40 七月 「いつも通り」の愛しき日々を目指して
いつも通りのナイトルーティーン、いつも通りのモーニングルーティーン、いつも通りの登校、いつも通りの学校、いつも通りの生活。なんにも考えなくても、勝手に体が動いてくれる。
生活習慣に助けられ、あっという間に期末テストが過ぎた。
終業式の日。私は登校中の電車の中で、これから始まる夏休みのぎゅうぎゅうに詰め込まれた予定を眺めていた。ちあきや京、大和たちと遊ぶ日、中学の同級生と遊ぶ日、おばあちゃんの家に行く日、家族で旅行に行く日と、盛りだくさんだ。
じっくりと考えるには一日の時間はあまりにも足りなくて、この感情を片付けるには私の人生経験があまりにも少ない。だからいっそのこと、考える暇をなくして好きの気持ちも溶けた恋も全部忘れてしまおうと思ったのだ。
諦めて忘れて、なかったことにしてしまえば、きっと里也とも普通に接せられるはず。私たちは元から何にもなかった友だちになれる、そうなりたい。
なのに、意識しちゃダメだと思うほどに、どんどんどんどん意識してしまうのはなぜなのか。登校中の電車の中で、頭半分に里也のこと、もう半分でSNSを見ていたら、里也の何気ない絵の投稿が現れた。無意識的にスクロールする指が過剰に速くなる。
……困ったものだ。
学校の靴箱にたどり着き、靴を脱ぎ、さあ片付けようと振り向いたとき、目の前にちょこんとしゃがむ人間が現れた。
「おは」
「お、おは。びっくりしたぁ」
膝の上で腕を交差させ、ニッと楽しそうに笑う悪い子は京だった。
「最近どうすか。テストはできたんすか?」
「んー、そこそこかな。京は?」
「えー、俺には聞いちゃダメすよ」
へへっと楽しそうに笑う。この様子はギリギリ平均点ってところだ。
目を合わせること、まばたきぱちぱち数回分。京が頭をかきながら立ち上がった。
「ほんとにちゃんと寝れてる?」
「寝れてるよー」
それはもちろん、いつも通りに。期末テストも何もかも、異常事態は一切ゼロ。無事、本日も通常運行です。
「逆に変に見えてた?」
「や、全然変わらなさすぎて、逆にびっくり」
京がゆらりと立ち上がって、ふらりとそっぽを向く。
「なんか一応、慰める方法いくつか調べてたんだけど、一つも使わずに済みそう」
「調べてくれたんだ」
「そりゃあ、世間的には失恋って結構長引くらしいんで」
失恋か。そんなものする間がなかった。あのあとは、オール八十オーバーを取るために期末テストの勉強でいっぱいいっぱいになって、気付けば今日だ。失恋した実感が沸く暇すらない。
あまりピンときてない私を、京がちろりと見て思い出したように「でも、まぁ」と独りごつ。
「小町は小町だもんな。世間とか関係ないか」
それは聞いたことのあるフレーズだった。私が前にした言い訳に似ている。よく覚えてるなと驚く私に、京がすっと顔を近付けてきた。周りに聴こえないような小さな声で囁く。
「でも、マジでしんどいときはちゃんと休んで。学校なんかサボっていいから」
京としては珍しく『わかった?』と言い聞かせるような態度だった。
……私、こういうのに、今までなんて返してたっけ。先生化した大和とか姉御ちあきには簡単に返せてたのに。咄嗟にうんともすんとも出てこない。
心配されて喜ぶ場面なのかもしれないけど、なんだか胸にきた。
「京介ー、さっきの話だけど、お、小町。おはよう」
「あ。おは、おはよ」
理系の靴箱のほうからひょこっと大和が顔を出した。今日も今日とて二人で登校していたらしい。私を見て、大和が「ん?」と片眉を上げる。
「どうした、小町。疲れてんのか?」
「や、まぁ、そんな感じ」
「そうなのか。なら、テストも終わったし、授業出なくてもいいんじゃないか?」
