27【フォレストボア狩り】
森の先を進んでいたダークエルフたちが、藪の中でしゃがみ込んでいた。俺が彼らに追いつくと、小声で「身を低く」と声を掛けられる。俺も慌てて身をかがめた。
『ど、どうしたん?』
俺が囁くように問うと、マーリアが小声で答える。
「今回の獲物がいました」
『ほうほう』
俺は周囲の森を見渡したが、獲物の姿は見当たらない。
『どこに居るん?』
「百メートルほど先の藪です」
『ひゃ、百メートルだって……』
俺は森の奥を凝視したが、獲物の姿はまったく確認できない。それどころか、森の中を百メートル先まで見通すことすらできなかった。生い茂る藪が視界を遮っている。
『お前たち、そんなに目がいいのかよ……』
「シャドー様には、フォレストボアが確認できませんか?」
『どこにいるのか、全然見えないぞ……』
「そ、そうですか……」
なんだかマーリアに呆れられてしまった。
俺には見渡す限り薄暗い森しか見えず、動物の姿などまったく見当たらない。
ダークエルフたちの目が良すぎるのだ。俺の視力は、ごく普通だと思う。
『でえ、どうするんだ?』
俺が問うと、シーンが答える。
「幸いにも我々は風下にいます。臭いで悟られることはないでしょう」
『臭いでバレるのか?』
「フォレストボアの嗅覚は、人間やダークエルフの二千倍ですからな。もし風上にいたら、とっくに気づかれていたでしょう」
『そ、そうなんだ〜』
イノシシって、そんなに嗅覚が敏感だったんだ。知らんかった。野生って凄い。
『でえ、どう狩るの?』
俺が作戦を問うと、シーンは弓を片手に矢筒から一本の矢を抜いた。
「三方向から包囲します。できるだけ逃げ道を狭めてから仕掛ける作戦です」
『なるほど――』
よく分からんが、そういうことらしい……。
するとシーンがダークエルフたちに顎で合図を送る。そのわずかな動きだけで意図を悟った仲間たちが、静かに動き始めた。
まずは槍を持ったダークエルフ四人が、右手の藪へと進んでいく。
続いてケーンともう一人の若者、それにダイナウルフたちが左へ向かった。
忍び足で進む二組は、森の中でも足音一つ立てない。あの歩法は俺でも難しいだろう。森の中で忍ことに関しては、彼らは一流である。
そして、その場に残ったのは、シーン、マーリア、リーン、そして俺。
三チームに分かれ、フォレストボアを包囲するようだ。風上だけを残して配置につくあたり、長年培った狩猟の経験値が窺えた。なかなかの凄腕っぽい。
「――……」
しばらくシーンが森の奥を見据えていた。やがて「よし」と呟くと、俺に告げる。
「全員が配置につきました。矢を放つ準備を――」
シーンが弦に矢を添えると、俺が質問する。
『なんで他のチームが配置についたって分かるんだ?』
するとシーンは当然の素振りで答える。
「風の精霊が伝言を伝えてくれましたからな」
『なにそれ、魔法なの?』
「魔法です。シャドー様には風の妖精シルフの声が聞こえませんでしたか?」
『き、聞こえませんでした……』
「そ、そうですか……」
なんだか、シーンにも呆れられた気がした。
でも、俺には精霊の囁きなんか微塵も聞こえない。これもスキルを習得したら可能になるのかな?
まあ、とにかく俺は腰の矢筒から一本の矢を抜き、弓に番える。弦を強く引いた。
俺の隣で、シーンが弓を低く構えながら告げる。
「初弾は私が《ロングショットアロー》で威嚇します。それに釣られてフォレストボアが突進してくるでしょう。そこを全員で総攻撃です。矢で穴だらけにしてやりましょうぞ」
『お、おう……』
ロングショットアローって、何だ?
