと。


 そもそも聖人や聖女と呼ばれた人達は、ほとんどが殺されたり殉教したりした人達だった。

 聖女について学ぶ上で知り得たことだが、200年前にいた聖女も最終的に神殿の異端審問により火炙(ひあぶ)りの刑に処せられる。その20年後に彼女の名誉は回復され再び聖女と呼ばれたが、本人の立場からすれば、せめて生きている内に回復して欲しかったのではと思う。

 そういえば前世でも似たような話があったなと、ヘレナはぼんやり思い出した。



 “誰がそんな恐ろしいものになるかっつーの!”



 救いはその聖女のおかげで、神殿側も『聖女』の取り扱いに慎重になったことだ。だから実際、ヘレナがダセントラル王国にいた頃は、神殿もヘレナのことを『聖女』とは呼んでいない。それもあって、今回、ヘレナを『聖女』と認定した大神官の意図は計りかねるのだが。まあ、十中八九、政治的な意図があるのだろうとは思っている。






『ちょっ、大神官様、一体どういうことですか?!』



『おお、ヘレナ。久しぶりですね。』



『のっけからとぼけないでくださいよ!それともボケたんですか!?』



『口の悪い聖女ですねえ』



『どの口が!』



 その夜、ヘレナは久しぶりに大神官に会いに行った。会う、と言っても直接神殿を訪ねるのでは無い。ヘレナは体外離脱という手段を使って、物理的に距離がある所でも一瞬で移動できる。体外離脱とは簡単にいうと、肉体から意識が抜け出すことで、一部の高位の神官はこれを意図的にすることが可能だ。

 大神官と会っているこの場所は、地上とは別の階層で、言うなれば夢の中に近い、意識の階層である。



『まあ、余り話を長引かせるのは意味がありませんので、お答えしましょう。』



『…やけに素直ですね。』



 ヘレナは少しイヤな予感がする。大神官は真剣な眼差しで話し始めた。



『ヘレナ。貴女(あなた)が聖女と呼ばれることが嫌なのは知っています。実際これまでは、聖女の存在が権力に利用されることを懸念して、神殿では敢えて聖女の称号は使わないようにしてきました。』



 “ですよね”



『ですが、貴女(あなた)が国や神殿の庇護から離れた今現在、神殿公認の聖女には意味があります。』



 地上で見るよりも若く見える笑顔を浮かべ、大神官は続けた。



『聖女の称号は身分の証明と共に、他者との無用な軋轢を回避することに役立ちます。貴女(あなた)の力は神殿が保証する、ということです。』



『別に、頼んでないのに…』



 ヘレナはやはり聖女と言われるのに抵抗があるのだ。



『これまで以上に貴女(あなた)の力を必要とする人に出会うでしょう。実際貴女(あなた)はそのために外に出たのでは?』



 本心を言い当てられたヘレナはグッと口をつぐむ。



『本当に必要な人達の助けになるように、野に下ったのでしょう?』



 王侯貴族の庇護下にある内は、どうしても庶民からは手が届かない。それは神殿にいても変わらなかった。



『ただし安全面を考えて、フォレスタル辺境伯爵のお力を借りることになりました。』



『でも、それが結婚ですか?!』



『ああ、それも良いと思いまして。』



 確かにこの世界、まだ一般の女性が一人で生きていくのには後ろ楯が必要になるし、世の中の治安が良いとは言えない。



『まあ、私は結婚しようがしまいがどちらでも構わないので、お好きにしてください。では、そろそろ失礼しますよ。まだやることがありますので。ごきげんよう。』



『あ!ちょっと!』



「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!あんの、クソジジイ〜〜〜〜!!!!!」



 ヘレナはベッドの上で叫びながら目が覚めた。



「おはようございます、ヘレナ様。あの狸に会ったんですね。」



「おはよう、サリタ。ええそう。相変わらずだったわ。」



「やっぱり。」



「ヘレナ様。それで大神官様はなんと?」



 いつもは黙々と食事をとるロベルトだが、神殿が絡む話は必ず確認をする。



「う〜ん、それがねえ。結婚の話は乗り気みたいで…」



「…私もいいと思いますよ。」



「え、めずらし。ロベルト()そう思っているんだ。」



「’()’ってサリタも?!」



 味方だと思っていた二人にも推されて、微妙な気持ちになるヘレナだった。






「ヘレナ様、どうですか?」



「うん、いいわね。」



 手鏡で見ながら自分の前髪をちょいちょいと触って確認する。

 天気の良い昼下がり、狩猟小屋の庭先でヘレナはサリタに前髪を切ってもらっていた。




「だいぶ定着しましたね。」



「そうね。私も結構気に入ってるし。」



 以前は前髪を長くして、額を出していたが、逃亡の際、見た目を変えるために思い切って前髪を切った。額を隠すのは随分と印象が変わるものだ。それ以来、前髪パッツンがヘレナの定番である。



「ヘレナ、髪を切ったのか。いつにも増して綺麗だな。」



()()、毎日毎日暇なんですか?」



 ヘレナの嫌みに全く動じず、ヘラルドがずんずん近付いて来た。



「私の父も毎日母を褒めていたぞ。」



「ああ、でしょうね。」



「それにヘレナは本当に美しい。この染めた髪も良いが、本来の色も美しいだろうな。結婚式にはぜひ本来の色に戻して欲しい。ドレスによく映えるだろう。」



「お断りします。」



 断られてもニコニコしているヘラルド。

 呆れ顔のヘレナ。

 今まで異性に興味が無いと聞いていたのに、この小慣れた物言いと積極性は両親の影響だったのかとヘレナは心の中で毒づいた。



「辺境の男は狙った獲物は逃さない。」



 いつの間にか距離を詰めたヘラルドは、お辞儀をするようにヘレナの髪をひとすくい手に取り、唇に押し当てる。そして上目遣いにヘレナを見上げた。



 “うっ!キラキラエフェクト機能が!やらしい!つか、キャラ変わってない?!”



 ヘラルドの周囲に集まる精霊によって、ヘレナ限定エフェクト機能が働き、獲物扱いされたのに不覚にも胸が高鳴る。



「…少しは気にしてくれているんだな。」



 悪戯っぽく微笑むヘラルドから視線を逸らしたが、却ってヘレナの耳が赤くなっているのが分かってしまった。






「今回は()()の顔を見たいんだけどねえ…」



「大神官様、何かおっしゃいましたか?」



 大神殿の一間、開放した窓から青く澄み切った空を見上げ、大神官が呟いたのを、近くにいた神官長が聞き返した。



「いえいえ、こちらのことです。神官長、いつもご苦労様です。」



 (ねぎら)いの言葉に静かに頭を下げ、用を済ませた神官長は出て行った。



「まあ、焦ることはないでしょう。これも神の思し召しですから。」





               【了】

お読みいただきありがとうございました。



注:作中に書かれている方法で人を呪うことはできません。(やる人はいないとは思いますが念の為)

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[良い点] しかし貴族社会はめんどくさいですね 聖女ヘレナを嵌めたマーガレットとヘレナの婚約者のパリス王子、王妃も共犯 ヘレナは他国へ逃亡して名前を変えて生活する そこに辺境伯ロベルトが娘のルビーの呪…
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