69【寄生生物】
世界樹の種の実を食べ、下痢を催したスーツ男に、ゴブリンの群れが襲い掛かる。
キィーキィーと騒ぎながら洞窟から出て来たゴブリンたちの手には、石斧や棍棒、木の槍などが握られていた。殺る気満々である。
しかも、ゴブリンの数が多すぎる。ざっと三十匹はいるだろう。
そのゴブリンたちが、鬼の形相で一斉に飛び掛かって来るのだ。もう、危機しか感じない。
スーツ男の手にはリボルバー拳銃がある。しかし、それでもゴブリンたちの数は多すぎる。拳銃一丁だけで対応できる数ではない。
さらにマズいのは、下痢だった。
お尻が爆発しそうである。
死の恐怖と脱糞の恐怖が交差していた。
下痢さえなければ、走って逃げられたかもしれない。だが、お尻を引き締めていないと、今にも不発しそうなのだ。内股の姿勢を崩せないのである。
「ぐぅ、ぞぉ〜……」
走ったら、爆発するかもしれない。
だから、逃げることもままならない。
「こう、なったら……焼け糞だぁ……!」
覚悟を決めたスーツ男は、拳銃を突き出して乱射した。残っていた弾丸を、すべて撃ち尽くす。
パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!
即座の四連射。
そして、五発分の弾丸をすべて撃ち尽くした。
それで倒せたゴブリンの数は、ごく一部だった。
まだまだ多くのゴブリンが残っている。
残ったゴブリンたちが、一斉に襲い迫って来る。
「「「キィェエエエエエエエ!!!」」」
「も、もう、だめ、かぁ……」
尻の筋肉を引き締めながらスーツ男は、諦めた。
しかし、その時だった。
スーツ男の体に異変が起きる。
「えっ、ええっ、えっ……」
体がおかしい。お腹の中で、何かが大きく動いた。胃の中から、何かが押し上がってくる。嘔吐や脱糞を模様しているのとは少し違った。
「な、なんだ!?」
そう叫んだ刹那――。
喉の奥から、何かが競り上がって来た。
何かが食道を登ってくる。
嘔吐か?
違う。
それは、生き物のように蠢いていた。
食道で蛇のように、クネクネとうねっている。
そのうねりが喉を通過した。
そして、口をこじ開けて外へ飛び出す。
「ほご、ほごごォ!?」
それは、大蛇のような木の根だった。
それを目の当たりにしながら、スーツ男は困惑する。
自分の口から飛び出した、太くて長い木の根。そんなものを目の前にして、戸惑わないほうがおかしい。
しかし、そんなスーツ男の困惑とは裏腹に――。
木の根は意思を持っているかのように激しく暴れ回り、飛び掛かって来たゴブリンたちを次々と薙ぎ払っていった。
口から飛び出した木の根は、パワーもスピードも、まるで巨人が振るう鞭のように力強かった。一振りするだけで、ゴブリンたちを次々と吹っ飛ばしてしまう。
「キョエ!?」
「グギャ!!」
「ギャフン!!」
次々と跳ね飛ばされていくゴブリンたち。その数は、あっという間に半数まで減っていた。
打ち飛ばされたゴブリンたちは、ホームランボールのように森の奥へと消えていく。
それを見ていた残りのゴブリンたちは、凶悪な顔を引きつらせ、唖然としながらその光景を見送った。
「ギギィ……」
「ナンカ、強クネ……」
「チョット、ヤバイゾ……」
立ち尽くしながら口を開き、その口から長い舌のように木の根を伸ばしているスーツ男を見つめ、ゴブリンたちは冷静に思考を巡らせる。
そして、一匹のゴブリンが叫んだ。
「逃ゲロ。コイツ、強イゾ!!」
その言葉を聞いたゴブリンたちが、一斉に逃げ出した。背を向け、一目散に森の奥へと駆けていく。
「「「ヒィィィーー!!」」」
「――……っ」
逃げていくゴブリンたちを見送ったスーツ男は、いまだに口から木の根をニョロニョロと伸ばしたまま、呆然と立ち尽くしていた。
この状況に、どう対応したらいいのか分からない。