状況と名前からして弓矢による長距離攻撃の技名だとは思うが、初耳なのでよく分からない。
まあ、とにかくだ――。俺は弓矢で攻撃準備に専念する。
そして、宣言どおりシーンが矢を放った。
「狙撃!」
森の中を一直線に飛んだ矢は、茂みの中へと消えていく。百メートル先のイノシシに命中したのかどうだかは、俺には分からなかった。
「ちっ、弾かれた!」
『ええ?』
どうやら矢は命中こそしたものの、皮膚を貫けなかったらしい。まあ、百メートルも先の獲物だ。そういうこともあるだろう。命中しただけ凄いと思う。
舌打ちを漏らしたシーンは、矢筒から二本目の矢を引き抜く。素早く弦につがえ、二射目を放つ準備を整えた。
「獲物が、こちらへ向かって突進を始めましたぞ!」
『えっ、マジ!?』
シーンの言葉を聞いたマーリアとリーンも弓を構え、前方へ狙いを定める。俺もそれを真似た。
やがて、激しい地響きが迫ってきた。イノシシの駆ける足音が、まるで大太鼓を連打するように森へ響き渡る。
前方の茂みが激しく揺れていた。その揺れが一直線にこちらへ近づいてくる。
「撃て!!」
シーンの号令と同時に、兄妹三人が一斉に矢を放った。俺もワンテンポ遅れて矢を放つ。四本の矢が茂みの中へ吸い込まれる。
次の瞬間、藪を突き破って巨大なイノシシが飛び出してきた。一直線にこちらへ突っ込んでくる。
その体には、放った矢は一本も刺さっていない。また、弾かれたようである。
「ぶぅぉぉおおおおおおん!!!」
咆哮を上げる巨獣。
事前にシーンから「体長は二メートルほど」と聞いていたが、実物は三メートルを優に超えている。テキサスのバッファローよりも大きかった。
血走った瞳は四つ。口から突き出た牙も四本。巨大過ぎる体躯。明らかに現実世界には存在しないイノシシの化け物だった。
全身は針金のように硬く太い体毛に覆われ、地面を蹴る四肢は丸太のように太く筋肉質だ。体重も三百キロは優に超えていそうである。
そして何より、その全身から放たれる怪力の気配が凄まじい。その証拠に、巨大イノシシの尻にはダイナウルフが二匹噛みついていたが、二匹を引きずったまま猛然と走り続けている。
『こりゃ、まさに力こそパワーだな……』
怒涛の勢いで突進してくる巨大イノシシ。細身の木々を薙ぎ倒しながら迫って来る。
このままでは、あの巨体の体当たりをまともに食らう。
それは、トラックに轢かれるようなものだ。簡単に異世界へ転生してしまいそうである。
「撃て!!」
再びシーンの合図で三兄妹が矢を放つ。しかし、その矢もフォレストボアの硬い毛皮に弾かれた。ダメージになっていない。
「これほどの至近距離でも射抜けぬか!?」
その瞬間、森の右側から複数のショートスピアが飛来した。短槍はフォレストボアの側面に命中し、横腹へと突き刺さる。
だが、槍の刺さりが浅かったのか直ぐに抜けてしまった。それでも血が出ているから少しダメージを与えられたのだろう。
「ぶぅぉおおおおおん!!」
『よし、効いているぞ!』のかな?
しかし、巨大イノシシの突進は止まらない。勢いをまったく緩めることなく、こちらへ一直線に突っ込んできた。
「危ない、退避だ!」
「「はいっ!」」
『ええっ!?』
正面から迫る脅威に、シーンの指示どおり三兄妹が跳び上がる。ひと跳びで二メートルほど上の木の枝へ退避した。
『えっ、うそ、マジ!?』
だが、俺だけは飛べなかった。取り残される。
そもそも俺には、二メートル先の枝へ飛び乗ることなどできない。そこまでの脚力は無かった。
『あわあわあわッ!』
「ぶぅぉおおおおおん!!」
あたふたと慌てる俺を狙い、巨大イノシシが頭から突っ込んでくる。
轢かれる――そう思った瞬間、俺は思わず息を止めていた。
次の瞬間、フォレストボアの巨体が俺に激突した――ように見えた。
だが、衝撃は来ない。
フォレストボアは俺の身体をそのまますり抜け、背後へと駆け抜けていった。
「ぶぅほぉ??」
『おおっ!?』
前足で急ブレーキを掛けたイノシシが、不思議そうに首を巡らせる。木の上へ避難した三兄妹も目を丸くしていた。
もちろん、俺自身も驚いていた。
フォレストボアがすり抜けたのである。俺の身体をすり抜けて後ろに通り過ぎたのである。
『今のが……深淵の透過能力か……』
ともあれ、回避成功である。命拾いした。
