ご飯とスーツとタイピン
着替えはいつも持ち歩いてたから、問題なんて無かったのだけど、翌朝から俺にとっては大変な事だらけだった。
「え、これ朝ご飯…?」
「ちゃんと残さず食べてくださいね!」
目の前には、お茶碗に大盛りの白ご飯、味噌汁にサラダとベーコン付きの目玉焼き、あと、焼き魚に納豆まで付いてた。
今なら普通だと思えるけど、当時の食生活なんて本当に悲惨で、食べないなんてしょっちゅうだったから、正直にその瞬間は言葉を失ってた。
「お味噌汁ぐらい食べてください。」
まだ本調子じゃ無いって事はわかってくれたみたいで、彼女なりに譲歩したようだ。
軽そうな味噌汁ならいけそうだと、口にした。
「………あ、美味い。」
「でしょー?お味噌汁は自信あるんだ~♪」
レストラン以外で味噌汁なんて、何年ぶりだろう。
家庭の味噌汁なんてほとんど記憶になんて残って無いけれど、眞璃の味噌汁は本当に美味しいと思った。
五臓六腑に染み渡るってこの事なんだろうなぁと。
「………魚は焦げてるんだな。」
「あー!ひっくり返さないで!表は大丈夫なんだから!」
正直、不思議な気持ちだった。
こんな風に誰かと話ながら食事なんて久しぶりで、新鮮だった。
眞璃が仕事に行く間は手錠は外して貰えた。
鍵も預かったけど、やっぱり彼女は天然なんだ。
見知らぬ男拾ってきて、鍵預けるとか無防備過ぎる。
皆は絶対やったら駄目だよ。
まぁ、体調悪いのもあって、特に何をしようというわけでも無かったから、大人しく寝てた。
で、お昼は朝の残りやら、眞璃が作っておいてくれたのを食べて、眠かったら寝て、眠く無かったらテレビ見て、夜、彼女が帰ってきたら夕ご飯を食べる。
本当にどうしようもないほど、怠惰な生活をしてたんだ。
でも、眞璃は日に日に食欲が増えて顔色も良くなってきた俺の姿を見て喜んでくれた。
ご飯もさびしく無いって言ってた。
素直に俺も不思議と安心した気持ちでいたんだ。
「眞璃。お風呂あが………。」
居候の身で家主より先に風呂に入ってたんだけど、ある日、風呂からあがるとテーブルに顔を伏せてた。
ゆっくり近づいて顔を覗き込むと、寝息が聞こえた。
随分、疲れているようだ。
その時によくよく考えてみたら、毎日二人分の炊事洗濯、掃除もきちんとしてるし。
仕事も詳しくは知らないけど、大変そうだ。
キッチンを見ると、食べ終わった後の食器が水につけられていた。
今の今まで、そういう事はやった事すら無かったけど。
とりあえず、やってみようと思った。
スポンジに洗剤たらして食器を磨く。
何だかベトベトしてて、汚れ落ちない。
すぐ洗剤無くなっちゃうし。
首をかしげながら洗ってたら、後ろからクスクスと笑い声が聞こえた。
「ふうちゃん、やった事無いの?」
いつの間にか起きていたようで、音を立てずに後ろから様子を伺っていたらしい。
恥ずかしかったけど、とりあえず、素直に頷いた。
皿洗いもまともに出来ない自分が情けなくて辛かった。
でも、眞璃は優しい笑顔だった。
「スポンジに水含ませて揉んでみて?」
言われた通りにすると、凄く泡立った。
「その泡で食器を洗うんだよ。軽く、撫でるようにやってみて。」
今度はべとつかず、さらっと汚れがとれた。
思わず「おぉっ。」と声を上げてしまった。
そんな20代半ばの男に、彼女は食器洗いのコツを丁寧に教えてくれた。
「何だか、綺麗になると気持ちがいいな。」
「そうだねー。」
それから、食器洗いは自分からやるようになった。
楽しさを知った俺は色んな事をやりはじめた。
手始めに風呂掃除。
でも、そしたら気になってしまって部屋の掃除も。
洗濯機の使い方も教わった。
ポイントは柔軟剤は仕上げだから、洗剤とは別にちゃんと入れる場所があるってとこだ。
いや、本当にやらないと知らないことだから!!
