第12話「プロ野球」
球場は、思っていたよりもずっと騒がしかった。
平日のナイター。
それでもスタンドは八割ほど埋まり、試合前から低いざわめきが途切れない。
ビールの売り子の声。
応援団の太鼓。
大型ビジョンに映し出されるスタメン発表。
――プロ野球だ。
夏目は、無意識のうちに喉を鳴らしていた。
(……近いのに、遠い)
甲子園より距離は近い。
けれど、空気はまるで別物だった。
隣で伊藤が、静かに言う。
「やっぱり……雰囲気、違うわね」
「ああ」
「“見せる場所”って感じ」
その通りだった。
一球ごとに歓声が起きる。
ファウルでも拍手が出る。
凡打でも、名前が呼ばれる。
高校野球の熱とは違う。
それでも確かに、ここは“夢の場所”だった。
そのグラウンドに――
佐藤がいた。
一軍のユニフォーム。
胸番号。
キャッチャーマスク。
大型ビジョンに名前が映る。
『8番・キャッチャー 佐藤 智也』
歓声が、確かに上がった。
大きくはない。
だが、間違いなく“歓迎”だった。
(……佐藤だ)
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
甲子園で隣にいた男が、
今はプロの舞台に立っている。
キャッチボールが始まる。
ボールがミットに収まるたび、
「パァン」という乾いた音がスタンドまで届く。
投手の球は速い。
荒れている。
ワンバン。
高め。
内角。
それでも佐藤は、止める。
派手じゃない。
だが、絶対に後ろへ逸らさない。
伊藤が、小さく呟いた。
「……取ってる、っていうより」
「“仕事してる”だな」
「うん」
一回表。
無失点。
ベンチに戻る佐藤へ、控えめな拍手が送られる。
それだけで、
夏目の胸に、言葉にできない感情が残った。
(……いいな)
思ってしまったことを、
否定できなかった。
二回裏。
佐藤の打席。
球場アナウンスが名前を呼ぶと、
スタンドがわずかにざわつく。
「新人か?」
「スタメン怪我人祭りだからな……」
「開明のキャッチャーじゃん」
そんな声が混じる。
初球。
ストレート。
ボール。
二球目。
ボール。
三球目。
ファウル。
拍手。
(……当てただけで、拍手か)
夏目は、気づかないうちに拳を握っていた。
四球目、五球目。
外れる。
フォアボール。
佐藤が一塁へ歩くと、
今度ははっきりとした拍手が起きた。
大きくはない。
けれど、確実に。
伊藤が、少しだけ微笑む。
「……ちゃんと、プロね」
「……ああ」
夏目は、視線を外せなかった。
五回。
再び佐藤の打席。
初球から振る。
カキッ。
三遊間の深いところ。
内野安打。
スタンドが、今度ははっきりと沸いた。
「佐藤、いいじゃん!」
「ナイス!」
名前が、呼ばれる。
佐藤は、ほんの一瞬だけベンチを見る。
誰も派手に喜ばない。
だが、誰も無視しない。
それが、一軍だった。
試合はそのまま進み、
佐藤は無失点で役目を終えた。
ヒーローにはならない。
それでも、確実に“そこにいた”。
試合後。
夏目は、スタンドに座ったまま、しばらく動けずにいた。
(……あそこ)
羨ましい。
それを、否定する気にもなれなかった。
伊藤が、そっと声をかける。
「夏目くん」
「ん?」
「今、ちょっと……悔しそうな顔してた」
夏目は、否定しなかった。
「……ああ」
その一言で、
伊藤はもう何も言わなかった。
そして、何も言わなくてもいいと分かっていた。