俺が振り返ると、フォレストボアもUターンして戻ってきた。そのUターンの勢いに噛み付いていたダイナウルフたちが振り解かれた。二匹が森の中に跳んで行く。
走り迫るフォレストボアは、再び俺に体当たりを狙っているようだ。血走った四つの目で睨みつけながら突っ込んで来る。
『また来るか――』
俺は手にしていた弓矢を捨てると、咄嗟に拳を構えた。右拳を腰に添えた基本的な空手の構えである。
俺は無手で巨大イノシシを待ち構えた。カウンターを狙う。
「シャドー様!?」
木の上から見ていたマーリアが悲鳴にも近い声で叫んだ。しかし、無情にもフォレストボアの突進は止まらない。
「ぶぅぉおおおおおん!!」
『来い!』
巨大イノシシが俺の眼前まで迫ると、大きな口を開けながら噛みつきを狙ってきた。俺の頭を丸齧りにするつもりなのだろう。四本の大牙が迫る。
「はぁぐう!!」
だが、フォレストボアの噛みつきは空振りに終わる。確かに俺の頭に噛みついたはずなのに、その牙はすり抜けたのだ。
再び透過能力で回避したのである。
さらに俺は空手の構えのまま身をさばく。巨大イノシシの左側へ素早く回り込んだ。
そして、肩幅に開いた両足の膝を僅かに落として、そこから正拳をフォレストボアの下左目へ打ち込む。
『せや!』
否。正確には正拳突きではない。中指の第二関節だけを角のように突き出した一本拳で、片目を突いたのである。目潰しだ。
「ほぉげぇぇええええ!!!」
俺の一本拳が目へ命中すると同時に、フォレストボアが絶叫にも近い悲鳴を上げた。つぶれた左目から鮮血があふれ出る。
フォレストボアは、瞳が左右で四つも有るのに、たった一つの目が見えなくなっただけでパニックに落ちていた。痛みによる混乱が巨大イノシシを包む。
たとえ矢を通さないほど厚い皮膚を持っていたとしても、眼球だけは脆い。目を突かれて平然としていられる生物などいないだろう。砂粒が入っただけで痛いのが眼球なのだから。
さらに俺はしゃがみ込み、地面へ手を伸ばす。シャドーポケットから日本刀を引き抜いた。
それは古風なヤクザが使っていそうな白鞘の日本刀だった。通気性に優れた鍔の無い白木の鞘は「白鞘」と呼ばれている。
影から大太刀を取り出した俺は、素早く白木の鞘を放り捨て、そのまま刃先で巨大イノシシの前脚へ斬りかかる。
狙いは左前脚の足首。その裏側を斬りつけ、腱を断ち切った。
『ふんっ!』
「ごぉっ!?」
下段からの一閃を受け、巨大イノシシの巨体が前のめりに滑るように倒れ込んだ。下顎を地面へ擦りつけ、そのまま立ち上がれずにもがいている。
さらに二太刀目――。
『ふんっ!』
今度は後ろ足の左健を断つ。
その攻撃で、完全に巨大イノシシは這いつくばった。バタバタともがくばかりだ。
『もう、動けまい』
アキレス腱もまた、巨体を支える生き物の急所である。そこを断たれれば、何もできなくなるのが生物なのだ。立てないのは、野生として終わりを意味する。
「け、腱を切ったのか……」
木の上のシーンたちは驚愕に表情を固めていた。自分たちの矢が弾かれて通じなかった相手を、俺が瞬く間に制圧してしまったからだ。
そして、とどめ――。
『介錯いたす!』
力強く踏み込み、上段から振り下ろした一刀。その斬撃が巨大イノシシの延髄にめり込んだ。首を切る。
「ぶぅひぃいいいいい!!」
巨大イノシシが甲高い悲鳴を上げる。断末魔だった。
しかし、俺の介錯は一太刀では終われなかった。フォレストボアの首があまりにも太く、一刀では斬り落とせなかったからである。命も絶っていない。
『うりゃ、うりゃ、うりゃ!!』
その後も何度か日本刀を振るうと、フォレストボアはついに息絶えた。
結局俺は、フォレストボアの首を切断することはできなかった。
情けない……。
これが昔の介錯人だったなら、切腹の席では大失態とされるほどの腕前である。逆に切腹で責任を取らなくてはいけないだろう。
反省……。
『もっと、格好良く決めたかったのに……。グスン』
俺が落ち込んでいると、血塗れになった巨大イノシシの周りに、ダークエルフたちが集まってきた。シーンたちも木の上から降りてくる。
その表情は驚愕気味。俺とフォレストボアの戦いを見て、驚いているようだった。
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by、ヒィッツカラルド。