「ふうちゃん!何してるの!?」
「何って洗濯物を干そうと思って…。」
「だ、駄目だからね!それだけは私がやるから!!」
「え、なんで?」
「し、下着があるでしょー!!」
「…ハンカチと間違えて渡したくせに。」
「それは忘れるの!!」
干すのは頑なにさせてもらえなかった。
俺は気にしないんだけどなぁ…こういう所はデリケートだ。
そのうち、眞璃が熱を出してしまって。
また初めてなんだけど、ご飯を作った。
と、言ってもお粥なんだけど。
「………味無い。」
同じものを食べて自ら渋い顔をしてしまった。
眞璃はきょとんとした表情を見せた。
「んー、でもこれに梅干しとか薬味とか入れて食べるもんだよ?」
「前に眞璃が作ってくれた時は美味しかった。」
「おだしをとったからかなぁ…。あ、ちょっと塩入れてみて。」
「………あ、ちょっと美味くなった。」
「ちょっとの事で味って変わるんだー。」
すっかり体調が良くなった彼女は、1番にやったこと。
それは簡単な料理が載った本を買ってきてくれた事だ。
料理がしたくてうずうずしていたのを察知してくれたらしい。
勿論、しばらくは眞璃が隣りで切り方を一から丁寧に教えてくれたし。
俺も才能があったのか、すぐに色んな物を作れるようになった。
「…最近、ふうちゃんが作ったやつのほうが美味しい気がする。」
と彼女は悔しそうに呟いてたが、嬉しそうだった。
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その日は何となくぶらついてた。
食材を買うついでに散歩をしてたんだけど。
街中で眞璃を見掛けた。
いつものスーツに身を包み、喫茶店でこれまたスーツに身を包んだ男と、何やら書類を見ながら話し込んでた。
俺は気づかれないように近くの席に座って珈琲を注文した。
「ですから、この契約には大きな意味がありまして!」
「お話になりませんね。」
きっぱりと言い切ったのは眞璃のほうだ。
「その契約では私の計算上、損失が確実に増えます。利益は現段階のおよそ八割程度です。」
書類を指して細かく説明しているようだった。
「我社には要らないものです。こちらに有益な使い道が出来ましたらまたご連絡を。」
普段の彼女から想像もつかない態度だ。
天然でドジな姿しか見たこと無かったから、正直驚いた。
男が去った後も、眞璃は一人珈琲を飲んでノートパソコンを開いて何やら打ち込み始めた。
「まだ仕事?」
「ふうちゃん!?」
突然、目の前に現れた俺に物凄くびっくりしたらしく、珈琲をこぼした。
間一髪の所で書類とパソコンは守られたから良かったものの、それに慌てた眞璃は砂糖とミルクが入った入れ物まで倒してしまう。
大惨事である。
気づいた店員さんが手際よく片付けてくれて、ついでに新しい珈琲もいれて貰えた。
「ぷっ、くくく………。」
「もう!ふうちゃんが急に現れるからびっくりしたんだからね!」
「ごめん、ごめん。はははっ。」
「何笑ってんのよー!」
だって、ギャップが面白かったんだ。
さっきまであんなに固い顔してたくせに、急にいつもの眞璃に戻るんだから。
「さっきの眞璃は凄いしっかりしてたのに。」
「見てたのー!?」
「うん。何か、仕事と家じゃ全然違うんだな。」
「そりゃ、仕事は気が抜けない事が多いもん。」
頬を膨らませながら、珈琲を飲もうとしたから、カップごと奪って入れ忘れてた砂糖とミルクを入れてあげた。
すると、彼女は嬉しそうにいつもの笑みを浮かべて「ありがと。」と言ってくれた。
