過去と公園とハイヒール
ベッドに横になった藤は目を閉じて思い出していた。
――――眞璃。
俺は何度、その名前を呟いただろう。
あれから十年以上経つというのに、一度たりとも色褪せた事など無い。
今でも鮮明に覚えている。
人生で最大の後悔。
それはまだ芸能界に入る前の話だ。
その頃の俺はまともな仕事はしてなかった。
いわゆる、イケナイ仕事。
選ぶ権利なんてものは無かったから、どうしようもなかったんだけど。
「あー…気持ち悪。」
夕方から夜に差し掛かる公園で、俺は吐いてた。
酒の飲み過ぎ。
宴会に呼ばれたでは無く、仕事が一段落して、何も考えたく無くて……やけ酒だ。
毎回こんな事繰り返してた。
嫌だったけど、俺には選ぶ道なんて残されて無かった。
途方も無い考えがいつも湧こうとするけれど、もう無駄に体力を使うのも嫌で、すぐに考えることをやめた。
『………嫌だ、なんて言えないよな。』
水を口に含んで、口の中を綺麗にする。
生きていくためには、この道しか無かった。
拒否をすれば、すぐに命が無いものかもしれない。
そんな、鬱々とした毎日から逃れられずにいたんだ。
「大丈夫ですか?」
突然、目の前に布が差し出された。
そこにはスーツに身を包んだ女がいた。
正直、放っておいて欲しかったけど、引き下がりそうも無いので、布を受け取り口元を拭こうとした。
だけど、違和感を感じた。
ハンカチと思ってたんだけど、受け取った布を開いて二人で驚愕した。
「ぎゃああ!すみません!間違えましたぁ!!」
なんと、女ものの下着、いわゆるパンツ。
女は慌てて鞄の中から今度はちゃんとしたハンカチを取り出して、俺に握らせた。
「い、いつも、急に出張があるので!持ち歩いてて!本当にすみません!ごめんなさい!」
「………いや、別にいいけど………。」
「あ、飲み過ぎですか!?」
「え、あぁ、まぁ…。」
「じゃあ、これ飲んでください!良く効くんです!!」
そう言って小瓶を差し出したんだけど、そこにははっきりと、
[マムシエキス!]
って書かれてて、俺が目を丸くしたのを見て
「すすすすみません!!これじゃないんですぅう!!!」
「……………。」
慌てて今度は正しい小瓶を差し出した。
パンツにマムシって、大胆に誘われてるのかと思ったけど、半泣きになりながら顔を真っ赤にしてる様子を見たら、天然なんだろうなって理解した。
騒がしいのは嫌いだけれど、久しぶりにどこか温かさを感じた。
笑おうとした瞬間だった。
「あ、ごめん。向こう向いて。」
「え?」
「おえー…、」
まさか、女の前で嘔吐現場見せてしまうなんて。
流石の俺も酷かったと思うよ。
でも、我慢出来なかった。
彼女は鈍くて、ばっちり見ちゃったし。
もう一回、口を濯いで顔を上げたら、そこに彼女の姿は無くなってた。
そりゃそうだよな。
普通の女なら逃げるに決まってる。
ハンカチどうしようとか思ってたら、再び彼女は目の前に現れた。
「と、とりあえず!これ飲みましょう!こういう時はこういうのが抜群です!」
スーツとヒールなのに猛ダッシュしてきたようで、息を切らしてて、手には清涼飲料水が握られていた。
よくわかんなかったけど、とりあえず飲料水を受け取ろうと思ったら、目眩を起こしてしまった。
何とか踏ん張ったんだけど、彼女は見知らぬ俺を必死で支えてくれた。
「大丈夫ですか!?貧血!?中毒!?」
「あー…、貧血かな……ごめん、大丈夫。ちょっと…ベンチで、休んでおけば…いいから…。」
「ベンチで寝る気ですか!?こんな真冬に!?」
「へーき…へー…き……。」
「あぁもう!!ちょっと5分ほど頑張って下さい!!」
「んー……。」
意識も朦朧とし始めてた。
でも俺よりずっと華奢な体が全力で支えて運ぼうとしてくれたのはわかった。
消えそうな意識の中で彼女はずっと「頑張って下さい!」って言ってた気がする。
******************
「んー………。」
「気がつきました?」
ひんやりとした感触が額に触れた。
目を開けると、そこには彼女の顔があった。
周りを確認すると、いかにも女性の部屋という感じだ。
ゆっくりと起き上がろうとした。
でも左の手首に違う冷たい感触があった。
「………ねぇ、これ。手錠?」
「あ、すみません。一応年頃の独身女なので、安全策はとらせていただきました!」
真剣な顔で言うのと、ツッコミを入れる気力が無かったのもあって、上手く返事は出来なかったけど。
多分、真面目過ぎる人なんだと思う。
真面目過ぎて、何かがズレてるんだろうな。
まぁ、彼女のベッドに寝かせて貰ってるから文句は言えないんだけど。
「お粥作りましたけど食べます?」
「…少し貰おうかな。」
何とか起き上がった俺の右手に、大きい丼いっぱいのお粥が乗せられた。
彼女はテーブルを引っ張って近くに寄せてくれた。
「もしかして、ろくに食事取られて無いんじゃないですか?」
「んー…そういえば、そうかも。」
「自宅はどこです?明日、朝一で送りますよ。車あるので。」
「…………無い。」
「え?」
「しばらく帰れないから、公園にいるよ。」
帰りたくないが本音だった。
仕事が一段落すると、決まって野宿やらでのんびりする事が多い。
「………手錠付きでいいなら、ここに居てください。」
「は?」
「公園暮らしなんて、させられません!少しの間くらいならいいですよ!」
何だか、凄い剣幕なんだけど…多分、凄い心配してくれたんだろうなぁ。
後から聞いた話だと、俺すっごい顔色悪くて、頬もこけてたらしいから。
「………じゃあ、お言葉に甘えて。」
「その代わり、ちゃんと食事は一日三食取ってもらいますからね!じゃあ、えーっと…えっと……。」
「………名前?」
「そう、それです!」
「適当に呼んで。捨て犬だと思って。」
「えー!?うーん……じゃあ、“ふうちゃん”にします!」
『早っ。』
「ふうちゃん?」
「風来坊のふうちゃんです!」
『風来坊の意味わかってんのかな。』
「で、君は?」
「私は貝堂 眞璃と申します!」
これが、俺と眞璃の出会いだったんだ。




