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ステータスALL Sの受験生が170キロで高校野球を終わらせた件  作者: 白峰レイ
第2章 大学編

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第20話「隣に立つ資格」

休部に入ってからの数日間。

伊藤は、意識的に夏目を見ていた。


グラウンドに来ないこと自体は、想定の範囲だった。

診断書が出て、正式に休部になった以上、それは当然だ。


問題は、そこじゃない。


日常だった。


 


昼前の講義が終わったあと。

学内のラウンジで、伊藤は夏目の姿を見つけた。


テーブルの端。

人の流れから、ほんの少しだけ外れた席。


スマホは机の上に伏せて置かれている。

ノートも、教科書も、開かれていない。


ただ、正面を見ていた。


視線はどこにも合っていない。

考え事をしているようにも見えない。


伊藤は、少し離れた席に腰を下ろした。


五分。

十分。


周囲の学生は、入れ替わっていく。

立ち上がる者。

席を移す者。

笑いながら去っていく者。


それでも、夏目は動かなかった。


姿勢も、視線も、呼吸のリズムも変わらない。


(……止まってる)


伊藤は、胸の奥が冷えるのを感じた。


 


講義開始を告げるチャイムが鳴る。


ラウンジの空気が、一気に動く。

椅子の音。

足音。

話し声。


それでも、夏目は立ち上がらない。


伊藤は、立ち上がった。

できるだけ自然な歩調で近づく。


「夏目くん」


一度目は、反応がなかった。


「夏目くん」


二度目で、ようやく視線がこちらを向く。


でも、その目は——

焦点が合っていなかった。


「……あ」


声が、遅れて出る。


「次、講義あるわよ」


一拍置いてから、夏目は立ち上がる。


慌てる様子はない。

焦る気配もない。


「……そうだったな」


その言葉に、伊藤ははっきりと分かった。


これは、疲労じゃない。

ショックでもない。

休部の反動ですらない。


もっと深いところで、

“今”という感覚そのものが、薄れている。


 


講義中、伊藤はほとんど内容を覚えていなかった。


ノートは取っている。

文字も、図も、いつも通りだ。


でも、頭の中では、別の映像が流れている。


——甲子園の最後。

——終わりたくないとながら、それでも投げ切った夏目。


あの時の彼は、確かに“そこ”にいた。


怖がっていた。

苦しんでいた。

それでも、感情ははっきりとあった。


今は違う。


感情が薄い、なんて言葉じゃ足りない。

存在感そのものが、少しずつ遠くなっている。


(……私は)


伊藤は、指先に力が入るのを感じた。


私は、間に合ったのか。


休ませた。

止めた。

守った。


それは事実だ。


でも——

それで「隣に立った」ことになるのか。


 


講義が終わり、建物を出る。


風が吹き抜ける。

キャンパスの木々が、わずかに揺れる。


伊藤は、そのままベンチに腰を下ろした。


ここに座ったのは、初めてだった。


人が通り過ぎる。

笑い声が遠くで弾ける。


その全部が、少しだけ別の世界に見える。


怖かった。


夏目が壊れてしまうことが。


そして、

自分が「正しいことをしたつもり」で、

本当は何もできていないかもしれないことが。


(……逃げたくない)


伊藤は、そう思った。


マネージャーだから、できることをした。

学生だから、手続きをした。


それだけじゃ足りない。


支えるって、

一緒に立つって、

多分、もっと踏み込むことだ。


 


伊藤は、スマホを取り出した。


大学の公式サイト。

学部・学科一覧。


指が、自然とスクロールする。


心理学部。

臨床心理学科。


人の心を、知るための場所。

寄り添うための知識を学ぶ場所。


理由は、もう曖昧じゃなかった。


野球のためじゃない。

理論のためでもない。


ただ——

この人が、ここにいる間に。


一人じゃないと、

感じられる場所に立ちたい。


 


伊藤玲奈は、その場で決めた。


この人の隣に立つ資格を、

私は取りに行く。


守るためじゃない。

管理するためでもない。


——夏目孝太郎という人間を、

失わないために。


立ち上がる。


足取りは、まだ軽くない。

不安も、恐怖も消えていない。


それでも。


もう、目を逸らさない。


伊藤はそう決めて、

ゆっくりと歩き出した。


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