そのあと、一度眞璃が会社に戻り片付けを済ませて、一緒に帰る事にした。
会社の近くで待ってたんだけど、まさに大手の会社。
見上げるばかりのビルは、普段の彼女から想像つかなかった。
眞璃はどうやら有名人らしい。
彼女が通り過ぎる度に周りの人達はお辞儀とか挨拶を交わす。
でも、印象は良くなさそうだ。
「うわぁ、貝堂さん…相変わらず怖ぇな。」
「やめとけって。聞こえるぞ。」
「仕事出来るけど無茶苦茶厳しいらしいよ~。」
「この間も何人か泣かせたって噂でしょ?」
そんな声が次から次へと聞こえてきた。
正直、信じられなかったけど、でも、こんな会社で重役するのなら、色んな仕方ないのかもしれない…。
でも、何となく面白く無かった。
だから、ちょっとだけ悪戯心が湧いたんだ。
しばらくして、眞璃が入口から出てきた。
でも彼女は俺の姿を見つけて固まった。
「お帰りなさい、眞璃さん。もう終わりですか?」
俺らしくない敬語に彼女は益々固まった。
それもそうだ、俺はびしっとスーツに身を固めて髪もしっかりまとめた姿でいるのだから。
「ふ、ふうちゃん?」
「お迎えにあがりました。」
気がつけば、周囲は遠巻きではあるけれど見物人が増えてきてた。
そんなに意識はしないんだけど、どうも目立ってしまうらしい。
揚句、動揺した眞璃が躓いてこけたから、その体を支えるために抱きしめる形になっちゃって。
「わぁあ!!ごめん!大丈夫だから!」
と、慌てて体を話したら、鞄の中身を地面にぶちまけちゃうし。
会社の人達からは“彼女らしくない”姿を見せびらかしてしまって、顔は真っ赤にしちゃうし。
そのせいか、数名の男性社員が鞄の中身を拾うのを手伝ってた。
「本当にすみません……。」
「い、いえいえっ。」
彼女は気づいて無かったけど、彼らの中では随分と印象が変わったらしい。
俺はすかさず、眞璃に渡そうとした物を横から自然に奪いとって「有難うございます。」とお礼を言った。
「荷物は俺が持つよ。」
「え!?」
「また、ばらまく気?」
有無を言わせずさっと鞄を彼女から預かり、さりげなく腰に手を回した。
「それでは、お疲れ様です。」
「お、お疲れ様ですっ。」
逃げるように足早になるものだから、腰を掴んで無理矢理歩調を合わせた。
だいぶ離れた所でようやく立ち止まった。
「ふ、ふうちゃん!スーツなんてどうしたの!?」
「いつも持ってんだけど、今日は置いてきちゃったから、そこの店で買った。」
「買った!?」
「着心地良かったし、調度新しいの欲しかったからね。」
「スーツ着るの?」
「大事な商売道具だよ。」
「何の商売?」
そういえば、話して無かったと気づいたけど、でも素直に悪い仕事を話せるわけでも無かったから。
「内緒。」
ごまかした。
でも、眞璃は追求するわけでは無く、俺のスーツ姿を見て、う~んと唸る。
「ふうちゃん。タイピン持って無いの?」
「え、使わないけど。」
「駄目だよ。よし、タイピン買いに行こ!今日のお礼にプレゼントしてあげる。」
「お礼?何もしてないよ?」
「ん~、内緒♪」
悪戯っぽく笑う彼女に思わず手を出した。
目を一瞬丸くした彼女は恐る恐る口を開く。
「手、繋ぐの?」
「俺にとって、手を繋ぐって特別な事だから普段はしないんだ。」
「特別?」
「うん、俺魔法使いでね、手を繋いだ相手の心を読んじゃうんだ。」
「へぇ~。」
「…勿論、眞璃が嫌ならしない。」
一呼吸おいて、彼女は優しく手を差し出してくれた。
その手は温かくて優しかったんだ。