こいつなんかたまに昼寝しに保健室行ってたしなー、と京の頭をこづく。仲良しな二人は、考えることも仲良しなのだろうか。
「なんか、京と同じこと言ってる」
サボっていいとか、授業出なくていいとか。私を気遣ってくれるところも、楽になる言葉をかけてくれるところも、二人ともそっくりさんだ。
大和はにまーっといたずらっぽくニヤニヤし、嬉しそうに京の肩に乗っかった。
「マジか! 以心伝心だな〜、京介く〜ん?」
「うわ、くっついてくんなよ、暑い」
「照れんなよ〜。俺とお前の仲だろ」
「照れてねーし!」
私とちあきも仲良しだけど、京と大和も大概だ。朝から楽しそうにじゃれあっては、二人同時にこっちを向く。
「小町ー、これは完全に照れてるよな!」
「照れてねえってば。な、小町」
あんまり楽しそうだから、つい私も笑顔になってしまうのだ。
ニコニコな大和と満更でもなさそうな京のほっぺたを見比べたら、若干京のほうがほんのり赤くなっていた。
「ちょっと照れてる」
「やっぱりな! 京介くんは照れ屋だな〜」
「ちょっ、これは暑いからだって!」
わちゃわちゃと言い合う二人と一緒に階段を上る。足取りはやや重く、なれど二人と同じ速度で。見上げる二人の背中はちょっぴり大きく見えた。
いつも通りの友人たちにも助けられている。うん、大丈夫。一人じゃないんだから、私もいつも通りができるはず。今日も一日頑張ろう。
式が始まるまでの間、私はちあきと行きたいカフェをリサーチしていた。パフェやらアイスやらかき氷やらと、むむむとにらめっこしていたら、バタバタと市香が小走りで教室に入ってきた。
「こ、小町! ちょっと見て!」
額に汗を浮かべ、興奮気味にぐわっと勢いよくスマホの画面を見せつけてくる。
それはメッセージアプリのトーク画面で、相手は里也だった。その文面は短く簡潔に。
『今日の放課後話したいことがあるんだ
僕に時間くれないかな』
「こ、これ、どうしよう!?」
夏休み前の、放課後に、好きな人から話がある。もう驚きもしない、なんともベタな展開だ。
私と市香はしぱしぱと目を合わせ、同時に口を開いた。
「告白じゃない?」
「こ、告白かな?」
市香がはっと息を吸い込んで両手を口で覆う。嬉しそうな喜び混じりで、
「ど、どうしよ!」
「ちょっと、まぁ、落ち着いて」
「や、ほんとどうしよ」
でも次第に不安そうな顔になって、ついには私の机の横にしゃがみ込んだ。
「……ど、どうしよう。私が里也くんと付き合っちゃったら……ねえ、小町」
ツンとした態度がよく似合う私のライバルが、トゲの抜けた弱々しい声で呟いている。勝ち誇った勝利宣言をしてもいいのに、まるで決着がつくのを嫌がっているよう。
いつもみたいに、ドヤ顔になっていいんだよ。
私と里也と市香の三角関係が、不思議と均衡の取れた良好関係だったのは、多分、私と市香がお互いのことを好きだったからだ。コスメやアクセサリーなど、オシャレを楽しむ良き友人になれたからなのだ。
だから、この三角関係が崩れたとしても。
「どうもしないよ」
「本当に?」
「もちろん。恨みっこなしって約束したし、それに私たちは友だちでしょ」
恋のライバルじゃなくなっただけで、友だちであることに変わりはない。机の端にちょこんと置かれた手を取ってぎゅうっと握る。
友だちへのお祝いは、明るく元気でなくちゃ。
「市香、良かったね。おめでとう!」
否応もなく変わりゆく友だちとの関係を経ても、いつも通りに友だちでいたい、いられるように、いられますように。
梅雨も明けた期末テスト後、私たちの人生にたった一度しかない高校二年生の夏休みが訪れた。青い空が眩しくて、見上げると泣いてしまいそうなほど爽快な夏は、海風を浴びて潮の匂いがした。




