38 六月 物理的距離と心理的距離の反比例
お風呂入った。宿題も済ませた。週末課題も終わってる。そんな夜に私はベッドでだらんと横になっていた。片手にはスマホ、もう片方でネズミーくんの抱き枕をかかえてごろごろタイム。
いつもの調子でSNSを見る、が、次々と目に飛び込んでくる友だちの近況に、なんだかうんざりするようになってきた。彼氏といちゃつく惚気報告、アオハル系のきゅん甘ソング、極限まではぐらかした短い文面付きの匂わせ画像、写真映えする人気のカフェでのポートレート。
あー、なんでみんなこんなにもうまくいってるんだろ。
「はぁ……」
ごろんと仰向けになって目を腕で覆う。照明すら眩しくて見てられない。
告白したら変わるかなぁ。京には止められたけれど、私が現状を激変させるにはそれくらいしか方法が思い付かない。しかし告白というものは必ずしもうまくいくとは限らないのだ。中学時代の古傷が傷んで、私を体を小さく丸めた。
私、昔も今も、何もかもうまくいかないな。
たまたまため息が出たとき、スマホがぴろりんぴろりん鳴き始めた。通話だ、ちあきから。ぐっと覚悟を決めて、私は明るい声で応答した。
「はーい」
『こーまち、今暇ー?』
「うん。ちあきは……寝起き?」
『あ、わかる? ちょい寝てて起きたとこなんだよね』
小さくあくびしたあとに、ちあきが少し不思議そうな声で言う。
『なんでだろ。夢に出てきたのかな。なんかね、小町の声聞きたくなっちゃった』
なんでだろ。なんだか私は、ちあきに会いに行きたくなってしまった。
『そのネコさん可愛くない? ほんとネコさん可愛くて毎日見てる。もはや日課』
ちあきとはたまに通話する。勉強しながら、動画見ながら、SNSを眺めながら、部屋の片付けをしながら、スマホのゲームをやりながら。お互いバラバラのことをしながら、ただただ通話を繋ぐだけ。
そして今日は、私はちあきオススメの動物動画を見ながら、ちあきはゲームしながら話をしていた。
「ネコ可愛いね」
『可愛いよね。飼いたいもん』
「ちあきはいつかペット飼いそう」
『飼いたい飼いたい! ネコさんかワンコか、ハムさんとかウサギさんとか、インコちゃんとかオウムさんもいいなって思ってるんだよね』
「候補多いねぇ」
『みんな可愛いだもーん』
確かに動物は可愛い。動画の中ではふわふわ毛並みのネコがごろんとお腹を見せて撫でられている。アニマルセラピーは見てるだけで効果があるのかもしれない。結構癒やされてきた。
一つネコ動画が終わって、自動再生で次のネコ動画が流れ始める。エンドレスネコ、コメント欄もエンドレス可愛い。いいなぁ、ネコ。存在してるだけで世界中の人から愛されて。
ごろにゃんあざと可愛いネコを見て、ついつい真顔だんまりになってしまった。通話先も真剣にゲーム中なのか、静かだ。
通話中にもかかわらず二人とも無言になるときもあれば、ひとりごとを言ってしまうこともあれば、通話先からパリパリとした音が聞こえてくるときもある。
「ちあき」
『ん?』
「何食べてるの」
『イワシせんべい』
おせんべい界の中でもレアそうなやつきた。健康にも良さそうだ。おせんべい、美味しそうだな。
『音うるさかった?』
「お腹減ってきた」
『飯テロ成功』
「あー、重罪でーす」
私はリビングに行って、対飯テロアイテムを取ってきた。ちょうどいいものがなかったので、お父さんの晩酌のお供を頂戴してきた。飯テロには飯テロを。
『何持ってきた?』
「スルメ」
『おつまみ最高』
「たまにハマるよね、こういうの」
『わかる』
二人でおつまみをパリパリもぐもぐ。顎が鍛えられている感覚がする。これが健康食品か。
ちょうど、画面の向こうでネコもエサを食べ始めた。『高級猫缶でーす』とかなんとか言われている。な、なんか私より良いもの食べてる。
私はむっとしてスルメを噛みちぎってやった。ネコがこんなにも愛されてて、なんで私は……。
『小町ー、白い箱と青い箱と赤い箱ならどれが好き?』
「んー、青」
『青ね。……わ、やった、ハイレアエサチケット! さすが小町、ありがと!』
「どういたしましてー」
スルメをごくんと飲み込んで、クッションにもたれてぼんやり伸びをする。
まぁ、私も愛されてるか。誰かさんが不意に声を聞きたくなっちゃうくらいには。
ちあきとの電話でちょっと元気が出てきた。再び癒やし動画閲覧に戻ろうとしたとき、スマホ上部にぴこんとメッセージが現れた。
「あ」
『んー?』
「里也から『相談があるんだけどちょっといいかな』って来た」
『なんか前も相談されてなかった?』
「市香の誕プレで」
『あー、そかそか』
朝あることは晩にもある。私はトーク画面を開いてキーボードの上で指をふらふら動かした。なんて返そう。
「また市香の相談かな」
『嫌なら断りなよ』
「うーん。まぁ、一応行っとく」
市香関係とは限らないし。里也に『いいよー』と返事してにっこりスタンプも送っておく。メッセージだとどう思っていようとも、文面上は明るく振る舞える。よし、送信。
「これで小町は優しいなーって、ころっと落ちてくれたらいいのになぁ……」
ごろんとベッドの上で一回転。壁とカーテンの隙間から夜空がちらりと見えた。今夜は梅雨時には珍しい晴れ模様らしい。
ちょこっとカーテンを開いて夜空を見ていたら、ちあきのほうからパタンと何かを置く音がした。ゲームしていたスマホをテーブルにでも置いたのだろうか。
『ねえ、そんなに気になるなら、私のことどう思ってんのって聞いちゃえば?』
「そ、それは、もう告白なんだよ」
『すればいいじゃん、告白』
え。な、なにそれ。でも、京はやめとけって。
『小町は萩原のこと好きなんでしょ?』
「好きは、好きだけど」
『どこが好きなんだっけ』
「え」
『言ってみてよ』
里也の好きなとこ。えーと、えーと。空にぐるぐると円を描きながら答えていく。
「いっぱいあるんだけどね、優しくて、笑顔が可愛くて、仕草も可愛くて、あと真面目で誠実なとこも好きだよ」
『って思ってるなら、それを信じればいいじゃん』
何を言われたのか飲み込めなかった。どういうこと?
