廃墟と姉貴と微笑み
とある廃墟の一室に黒宇は身を隠していた。
「ってぇ……容赦ねぇな、ったく。」
腕の傷口に水をかけて洗い、
近くに隠してあった鞄から包帯を取り出してまきつける。
『誰に狙われてるのかがさっぱりわからねぇ…』
先珠に見限られてるのはすでに理解していた。
だからこそ先珠に関係する場所には一切近づきはしなかった。
『こんな直接仕掛けてくるなんざ、
先珠のやり方とは圧倒的に違う…
周殿か?それならばやり方がぬるい気がするし…』
傷口を縛っている最中、胸元からかさりと写真が落ちた。
以前、藤に姉だと言って見せた写真。
―――ねぇ、奄。私ね、幸せになるんだ!
そう言って幸せそうに笑う彼女が忘れられない。
それは黒宇がまだ芸能界に入る前の話だ。
「ってか、姉貴。付き合ってそんなに経ってもないのに、
もう結婚とか気が早すぎない?」
「いやいや、結婚てのはもう勢いでしょ!!」
歳離れた彼女は親が連れ子同士の再婚でできた姉だった。
それでも姉は気にすることなくまだ子供同然の黒宇を可愛がっていた。
「勢いって…いや~よく考えたほうがいいと思うけどね。」
「なぁに~?もしかして、妬いてるの~?」
「んなわけねぇーし!
姉貴みたいなめんどくせぇ女もらうなんて、
絶対ろくでもない男だって!!」
「馬鹿ね!びっくりするくらいのイケメンなんだから!!」
「は、顔かよ!?」
「まぁ、多少は…ヒモっぽいとこもあるけど…」
「まじかよ!?」
「で、でもね、違うのよ!!」
いつも勝気な姉が照れるような表情になり、
「私がね…その、一人の女になれるっていうか……笑ってくれたの。」
大人の“女性”の顔になっていた。
「……単純。」
「え、だってさ、合コンとか婚活とか行ってもさ、
私じゃ相手にされないことも多いんだよ!?
みんな、がっかりした顔か、愛想笑いか、つまらなさそうというか…
でもね、かれはね、違ったの。
会った瞬間から、すっごい笑ってくれたんだよ!」
『………たったそれだけの理由で結婚なんか決めるかよ……。』
写真を握りしめる。
かつて藤に言ったことを思い出した。
―――あ、姉貴の話は嘘だから。
「嘘じゃ、ねぇんだよっ……。」
昔、姉の隣で笑いかける藤の姿を一度だけ見たことがある。
あの頃の姉は本当に幸せそうで、
そして藤の笑顔も幸せそうで疑わなかった。
世話焼きの姉が決めた相手なのだからと信じていた。
『それなのに』
どんどんやせ細っていく姉の姿を見ているのが辛かった。
忘れられなくて、胸が痛くて涙が出てくる。
「ぜってぇ、許さねぇ…先珠 藤…………。」
そのために芸能界入りをした。
失敗には終わったが、それでも藤への復讐は消えなかった。
隠されておいた鞄の中から紙切れを取り出した。
そこには別の場所に用意された隠れ家の場所が記されている。
黒宇には誰だかわからないのだが、
こうして隠れ家や物資を提供してくれる存在があった。
次の隠れ家を確認すると、もう一つ、記入されていた。
それはとある場所と日時であった。
ふっと笑みを浮かべるとその紙を燃やして隠滅をする。
鞄の中にはあと二つの物が入っていた。
一つは細くて長い物体に、
もう一つは三角のケースに入れられている。
『もうすぐ、会いに行きますよ…藤さん。』
思わず笑いが零れる。
だが、その時だった。
目前を宙に浮く物体。
寸前のことでそれをかわす。
先ほどまで黒宇がいた場所に、
廃墟に放置されたままの机が粉々に叩きつけられた。
暗闇でよくは見えない存在が足音を立てて歩いてくる。
いい機会だと確認するために息をひそめた。
『普通、こういう時は足音立てないものなんだけど…
ど素人か、もしくは余裕あふれる手練れか………。』
――――まだ近くないが、そろそろ姿が見えるはず。
そう思えた瞬間。
足音が消えた。
かわりに空を切る音。
「まじかよ!?」
――――かしゃん!!!!!!!!