すると、口内から伸び出ていた木の根が、スーツ男の意思を無視するように動き出した。
そして、地面に転がっていた死んだゴブリンの遺体へと巻き付く。
「んん……?」
木の根が、ゴブリンの遺体から養分を吸い始めた。
見る見るうちにゴブリンの遺体が萎れ、まるでミイラのように乾いていく。
やがて、ゴブリンの遺体は、あっという間に皮と骨だけになった。
「|ほいふ、ひはいはら、ひょふふんをふっていやはるのは?(こいつ、死体から養分を吸ってやがるのか?)」
スーツ男が見守るなか、木の根は次々とゴブリンの死体へと巻き付き、養分を吸い上げていった。
そして、五体目のゴブリンから養分を吸い上げたところで、木の根は満足したのか、捕食を中断する。
そのまま、ウツボが巣穴へ戻るように後退すると、スーツ男の口の中へと戻っていった。
木の根は口の中から喉の奥へ、さらに胃の方へと潜り込んでいく。
やがて、すっかり大人しくなった。
「な、なんだったんだ、あれは……」
何が何だか分からない。
だが、敵ではないようだ。少なくとも、自分の命を脅かす存在ではないらしい。
「寄生虫――」
スーツ男は馬鹿だが、寄生虫については知っている。
寄生虫の多くは、宿主を生かそうとするものだ。寄生先の宿主が死んでしまえば、寄生虫も死んでしまうからである。
つまり、寄生虫と宿主は一心同体。互いに助け合いながら生きていくものなのだ。
「要するに……」
スーツ男は、自分の腹を撫でながら呟いた。
「あの木の根は、味方なのだろう」
この訳の分からない異世界で――。
自分を守ってくれる、唯一無二の味方なのかもしれない。
しかも、空腹が収まっていた。喉の渇きもなくなっている。
たぶん、木の根が吸い上げた養分が、宿主である自分にも還元されているのだろう。
これは、有り難い話だった。
強い味方を受け入れたような気分である。
さらにである――。
なんだか、体が軽く感じる。力が満ちているのだ。気分も爽快である。疲れが落ちていた。
これも、あの根の力なのだろう。
「すげぇ〜、気持ちが良いぞ。気分がハイになってるぜ!」
これが、世界樹の種の脳力である。
刹那――。
「んんん?」
意識が研ぎ澄まされていた。
その研ぎ澄まされた意識が、何かを感じ取る。
気配――。
「誰か、森の中に居る? こちらを見ている?」
スーツ男が森の中を凝視する。
しかし、誰も居ない。静かに木々が揺れているだけだった。
だが、誰かに見られているような感じがするのだ。間違いなく、誰かがこちらを見ている。気配がするのだ。
それは、ゴブリンよりも強い気配だった。強敵感が否めない。
「誰だ、出てきやがれ!」
気配に苛立ったスーツ男が、声を張り上げる。
すると音も無く、太い木の陰から一人の男が姿を現した。長身の男である。
ぬう〜〜〜……。
長い白髪。褐色の肌。尖った長耳。美しい容姿の男性である。凛々しくも美男子であった。
厚手の革製の服を纏い、腰には細身の剣を下げている。
その身形は、文化人と評するには少しばかり雑だった。どこか原始的である。
しかし、その美男子の眼光は凛々しく、威厳に満ちていた。そこだけは、妙に文化的である。
姿を現した男が、スーツ男に問う。
「貴様、何者だ?」
スーツ男が怒鳴りながら問い返す。
「お前こそ、なにもんじゃい、ごらぁ!?」
ダークエルフは一呼吸置いてから、名乗った。
「我はダーク村の戦士、シャドー様の右腕、水鳥剣のレーンだ。――貴様は?」
スーツ男も一呼吸置いてから答えた。
「ゴールド商会、歌舞伎町支部の社員。前田慶次だ!」
二人の間に、犬猿のような空気が流れた。
互いが感じ取っていた空気は、まさに威嚇そのもの。
両者ともに、相手を敵と認識している。
事実、敵である。
前田慶次は、レーンの主である服部泰三を殺しに来たのだから――。