『私は萩原のことよく知らないけど、冗談で付き合って即別れするようなやつじゃないってことは知ってる。だから一回ぶつかってみてもいいんじゃない?』
「ぶつかるって」
私は体を起こしてベッドの上で正座をした。クッションを抱えて、ちあきの言葉に耳を澄ます。
『優しくて真面目で、あとは誠実か。萩原が本当にそういう人なら、小町の告白もちゃんと受け止めるでしょ』
……そうだ。多分里也は、告白を受けるにしても振るにしても、私を無下にして酷く扱う真似はしないはずだ。だんだんちあきの言いたいことがわかってきた。
『だから、萩原と、萩原のことそう思ってる自分のこと、ちゃんと信じてあげな』
絶対に最悪な事態にはならないだろうから、一回告白してしまえ。ちあきらしいさっぱりした考え方は、私には目からウロコだった。
ちあきは『すればいい』、京は『やめとけよ』。なら、私は? 告白したら少しくらい私になびくかもしれないから、告白する? 告白ってそういうものだっけ。
最終的に判断して行動するのは、他の誰でもない、私だ。私は目を閉じ背筋を伸ばして、考えてみた。
付き合っても良いことないなと深く刻まれたのは、好きな人と冗談半分で付き合ったあの一日が原因だ。
あのとき、私が何かしていたら未来は変わっただろうか。あのとき周りの茶化しを振り切って、もっと彼に歩み寄っていたら変わっただろうか。あの日、私が好きだった人に自分の気持ちを伝えていれば……。
あ。私、好きすら言ってなかった、かも。
急に、自分の視界が鮮明になった気がした。
「ちあき。私、里也に好きって言う」
『おー、いいじゃんいいじゃん』
「うん。ちゃんと言わなきゃ伝わらないから」
私はぐっと拳を握って窓の外から夜景を望んだ。家々の明かりとかすかな月光で色付く日常の一欠片は、誰かにとっての平凡な日であり誰かにとっての大切な時間であり、私にとっての決意を固めた瞬間だった。
『安心しな。どうなっても、小町には私がついてるんだから!』
不意にじんと目頭が熱くなる。ああもう、好きだ、ちあき。私も今度ちあきが夢に出てきたらすぐに連絡しちゃうんだから。
翌日、私は放課後の三階の階段前の廊下にもたれていた。今回はランチではなく、『手短に済ませるから放課後にしよう』と言われたからだ。
夕暮れの放課後、それはまさしく絶好の告白シチュエーション。相談前にするか、相談後にするか。あとのほうが落ち着いていそうだから、相談後にしようかな。セリフは何にしようか。告白なんて初めてするから慎重に練らないと。
「小町、帰んないの?」
おや。今から帰るらしい京と遭遇した。
「用事があるの」
「ちあきと?」
「んーん。ちあきはさっきバイト行くーってばいばいしたよ」
「そか、じゃあ」
京が何か言いかけたところで、四階からぱたぱたと小走りで駆け下りてくる影が見えた。
「小町、待たせてごめん」
リュックを肩にかけ直して私たちの前にやってくる。相談するような悩み事はなさそうな、ニコニコ笑顔で。
「あー、用事って萩原か」
「ちょっと相談があってね。そうだ、倉崎くんも一緒に聞いてよ」
「え、俺も?」
「うん」
京も? なんだ、私にだけ話したいってわけじゃ、
「恥ずかしいんだけど、実は恋愛の話なんだ」
「恋愛?」
恋愛。その一言で、ぶわっと汗が出てきて、なのに背筋が冷たくなった。わかる、市香のことだ。急激に頭の回転が早くなって、今から来たる不幸に備える。
内容はなんだろう。誕生日は過ぎた。部活関係の話は私には不適切。もしや夏休みのこと? 遊ぶ予定について、いや、それなら大和に話すはず。となると、まさか、恋愛ということは、ひょっとして。
里也が顔を寄せて手を口元に添える。ちょ、ちょっと待ってよ。心の準備が……。
「あのさ。実は僕、市香ちゃんが好きみたいなんだ」
口を覆った手でさり気になくほっぺたをつねる。ちゃんと痛かった。
思わず乾いた笑いが出た。告白すらさせてもらえないなんて、もはや笑うしかなかったのだ。