ぎりぎり避ける。
見えたのは遠慮なく振り下ろされた伸縮性の警棒。
『いつの間に後ろに!?』
必要最低限の荷物を持ち転がり抜ける。
隙をついて走り出すが、またもや物体が飛んでくる。
「めんどくせぇんだよ!!!!!」
入れ違いにポケットから小型のスプレー缶をとりだして、
栓を抜き、投げつけると煙が一面に広がった。
黒宇は全速力で逃げ出した。
煙が落ち着くころ、追手の男は
煙を吸うことなく落ち着きを払って警棒をしまう。
ため息をついてその場を後にしたのである。
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とあるビルの地下駐車場。
建物内へと繋がる入口から先珠 桜は姿を現した。
送迎用の車が彼女の目前に止まり、周りの部下がドアを開けた。
だが、すぐに彼らは懐から銃を取り出すと一定方向へ一斉に向けた。
桜は手を軽く上げて静止させ、笑顔を向けた。
「あら、やっと会いに来てくれたのね、嬉しいわ、藤。」
「……………本当に何を考えているの、桜さん。」
部下をその場に置き、桜は藤に遠慮なく近づく。
「出来れば、一人で会いに来てくれると嬉しかったんだけど。」
「俺の質問に答えて。」
一応、姿は隠している朱鷺の方へと視線を向けたが、
藤の険しい視線に戻し、桜は首を傾げた。
「何のことかしら?」
「どうして、周殿と手を組むような真似をしたの?」
「あら、荒方と周殿の子倅と手を組んでいるあなたが言うの?」
「そういう問題じゃないだろ!?
周殿と手を組んだらあなただってただじゃすまないって、
わかっているんでしょ!?なのになぜ!!」
「………おかしいわね。」
「なにが?」
「私から離れようとしているあなたが心配してくれるなんて。」
「………………。」
藤は心底、桜のこの見透かしたような微笑みが大嫌いだった。
「……行く当てのなかった俺を拾ってくれたこと。
赤の他人である俺を育ててくれたことは感謝してます。
だけど、あなたのやっていることを俺は認められない。」
「そうね、藤はいつも“そう”だったわね。
私に従順なふりをして、裏では好きなようにしていたもの。」
「……………。」
「私が知らないとでも思ったのかしら?」
「だから、黒宇をあんな利用の仕方をしたの?」
「さほど大した利用価値も無かったけれどね。
用件は終わりかしら?もう時間なの。」
つばを返し、車の方へ戻ろうとする桜。
「桜さん、あなたは変わった。
少なくとも俺を引き取って一年間はそうじゃなかった。」
ぴたりと足が止まる。
「あの日から。あなたが俺の手を―――」
「藤。」
彼の言葉を遮るようにして、桜は振り返った。
「あなたの言う通り、周殿と手を組んだからには、
窮地に立たされるのも時間の問題かもしれないわね。」
「それなら、」
「嫌なら、自分でどうにかしなさい。」
「は?」
「私は何もしないわ、朽ちるならそれまでよ。」
「桜さん!?」
「どうにかしたいなら、あなたがどうにかするのよ、藤。」
「いつも、そうやって………」
「そうよ、いつもあなたに選ばせてあげているの。」
彼女は車に乗り込んで去っていった。
『ねぇ、私と一緒に暮らしてみるかしら?』
幼いころ、彼女に初めて会った日にそう言われた。
『もちろん、このままここにいてもかまわないのだけれど。』
彼女は何をするにしても必ず藤に選択肢を与えるのだ。
一見、選ばせているようには見えるのだが、
ほぼ、選びようのない選択肢であることは間違いなかった。
「ごめん、荒方さん。わざわざ連れてきてもらったのに。」
「大丈夫だ、どうせあの婆に話が通じるとは思っておらん。」
「本当にどうしてこうも………。」
「悔やむな、藤。」
目前に立った彼女は真っ直ぐに言う。
「耳をふさいだ相手に何を言っても無駄だ。
それにあれはあれの生き方だ。
悔やむのは耳を貸さないあいつであって、おぬしではない。」
「………俺の言葉に意味がなかったらどうするの?」
「意味がなければ私が聞いたりするものか。
少なくとも私には意味がある、そこは自信を持ってかまわん。」
言い終えると、行くぞと言って車に歩き出す。
『ほんと、むかつく………』
悔しまぎれの苦笑を必死で堪えて彼女の後を追うのだった。




